引っ越しから数日が経つと、私はすっかりこのアパートでの新生活に馴染んでいた。日中は会社で忙しく働き、夜はスーパーの半額惣菜やファーストフード店のメニューで手軽に夕飯を済ませる。築30年の古さはあるものの、リフォームされた畳の香りはまだ新鮮で、部屋の使い勝手も悪くない。何より、目の前に墓地があっても、カーテンさえ閉めてしまえば眺めることはないので、そこまで気にならなくなっていた。
実際、私の生活は予想以上に快適だった。会社まで徒歩5分という立地は、朝の慌ただしさを大幅に軽減してくれるし、帰りが遅くなっても夜道を長時間歩く必要がないのは大きな安心感につながる。駅前にある大型スーパーは夜遅くまで開いており、さらに閉店間際には惣菜に割引シールが貼られる。その隣にある酒屋では、ちょっとしたビールやワインを気軽に買える。まさしく「至れり尽くせり」という言葉がぴったりの環境だと感じていた。
しかし、その快適さとは裏腹に、私の中には少しずつ、正体の分からない不安が芽生え始めていた。きっかけは、ごく些細な音――そう、「家鳴り」だった。
1. 夜の静けさに響く「ミシ…ミシ…」という音
初めてその音を自覚したのは、引っ越し後、3日目か4日目の夜だったと記憶している。その日は仕事で少し遅くなり、帰宅後にシャワーを浴び、スーパーで買った総菜をつまみにビールを一缶あけた。深夜近くになり、布団を敷いて畳の上に横になると、なんともいえない解放感に包まれ、すぐに眠りに落ちそうになった。
ところが、まどろみの中で耳に飛び込んできたのが、「ミシ…ミシ…」という木が軋むような音だった。最初は夢うつつの状態で、「ああ、古いアパートだし、こんな音もするよね」と軽く流していた。だが、意識がはっきりしてくるにつれ、その音がかなりはっきりと聞こえることに気づく。
部屋のどこから聞こえてくるのか定まらない――天井か、壁か、床か。あるいは、全体がきしむように響いているのかもしれない。私は怖くなって布団の中でじっと息を潜めた。深夜の静寂は、小さな音を増幅するように響かせる。「ミシ…ミシ…」と不規則に鳴るたび、胸がざわついて落ち着かない。
「これが家鳴りってやつか」と頭では理解していても、音の間隔が一定ではないぶん、不規則なリズムがあたかも「誰かが動いている」ように思えてくる。私の部屋は2階にあって、一応隣室はあるものの、壁越しに人の生活音が響いてくる感じでもない。つまり、この「ミシ…ミシ…」という軋む音は、誰かの足音ではないにしろ、建物自体が生み出す音だというのは間違いない。でもその夜の私は、どうにも不気味な気がしてならなかった。
結局、その音が落ち着くまでにはけっこう時間がかかったと思う。いつの間にか眠りに落ちてしまったが、翌朝、起きたときには「昨夜は妙な音がしていた」とぼんやり思い出し、どことなく気分が晴れなかった。
2. 同僚との会話と安心感
翌日、職場で雑談の中、「築古アパートに住んだら夜中に家鳴りがするんですよ」と同僚に話してみた。すると、彼らは口をそろえて、「まあ、そんなもんだよ」と軽く流す。なかには、
「俺も昔、木造の古い下宿に住んでたけど、夜中に『ギシ…ギシ…』って音が鳴るのは日常茶飯事だったな。最初は怖かったけど、慣れれば気にならないよ」
などと笑いながら語る人もいた。多くの人が「古い建物なら当然」「気温の変化で木が伸縮してるんだよ」などと言うため、私も「大したことじゃないかもしれない」と気を取り直すことができた。確かに、実家でも古い家具が軋む音くらいはよく聞いたし、そういうものだと思えば納得がいく。
しかし、その日も夜が更け、部屋がしんと静まり返った頃になると、例の音が響いてくる。「ミシ…ミシ…」。まるで誰かが廊下を歩いているかのような不規則なリズムに感じられるのだ。私は「これは家鳴りだ」と自分に言い聞かせようと努めたが、一度気になりだすとますます耳をそばだててしまい、なかなか寝付けなくなった。
それでも、何とか半分あきらめの境地で布団を被ってやり過ごす日々が続いた。すると、4~5日もすれば「まあ、こんなものか」という諦観に似た感覚が生まれ、一時的に気にしなくなったかに思えた。実際、人間の慣れというのは恐ろしいもので、最初は妙な恐怖感を覚えていたのに、それが連夜続くうちに段々と受け流せるようになる。それが“家鳴り”に対する印象だった。
