あの日、初めてテレビの電源が勝手についたのは、深夜1時過ぎのことだった。もともと、古いブラウン管テレビの「ビシッ」という収縮音に悩まされていた私だが、ついにそれが“音”だけでは済まなくなったのである。
前章でも触れたように、家鳴りやテレビの樹脂音は「古い建物なら仕方ない」「経年劣化で冷えた筐体が軋むだけ」と自分に言い聞かせることで、なんとか納得していた。もちろん、夜中に響く不規則な音は怖かったが、まだ理屈で説明できる範疇だと思えたからだ。だが、「テレビの電源が勝手に入る」という現象は、それだけでは片づけられない強烈なインパクトを私に与えた。
1. 最初の異常――“パチッ”という音と白い光
その日は仕事で大きなトラブルが発生し、会社を出たのは夜10時を回っていた。疲れた体を引きずりながらアパートに戻り、スーパーの半額惣菜で簡単に夕飯を済ませる。シャワーを浴びて髪を乾かし、テレビをつけてニュースを眺めているうちに、時計の針は日付が変わろうとしていた。
「そろそろ寝るか」と思い、テレビの電源を切って部屋の灯りも消した。真っ暗な部屋の中、畳の上に敷いた布団に潜り込み、ようやくまぶたが重くなってきたとき――。
「パチッ……」
突然、テレビのスイッチが入るような音が鳴り、部屋の隅がぼんやりと白い光で照らされた。
「えっ……?」
思わず目を開けると、ブラウン管テレビの画面が淡い光を放っている。リモコンを触った覚えはないし、そもそも手元にもない。私は混乱しながら、布団から体を起こした。テレビの方向に目をやると、どうやら何も映っていないが、画面はかすかに明るくなっているようだ。
「どういうこと……?」
頭は半分眠っていたが、それでも異常事態であることはすぐに理解できた。恐る恐るリモコンを探り、電源ボタンを押す。すると、テレビは「ジー……」という音とともに再び暗転した。
「気のせいかもしれない。タイマーでもかかってたのかな……」
寝ぼけまなこでそう考えながら、私は再び布団に潜り込む。だが、その安堵は数分と続かなかった。
2. 繰り返される不可解な電源ON
再びうつらうつらし始めた頃、またしても「パチッ」という音が鳴り、同時に画面が白く光った。
「うそ……!」
今度ははっきりと目が覚めていたので、夢ではないと断言できる。私は急いで布団を出て、リモコンで電源を切る。画面が暗くなり、部屋も再び闇に包まれた。
しかし、その後も同じ現象が3回、4回と続いた。5分おき、あるいはもっと短い間隔で「パチッ」と音がして画面が光り、私はそのたびにリモコンで電源を落とす。それでも、しばらくするとまた勝手に画面がついてしまう。
「なんなの、これ……」
怖さと苛立ちが入り混じり、私はついにコンセントを抜こうと思い立った。布団を抜け出し、テレビ裏のコンセントに手を伸ばす。プラグを抜き去ると、画面は音もなく静かに消え、そのまま真っ黒になった。
さすがにコンセントを抜いてしまえば、もう電源が入るはずはない。それでも、自分の耳に残った「パチッ」という音が頭を離れず、私は一晩中布団の中で震えていた。何度かうとうとしたが、夜明け近くまでぐっすりと眠ることはできなかった。
3. 説明書に書かれた「故障かな?」の項目
翌日、仕事でのパフォーマンスは最悪だった。寝不足がたたって頭が重く、会社でもあくびが止まらない。ミスが増えて上司に叱られ、昼休みにようやく落ち着けたときに私は「これは本当にまずいな……」と思った。単なる家鳴りなら我慢できるが、テレビの電源が勝手に入るなんて正常ではない。
帰宅すると、疲れた体を引きずりながらも、まずはテレビの取扱説明書を探し出した。かなり古いブラウン管テレビで、十数年前に購入したものだ。説明書も色あせており、文字が小さい。めくりながら、「故障かな?と思ったら」という項目を探す。
ようやく該当ページを見つけると、その一節にこう書かれていた。
> 「電源が勝手に入る場合は?」
> 「オンタイマーやオフタイマーが設定されていませんか?」
私は思わず「これだ……」と呟いた。そうか、タイマーが誤って設定されている可能性があるのかもしれない。実家にいた頃、母が録画タイマーやチャンネルを設定していた記憶もある。もしかすると、どこかで誰かがオンタイマーをセットしたのかもしれない……。
私は期待を込めてテレビのリモコンを手に取り、オンタイマーとオフタイマーの項目を確認してみた。だが、どちらも「OFF」のままで設定などされていない。念のために何度も操作してみるが、タイマー類は一切使用していない状態だ。
「え……? じゃあ、どうして勝手に電源が入るの……?」
説明書をさらに読み進めても、他に思い当たる原因は書かれていない。コンセントを抜いても問題ないとは書かれているが、そもそも普通はコンセントを挿したまま使うものだ。
結局、合理的な説明を得られないまま、私は「とりあえず夜はコンセントを抜いておこう」という暫定対策を取るに至った。
4. 夢か現実か――深夜の白い画面
コンセントを抜いてさえいれば、もう勝手に電源が入ることはない。そう思って安心したのも束の間、私は翌日の夜にさらに奇妙な体験をする。
深夜、ウトウトしていた私の目に、再び白い光が飛び込んできた。部屋が薄明るくなり、テレビの「ジー……」という微かな音が耳に届くような気がする。
