あれは、私が一人暮らしを始めてしばらく経った頃のことだ。月3万円、敷金礼金なし、駐車料金も込みで、会社まで徒歩5分。そんな破格の条件に惹かれて引っ越してきたアパートは、いわゆる“掘り出し物件”だったはずなのに――その夜から、私の平穏な日常は、一転して不可解な出来事の連続となってしまった。
薄暗い部屋の中、突然響く「ぴちゃん」という水滴の音。深夜に勝手につくテレビの白い画面。天井を割るように聞こえてくる、誰のものとも知れない足音。そして目を開けた朝、玄関のドアが――なぜか全開になっていた。
それらの出来事が一つひとつ起こるたびに、私は言いようのない恐怖と緊張感に襲われた。手足がこわばり、声を上げたくても出ない。冷静な頭が「ただの故障や勘違いだ」と言い聞かせようとしても、胸の奥では別の声が囁くのだ。
「もしかしたら、この部屋には何かがいるのかもしれない……」
「窓の外に広がる墓地が、その正体を呼び寄せているのかもしれない……」
ここから先に綴るのは、私が実際に体験し、当時の恐怖と緊張感をいまだに鮮明に覚えている出来事の数々だ。あまりにも日常とかけ離れた話だと思われるかもしれないが、これは全てノンフィクションである。フィクションであれば、もっと劇的なオチを用意できただろう。しかし現実は、淡々と物事が重なり合い、最後まで曖昧なまま終わることも多い。
それでも、あの夜に感じた震えや、冷たくこわばった指先の感覚は、いまでもリアルに蘇る。何も起きていないはずの部屋に響く音、誰もいないはずの屋根から聞こえる足音――深夜の静寂の中では、どんな些細な現象も人の心を簡単に揺さぶってくる。ささいな物音や故障にすら、墓地という舞台装置が重なることで、ありもしない恐怖を掻き立てるのだ。
当時の私は、なぜこんなに不可解な出来事が次々と起こるのか、そしてこの部屋になにが潜んでいるのか、その答えを得られずに夜毎布団の中で身を震わせていた。はたして霊的な力の存在を信じるべきなのか、それともただの偶然や故障の積み重ねなのか。そうした疑念が頭をよぎるたび、心臓が高鳴って眠れなくなったのを覚えている。
便利すぎる物件には、何かが隠されているのでは――そんなありふれた警句が、私の生活の中でこれほど説得力を持つとは思っていなかった。だが、この物語を読み進めてもらえばわかるだろう。私が経験した恐怖は、どこにでもあるような“少し古い建物”と“目の前に広がる墓地”という現実の条件が絡み合い、一気に肥大化していったものだ。笑い飛ばせる話だと思う人もいるかもしれないが、当時の私にとってはまぎれもない“リアルな恐怖”だったのである。
何がおかしいのか、何が普通なのか――その境界が薄暗い闇に溶けてしまった場所で、私は毎夜、押し寄せる不安と戦った。あなたがこれを読んでいるなら、ぜひ想像してほしい。夜中に家鳴りがするだけで息が詰まるような感覚。テレビの電源が勝手につくだけで全身がこわばる絶望。台所の蛇口から滴る水音すら、まるで誰かが囁いているかのように聞こえるあの感じ。そうやって神経を研ぎ澄ませているとき、窓の外に並ぶ墓石が、確かにこちらを見ている――そんな錯覚を振り払うことが、どれほど難しいかを。
もしあなたが、夜の静寂やわずかな物音に敏感な性質であれば、きっと私と同じように不安を感じてしまうだろうし、同時にこの物語に共感を覚えてくれるかもしれない。逆に、「気にしなければなんてことはない」という人にとっては、ただの大げさな話に思えるかもしれない。けれど、これは私が実際に肌で感じた恐怖であり、当時の緊張感をそのまま記したノンフィクションである。
では、なぜこんなにも長々と恐怖を語るのか。それは、一人暮らしの人が同じような境遇に陥らないとも限らないからだ。もし今、安い物件を探していて、目の前が墓地でも気にしないという人がいたら、その考えを改めてほしいわけではない。ただ、「怖がりすぎるのは自分だけじゃない」と安心してもらえたら、あるいは「便利さや安さの裏に、ちょっとしたホラーが潜んでいるかもしれない」と知ってもらえたら、私が震えながら過ごした夜にも多少の意味があるだろう。
家賃の安さと便利さを求めた結果、私は眠りの安定や心の落ち着きを失いかけた。ある朝は玄関のドアが開きっぱなしになり、別の日には天井から足音が響いた。すべてを合理的に説明できるとしても、説明がつかない部分を心に残すのが人間という生き物だ。理屈よりも感情が先行し、特に夜の闇は想像力を容赦なくかき立てる。私が体感した恐怖の一端を、これから少しずつ伝えていきたい。
さて、このプロローグを読んだあなたは、どのような心持ちだろうか。もし「そんなのありえない」と笑うなら、それはそれで構わない。けれど、もし少しでも胸の奥に“何か”がざわめいたなら、ぜひ次のページを捲ってみてほしい。夜の静寂が、いかに私を追い詰めたのか。日中の便利さと夜の恐怖が、いかにアンバランスな形で同居していたのか。ここから綴られる物語を読み終えたとき、あなたの中に何かしらの感想や共感、あるいは教訓が芽生えれば幸いだ。
恐怖とは、多くの場合、実体のない影のようなものだ。しかし、その“影”こそが人を追い詰め、眠りを奪い、夜中の生活を不便に変えてしまう。私はその影の存在を、ここで記すことでようやく客観視できるようになったのかもしれない。もしこれが誰かの役に立つのなら、この物語を共有する意味もあるだろう。
それでは、私の体験記――**「敷金礼金なし、駐車料金込み月3万円、墓地徒歩0分」**がもたらした、あのリアルな恐怖の始まりをお話ししよう。夜の狭間で、私の耳をこすった微かな音たち。天井やテレビや蛇口が奏でる奇妙な交響曲。その背後で、いつも静かに立ち並んでいる墓石たち。すべては本当にあった出来事であり、当時の私は、この現象の数々を一体どう受け止めればいいのか分からず、怯え続けたのだ。
準備ができたなら、どうぞページを進めてほしい。これは実体験、ノンフィクションである――という一言を、あらためて強調しておきたい。笑って読み飛ばしても、恐怖に身をすくませても、最終的にはあなた次第だ。しかし、本当にあった話だと知った上で読むのと、作り話だと思って読むのとでは、きっと味わいが違うはずだから。