私は転職を機に、新しい住まいを探していた。もともと実家で暮らしていたが、転職先の会社が遠方にあり、通勤時間を短縮したいと思ったのが一番の理由だ。それに、社会人になってしばらく経つのに、ずっと実家暮らしというのも気が引ける。そろそろ一人暮らしを始めたいと思っていた矢先に、まさに条件がぴったり合った仕事と出会い、転職の運びとなった。
引っ越し先の条件は明確だった。まず、会社から近いこと。できれば徒歩か自転車圏内が望ましい。あとは家賃が安く、できれば築年数がそこまで古すぎない物件がいい。生活必需品を揃えるためにスーパーやコンビニが近くにあればなお良し。仕事から帰ってくるのが遅くても、ご飯に困らない環境がベストだ。贅沢を言えば、周辺にカフェや小さな商店街があれば、休日に散策もできる。そんなふうに夢は膨らむものの、予算には限りがある。都心に近いエリアで、家賃も安いとなると、築年数が古いアパートや下町の方に限られてくるだろうな、とある程度は覚悟していた。
不動産サイトで条件を絞って検索し、何軒かピックアップをしては内見の予約を入れる。駅近の物件は軒並み家賃が高く、築浅やリフォーム済みだとさらに金額がかさんでしまう。自分の中で「ここだ!」と思える場所になかなか出会えず、気がつけば内見も10軒以上まわっていた。転職初日が近づいてくるなかで、焦りの気持ちが募る。
そんなある日、不動産会社のサイトを眺めていると、奇妙に安い物件を見つけた。家賃3万円、敷金礼金なし、しかも駐車料金込み。私は思わず目を疑った。今どき敷金礼金なしはまああるとして、駐車場付きで3万円というのは破格だ。場所を確認すると、会社まで徒歩5分ほどの距離。まるで夢のような条件だった。いわゆる「掘り出し物件」というやつだろうか。
ただ、間取りは2Kで6畳二間というちょっとした狭さ。そして、築年数は30年ほど経っているらしい。築30年と聞くとそこまで大昔の建物というわけでもないが、やはりそれなりに古さはあるだろう。家賃がここまで安いのは、建物の古さに加えて何かしら「理由」があるのかもしれない――そんな考えが頭をよぎったが、私はそこまで深く考えないようにした。とにかく会社に近いのが最大の魅力だ。毎日満員電車に乗らずに通勤できることを思えば、多少の古さや不便さには目をつむれる。結局、私はこの物件をすぐに内見申し込みした。
後日、不動産会社から連絡があり、内見当日に指定されたアパートへと向かった。最寄りの駅から歩くこと15分ほど。道中に大きなスーパーがあり、その向かいにファーストフード店があるのが目に入る。さらにその先にはコンビニがあり、会社はさらに5分ほど歩いた場所にあった。想定していたよりもアクセスが良く、これなら仕事帰りに買い物をして、そのまま歩いて帰宅することも難しくないだろう。
アパートは、細い路地を一本入った先にある。周囲は戸建てが立ち並ぶ住宅街で、夜になればきっと静かそうな場所だ。外観を見たときの印象は、「昔ながらの木造アパート」。二階建てで、外壁はところどころ塗装が剝げかかっている。だが、不思議とボロボロという感じではなく、どこか懐かしい雰囲気を漂わせていた。
不動産会社の担当者が到着し、一緒に部屋を見せてもらう。玄関を入ると小さなキッチンがあり、その先に6畳の和室が二間つながっている。畳は張り替えられたばかりらしく、入った瞬間にイ草の香りがふわりと漂ってきた。天井もそこまで低くないし、壁紙も張り替えられているようだ。浴室とトイレは少し年代を感じさせるが、清掃が行き届いているのか、それほど汚くはない。
私は部屋の窓を開け、外の景色を確認した。すると、驚くべきものが目に入った。アパートの目の前に、びっしりと墓石が並んでいるのだ。どうやら、ここは広い墓地のすぐ隣らしい。不動産サイトには特にそういった記述はなかったので、不意を突かれた気分だった。
「窓の外、すぐそこに墓地がありますね」と私が尋ねると、不動産会社の担当者はあっさりと答えた。
「ええ、まあ、そうなんですよ。ここの物件はそれが理由で敬遠される方が多くて。だから家賃が安く設定されてるんです。昼間はそんなに気にならないと思いますよ。夜は、カーテンを閉めちゃえば眺望は見えませんし」