3. テレビの「ビシッ」という音
ところが、次の問題はテレビだった。私は高校生のころから使っているブラウン管テレビを引っ越しにも持ってきていた。いまどき液晶テレビが主流なのに、ブラウン管を愛用している人は珍しいかもしれないが、お金をかける余裕もなかったし、見慣れた画面になんとなく愛着もあった。画質はともかく、まだ壊れてはいないし当分は使えると思っていた。
だが、この古いブラウン管テレビにも「経年劣化」という問題があった。稼働中は気にならないのに、電源を切ってしばらくすると「ビシッ」「パキッ」と何かが収縮するような音がすることが増えてきたのだ。もちろん、冷却による筐体の収縮音だろうと頭では分かっている。けれど、深夜の静かな部屋にあの大きな「ビシッ」が響くと、なんともいえない緊張感が走る。
私がその音をはっきりと意識したのは、ある夜、帰宅が遅くなってシャワーを浴び、テレビを少しだけ見てすぐ寝ようと決めていた日だ。日付が変わる前には布団に入り、テレビの電源を切った。すると数分後、部屋の灯りを消して真っ暗になった頃に「ビシッ」と耳をつんざくような硬い音が鳴ったのである。
最初は何の音かわからず、思わず布団から飛び起きた。部屋の中を見回すが誰もいないし、何かが落ちたわけでもない。よくよく考えてみると、テレビの近くから音がしたように思える。そこでテレビに近づき、画面をそっと触ってみるが、もう何の変化もない。室温が下がり始めるタイミングで、樹脂製の筐体が「ビシッ」と収縮音を出したのだろう――そう理解はできる。けれど、深夜に突然鳴ると、どうしても心臓がドキリとしてしまう。
この「ビシッ」という音は、テレビを観終わった直後や、電源を切ってからしばらくして何度か鳴る。普段は一回きりなら「ああ、またか」と思えるが、連続して二回、三回となると「なにかがおかしいんじゃないか」と不安を煽られるのだ。その度、部屋の暗闇に目を凝らしてしまい、墓地の気配を意識してしまう。「この音、もしかして何かの合図じゃないのか……?」と想像力が暴走し始める自分がいた。
4. 不合理な恐怖と合理的な説明
頭では「ブラウン管特有の現象」「古いテレビなんだから仕方ない」「こんな時間に家鳴りやテレビが音を立てるのは普通」とわかっている。それでも、夜の静寂の中では、その合理的な説明がまるで無力になってしまう瞬間がある。「何か別の存在」が音を出しているのではないかと、ふと疑ってしまう。
私の部屋は2Kで、玄関から入るとキッチンがあり、その奥に6畳の和室が二間続いている。普段は手前の6畳をリビング兼寝室として使い、奥の6畳は荷物置き場のようにしていた。テレビは手前の和室に置いてあり、布団もそこで敷く。夜になると、奥の部屋は使わないので暗いままだ。そこにはまだ段ボールが山積みになっていて、引っ越しで使った荷物も整理しきれていない。昼間はただの物置部屋に見えるその空間も、夜中に「ビシッ」という音を聞くと、まるで闇が形を持って迫ってくるような感覚に襲われることがある。
人間の恐怖は不思議なもので、小さな音を聞いただけで、膨大な想像が頭を駆けめぐる。「あの奥の部屋に誰かいるんじゃないか」「テレビ画面に何か映りこんでいたんじゃないか」――大人になって理性があるはずなのに、こうした想像が頭を離れなくなることがある。
特に、目の前に墓地があるという事実が、恐怖を増幅させていた。「何か」が入ってくるなら、あの墓地からやってくるのかもしれない。夜中のテレビの音は、その「何か」の存在を知らせる前触れかもしれない。もちろん、昼間に考えれば滑稽でバカバカしい話だが、夜の闇の中ではそんなバカバカしさがリアルに思えてしまう。
5. 墓地の意識と不眠の始まり
いつしか私は夜にひとりで部屋にいるとき、無意識に墓地のことを意識するようになった。カーテンを閉めていても、心の中で「あの向こうには墓石が並んでいる」と考えてしまう。すると、家鳴りやテレビの音が鳴るたびに「もしかして、何かが部屋に来ようとしているんじゃ……」と勘繰ってしまう自分がいる。
実害は何もない。ただ音が鳴るだけで、何かが起きるわけでもない。なのに、耳を澄ませ、布団の中で息を殺す時間が少しずつ増えていった。そうやって神経を尖らせていると、寝不足になってしまうのも当然だ。朝は会社があるので頑張って起きるが、夜はなかなか寝付けず、布団の中で無駄に時間を過ごす。結局、次の日に疲れを引きずる結果となった。
会社の昼休みに仮眠をとったり、帰宅後すぐに食事を済ませて早めに布団に入ったりしてみるものの、一度目が冴えてしまうとまたあの音を待ち構えてしまうようになり、余計に眠れなくなるという悪循環を生む。そんな日々が続くと、さすがに私も「このままじゃまずい」と思い始めた。
6. 同僚への相談と軽い笑い話
ある日の昼休み、同じ部署の仲のいい同僚と二人になったときに、私は打ち明け話のような形で「夜中に家鳴りやテレビが音を立てて怖い」と伝えた。すると、彼女はクスッと笑って、
「何言ってんの、そんなのどこの家でもあるあるだよ。特に木造とか古いテレビなら、音がするのは当たり前。バタバタと大きな音ならまだしも、ちょっと軋むくらいで怖がってたらキリないでしょ?」
と一蹴した。その反応は想定の範囲内ではあったが、少しだけ悔しい気持ちにもなった。私にとっては深夜に安眠を妨げられるほどの恐怖なのに、人から見れば「そんなに大げさな話じゃない」という認識なのだ。現に彼女はワンルームのマンションに住んでいて、築年数は比較的新しく、家鳴りなんてしないらしい。
彼女はさらに続ける。
「もし怖ければ寝る前に音楽流すとか、ラジオつけっぱなしにして寝れば? シーンとした部屋だと余計に音が耳につくし、気になるんじゃないかな。ホワイトノイズとかを流してる人もいるみたいだよ」
確かに、それは一つの方法かもしれない。完全な静寂が恐怖心をかき立てるというのは私も感じていたから、何かしら音があれば気が紛れるだろう。しかし、同時に「そこまでしないと眠れないなんて、やっぱり私が神経質すぎるのか?」と思えてきて、少し落ち込んだ。もしかしたら、周囲から見れば私は怖がりすぎているだけなのかもしれない――そんな疑念が生まれ、余計に気持ちが沈んだのである。
7. “家鳴り”という言葉の重み
インターネットで「家鳴り 深夜 怖い」「古いアパート 家鳴り 眠れない」などと検索してみると、私と同じように悩んでいる人は少なくないことがわかった。質問サイトなどには「夜中に板が軋む音がして怖いです」「木造アパートなので大きな家鳴りに悩んでいます」といった投稿が溢れている。大半の回答は「気温差で木材が伸縮しているだけ」「古い家にはよくあること」など、予想通りのものだったが、それでも「怖いと思うのは仕方ない」という声もあり、少しだけ救われた気がした。
一方で、家鳴りがきっかけで幽霊を見たとか、実際に誰かが屋根裏に住み着いていたという怪談めいた話も散見される。もちろん、現実離れした話が大半だとは思うが、「もしかしたら……」と疑念を抱いてしまう自分がいた。特に私は、「目の前に墓地がある」という環境要因を抱えている。これが単なる古いアパートなら、「まあ家鳴りだよね」で済むかもしれないが、墓地があるせいでどうしても「霊的な要素かもしれない」と考えてしまうのだ。
こうして、家鳴りと墓地の存在が合わさることで、私の中の「恐怖」は少しずつ形を成していった。夜中に音が鳴るたびに「何かがこのアパートに引き寄せられているのでは?」と想像してしまう。そして、その想像は次第に、テレビの音や他の小さな物音にも連鎖していくことになる。
8. 巡る視線とテレビの「ビシッ」再び
数日が経った頃、私は夜中にテレビの電源を落としてから布団に入るまでのわずかな時間を、極端に怖がるようになっていた。テレビの画面が暗転して数分後に鳴る「ビシッ」――あの音を聞くと心臓がきゅっと縮み上がる。
ある夜などは、確かに「ビシッ」と鳴った気がして飛び起きたのだが、部屋の中はひっそりと静まり返っている。時計を見ると午前2時過ぎ。布団に戻って再び目を閉じようとすると、今度は窓の向こう側から何かの気配を感じるような錯覚に陥った。むろん、カーテンを閉め切っているので外は見えない。けれども、墓地がそこに広がっているとわかっているだけに、想像は勝手に広がる。
「誰かが外からこの部屋を見ているのではないか」「墓石の間を抜けて、何かが近づいてきているのではないか」――そんなことを考えてしまうと、心がざわざわして眠れなくなる。結局、その日は朝方まで断続的にうとうとしては目を覚まし、寝不足のまま出勤する羽目になった。