私は少し考え込んだ。確かに、実際に墓地を目にすると少し薄気味悪い感じはする。だが、これほどの条件の良さはそうそう見つからない。墓地に対する恐怖心はそこまで強くはないし、日常的にお参りをするわけでもないので、そこまで気にしなければ問題なさそうだと思った。第一、月3万円という破格の家賃に駐車場込み、会社まで徒歩5分。こんな恵まれた物件がほかにあるだろうか。私はもう一度部屋をぐるりと見回したあと、担当者に向かって「ここ、契約します」と告げた。
こうして、私の新しい生活は始まることになった。
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契約から引っ越しまでの日数はあっという間に過ぎた。リフォームされたばかりとはいえ、築30年のアパートなので設備の古さは否めない。だが、住めば都という言葉もある。私にとって最も重要なのは立地の良さと安さなのだ。
引っ越し当日、朝早くに荷物をまとめて車に積み込み、アパートへ向かった。まだ荷物も少ない方なので、業者に頼むほどではない。知人の車を借り、数往復してすべての荷物を運び込んだ。
搬入作業が終わったのは午後3時頃。汗だくになりながらも、部屋の窓を開け放して風を通してみる。空気の入れ替えをすると、さすがに築古の匂いもいくぶんか和らいだ。外を見ると、日差しの中で墓石が並んでいるのが見える。正直言って、ちょっと異様な光景だと感じないでもなかった。でも、担当者が言う通り、夜はカーテンを閉めれば見えなくなる。そう考えると、案外どうにでもなる気がしてきた。
とりあえず窓を閉め、しっかりと分厚いカーテンを引いてみる。すると、部屋の中は一気に暗くなるが、墓地の姿はまったく視界に入らない。私は少しほっとした。やはり人間というのは、「見えない」だけで気持ちが落ち着くものらしい。
荷ほどきを一通り済ませたあと、大通りの方に歩いていき、大型スーパーを覗いてみることにした。そこでは惣菜がずらりと並んでおり、夜9時を過ぎると半額シールが貼られるらしいという情報を耳にする。さらに、スーパー内には酒屋のテナントまで入っていて、ビールや焼酎などを買うのにも便利そうだ。その向かいにはファーストフード店があるし、会社の近くにはコンビニもある。食べることに困らない立地というのは、私にとって何よりもありがたい。
自宅へ戻る道の途中、改めて周囲を見回してみると、割と落ち着いた住宅街であることが分かる。大通りに面しているので人通りも車通りも多いが、一歩路地を入ると静かな環境が広がっている。夜もあまり騒音などは気にならないかもしれない。私は「ここに引っ越して正解だったな」と思いながら、軽い足取りでアパートへ戻った。
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夕方から夜にかけて、私は段ボール箱を開けて荷物を整理した。リビング代わりに使う予定の6畳の和室にテレビを置き、古いブラウン管テレビのコードを差し込む。高校時代から使っている愛用のテレビだが、動作チェックをしてみるとまだ問題なく映った。もっとも、薄型液晶テレビを買いたい気持ちはあったが、今の家計を考えると当分先になりそうだ。
キッチンの収納スペースには最低限の食器や鍋、フライパンを収めた。狭いながらも、自炊をするにはそこそこ快適だ。洗濯機置き場には中古で手に入れた洗濯機を設置し、通電も確認。夜になって外が暗くなってくると、さっそくカーテンをしっかり閉めてみた。カーテンの布地が厚めなので、外の光や気配はほとんど入ってこない。寝る前にふとカーテンを開けて墓地を見てしまったらどうしよう、と怖がっていたが、実際には一度閉めてしまえば余計なものは見えなくなる。私の不安は少しだけ減った気がした。
そんなこんなで、引っ越し初日の夜はあっという間に過ぎた。疲れもあってか、布団を敷くとすぐに眠りに落ちてしまい、墓地のことを意識する暇もなかった。
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翌朝、目覚めた私はすぐに窓を開け放ち、朝の空気を入れた。うっかり窓の外を見てしまうと、確かに墓石が並んでいるが、朝陽の中で見る墓地はそこまで不気味ではない。人間とは不思議なもので、いざ住み始めてみると、初日に感じた嫌悪感も幾分か薄らいでいた。