仕事中、あくびを噛み殺しながらも、ふと「引っ越し先を間違えたかな……」と頭をよぎる。しかし、これほど会社に近い物件はなかなかないし、家賃3万円で敷金礼金なしという条件も魅力的だ。あの墓地さえなければ完璧な物件といっても過言ではない。いや、墓地があるからこそ家賃が安いのだと、あらためて思い知らされる。私は心の中で、「慣れれば大丈夫。これはただの家鳴りや古いテレビのせいだ。自分がビビりすぎているだけ」と言い聞かせ続けるしかなかった。
9. 恐怖の種が少しずつ膨らむ
こうして私の中で、「家鳴り」と「テレビの収縮音」という、普通なら何とも思わないはずの現象が、夜毎の恐怖の種になっていった。どちらも実害があるわけではないし、理屈で考えれば説明がつく。でも、暗闇の中で聞く小さな音は、墓地の存在と結びつくと強大な不安をもたらすのである。
とりわけ「家鳴り」に関しては、不規則な鳴り方が厄介だった。木材の伸縮ならもう少し規則性があってもよさそうだが、実際には気温や湿度の変化に応じてランダムに鳴るらしい。天井付近で「ミシ…」と音がすると、次は床下の方で「ミシッ…」。そして唐突に壁の方から「パキッ」という音がすることもある。これらが連鎖すると、人間はどうしても「誰かが歩いてるんじゃないか」「どこかに隠れてるんじゃないか」と想像してしまう。
また、私のアパートは2階建てで私の部屋は2階にあるため、「上からの音」というのは本来ないはずなのに、天井近くから音が聞こえるときもある。つまりそれは屋根に近い部分が鳴っているということであり、もしかすると屋根裏に何かが……とまで考えてしまうと止まらなくなる。しかも、このアパートの目の前には例の墓地があるのだ。「昔ここには何かいわくがあったのかも」「過去の住人が何かを見たのかも」――そんな都市伝説じみた妄想まで広がり、勝手に怖くなる。
10. 次なる異変への序章
この第2章では、私が抱き始めた「家鳴り」と「テレビの音」に対する不安や恐怖を中心に描いたが、実はこれらは後に起こる出来事の序章に過ぎなかった。夜中に勝手にテレビの電源が入ったり、止まらない水滴音に悩まされたり、さらには早朝に屋根の上から聞こえる足音に怯えたりと、私の生活はさらなる不可解な現象に翻弄されていくことになる。
だが、今の段階で私が強く感じていたのは、「音」という存在がどれほど人間の精神を揺さぶるかということだ。特に静寂の中で響く音は、想像力を増幅させる。日中なら笑い飛ばせるレベルの現象でも、夜の暗がりの中では「ありえないもの」として受け取ってしまう。そして、そこに墓地という舞台装置が加わると、どうしようもなくホラーな空気が醸成されるのだ。
古い家なら当たり前の家鳴り。冷えたブラウン管テレビが軋む音。それだけでも厄介なのに、このアパートには墓地ビューの特典がついている。初めは平気だと思っていた私でさえ、日に日に「何かおかしい」という感覚を拭えなくなっていた。この時点ではまだ、自分で整理しきれないまま、「仕方ない、慣れるしかない」と思い込んでいただけだったが、次第にその程度では片付かないような事件が起き始める――。
そして、私が真の恐怖を感じたのは、「テレビの電源が勝手に入る」という明確な異常が起きた時からだ。家鳴りや「ビシッ」という収縮音は、ある意味では想定の範囲内だったが、電源のオン・オフに関してはさすがに故障や偶然だけでは済ませられないと思う瞬間があった。さらに、そこで確認した説明書にも原因が書かれておらず、タイマーが設定されていないのになぜ……という謎が残る。
いずれにせよ、第2章の時点では、私が夜な夜な耳にする家鳴りとテレビの音こそが、後に続く恐怖の「入り口」であることを示唆している。人間は音に弱い生き物だ。視覚で何かを見てしまうよりも、耳から入る不可解な気配は、幻想をどこまでも膨らませていく。墓地が目の前にあるこのアパートで、私はそれを身をもって体験することになるのである。
音が鳴るたびに布団をかぶり、ドキドキしながら朝を迎える――そんな生活が、いつまで続くのだろう? 家鳴りやブラウン管テレビの収縮音は、決して殺傷能力のあるものではない。だが、恐怖の大半は「想像力」によって生まれるという事実を、私はこのアパートで痛感し始めていた。
そう、すべては「家鳴りから始まった」――。もしも墓地のないアパートだったら、これほど恐怖を感じなかったかもしれない。だが、私はこの恵まれた立地と引き換えに、夜ごと音に怯える日々を送る運命を受け入れるしかなかったのだ。