ただ、墓地が視界に入るたびに「ここに眠る人たちがいるんだよな」と、少しだけ切ない気持ちになった。悪いことをしているわけではないが、なんとなく彼らを打ち捨てているような申し訳なさを感じる。でも、だからといって自分が墓参りをするわけでもない。この感覚は、いつか慣れるのだろうか――そんなことを考えながら、私は顔を洗い、朝食を済ませた。
そのまま身支度を整え、会社へ向かう。徒歩5分というのは本当に便利だ。満員電車に乗る必要がないだけで、朝のストレスがずいぶん軽減される。会社での業務も、まだ慣れないことばかりで大変だったが、通勤が楽だというだけで精神的にはだいぶ余裕がある。帰り道も、スーパーやコンビニに寄って夕飯を調達して帰れる。これ以上ないほど理想的な生活だと感じた。
こうして、私の新生活は順調にスタートを切ったかに こうして私の新生活、そしてこのアパートでの物語は始まる。見方によっては些細なことが多いかもしれない。だが、そこに広がる「墓地」という存在は、私にとって想像以上のインパクトを与えた。人間は、自分が知らないことや得体の知れないものに恐怖を感じやすい生き物だ。ましてやそれが「死」や「霊」と直結する墓地であれば尚更である。
その後、私は夜になると自分の部屋に起こる様々な音や光に敏感になっていく。そして、「墓地が見える物件」という特殊な環境によって、頭のどこかで常に何かがいるのではないかと疑うようになっていった。もしこれが普通の立地のアパートだったら、「古いアパートだから家鳴りがするのも当然」「テレビが壊れるのも経年劣化」と簡単に片付けていたかもしれない。だが、一度「墓地のせいかも」「霊がいるかも」という考えがよぎると、人間の想像力は止めどなく膨らんでしまうのだ。
それでも、この章の段階ではまだ「ただの古いアパートだし、気にするほどでもないだろう」という気持ちが強かった。むしろ、昼間はスーパーの半額惣菜を楽しんだり、休日には近くのファーストフード店でポテトやチキンを頬張ったりと、快適な生活を送っていた。会社まで徒歩5分というアドバンテージは想像以上に大きく、毎日の通勤が苦にならない。夜遅くまで働いても、タクシーや電車の遅延を気にすることなく帰宅できる。これは本当に最高の環境だと思っていた。
ただ、一つだけ妙に引っかかるのは、寝る前や夜中にふと目が覚めたときに感じる違和感だった。窓から何かの視線が注がれているような、あるいは部屋自体がきしむような、小さな音が不規則に聞こえるような感覚。普通なら意識しないでいられる程度の小さな出来事が、墓地が目の前にあるという事実と結びついて、私の中で急速に「恐怖」として成長を始めたのである。
これから先、私は夜中に奇妙な足音を聞いたり、テレビの電源が勝手についたり、水滴が止まらなくなったりと、次々と不可解な体験をしていく。しかも、それが立て続けに起こるものだから、単なる故障や偶然だと頭では分かっていても、心が追いつかなくなっていくのだ。冷静になれば「そういうこともあるよね」と笑えることが、深夜の静寂の中では恐怖に直結する。さらに寝起きの状態だと冷静さが半減するので、ちょっとした物音が心臓を飛び上がらせるほど怖く感じる。
結局、このアパートで体験する出来事の多くは、古い建物ゆえの経年劣化や、屋根の上を歩くカラス、風で揺れる窓やドアといった、どこにでもあるような現象だったのかもしれない。しかし、「目の前が墓地である」というだけで、そのすべてが「霊的なもの」「不気味なもの」に感じられてしまう。人間の想像力とは、なんとも厄介なものだ。
しかし、このときの私はまだそれらの現象を真摯に「怖い」と感じつつも、どこかで「まぁ大丈夫だろう」と楽観視していた。実際、朝になれば何事もなく過ぎ去り、昼間の光の中では、あの墓地も静かで穏やかな空気をまとっている。日中の私は仕事に追われ、夜の恐怖を思い出す暇もない。だからこそ、リアルな恐怖がゆっくりと心に浸透していくことに気づかないまま、日常を過ごすことになってしまったのだ。
この物件を選んだことを後悔し始めるのは、そう遠くない未来のことになる。けれど、まずは私は「安くて便利な最高の部屋を手に入れた」と満足し、軽い気持ちで新生活を満喫していた。その日常の裏側に、夜の静寂が忍び寄っていることなど、まだ気づいてはいなかったのである。