「また……電源が入った……?」
私は驚いて布団から飛び起きた。だが、目をこすりながらテレビを見ると、画面は真っ暗なままでコンセントも抜けている。
部屋に光はなく、リモコンも放り出したままだ。
「夢だったの……?」
心臓が高鳴り、汗がにじみ出てくる。確かに、飛び起きる一瞬前には白い光が見えた気がした。だが、今となっては部屋は漆黒の闇に包まれているし、テレビが点いている様子はない。
私は寝ぼけて幻覚を見たのかもしれない。あるいは、通りの街灯か車のヘッドライトが一瞬差し込んだのかもしれない。様々な可能性を頭の中で並べてみても、自分が確かに「テレビが点いた」と感じた事実を拭い去ることはできなかった。
この日から、私は半ばノイローゼのようになり始める。夜になると「またテレビが勝手に点くんじゃないか」「自分が寝ぼけて幻覚を見るんじゃないか」と不安に駆られ、落ち着いて眠れなくなった。音だけではなく、光までもが私を脅かすようになったのだ。
5. テレビのコンセントを抜く生活
私は意を決して、夜はテレビのコンセントを必ず抜く習慣をつけるようにした。寝る前の数時間だけ使いたいときも、そもそも電源を入れること自体が怖くなってしまい、帰宅後はPCやスマホでニュースを見て過ごすことが増えた。ブラウン管テレビは角に埃を被ったまま放置されることが多くなり、存在自体が私にとって不気味なオブジェと化していた。
それでも、現象そのものは確かに治まった。コンセントが抜けている以上、物理的に電源が入るはずはない。夜中に布団の中で身をすくめながらも、「大丈夫、抜いてあるから大丈夫」と自分に言い聞かせることで、なんとか安眠を確保できるようになった。
しかし、一度芽生えた不安は簡単には消えてくれない。夜更けに布団に潜っていると、どこかで「もしコンセントが抜けていなかったら……」という妄想が頭をよぎる。さすがに布団を出て確認するほど神経質にはならなかったが、一晩に何度も目が覚めるようになり、心底疲れ果てていた。
6. 墓地の存在が恐怖を拡大させる
もちろん、これらの恐怖には、アパートの目の前に広がる墓地の存在が大きく関係している。「テレビが勝手につく」という現象自体は、ただの故障かもしれない。オンタイマーが設定されているわけでもない以上、基板の接触不良や経年劣化で説明できるかもしれない。だが、そこに「墓地が見える」という要素が加わると、どうしても心のどこかで「霊の仕業ではないか」と想像してしまうのだ。
理性では「そんなわけない」と否定しても、夜中に不意に電源が入る光景を思い出すと、どうしても「幽霊がテレビを介して現れるのでは?」という悪夢めいた考えがよぎってしまう。いつもカーテンを閉めているとはいえ、あの窓の外には数多くの墓石が並んでいる――その事実が、私の想像力を底なしに掻き立てる原因となっていた。
「自分が神経質すぎるのかもしれない」
「ただの偶然や故障に過ぎない」
「霊的なものを怖がるなんて馬鹿らしい」
そう自分を説得しても、夜になると理屈が通用しなくなる。自分の意思に反して体が強張り、音や光に過敏に反応してしまう。昼間は笑い話にできても、深夜の静寂は全く違う現実を突きつけてくるのだ。
7. 不動産会社への連絡と空回り
「テレビの故障とはいえ、電気系統に何か問題があるのでは?」と思った私は、一度不動産会社に相談してみることにした。
このアパートは築30年で、リフォームはされているものの配線までは更新されていないかもしれない。もし電気回路に異常があれば、何かしらの影響で電源が入ることも考えられるのではないか――というのが私の仮説だった。
不動産会社に電話をすると、担当者は「そういう事例は聞いたことがありませんが、一応点検はしてみましょうか」と返事をくれた。しかし数日後、点検に来た業者の人は、「特に異常は見当たりませんね」と言うだけで、あっさり帰ってしまう。
確かに、普通に考えればコンセントからの電力供給があっても、タイマーが設定されていないテレビの電源が勝手に入る理由にはならない。もし経年劣化でそうなるのなら、テレビ本体の故障が疑わしいという結論になるだろう。つまり、アパートの配線や電気設備には問題がないのだ。
結果的に、私の相談は空回りに終わった。相変わらず夜はコンセントを抜く生活が続き、それでも「夢か現実か分からない白い光」を見ることが時々あり、私はますます精神的に追い詰められていく。
8. 現実と夢の曖昧さ――悪夢の始まり
夜中にテレビの光を見た気がして飛び起きても、実際にはコンセントが抜けている。夢なのか現実なのか、どちらとも判断がつかない。そうした体験を何度か重ねるうちに、私は悪夢にうなされるようになった。
夢の中で、私はテレビの画面をじっと見つめている。すると、砂嵐のようなノイズが走った画面の向こうに、どこか寂しげな姿が映る。最初は人間の形をしているように見えるが、次第にそれが血まみれの落ち武者のような姿に変わり、私に向かって迫ってくる――そんな噴飯もののホラー映像が、まるで現実のように体感されて目が覚めるのだ。
汗でびっしょりになったシャツを着替えながら、「自分はなんて馬鹿げた想像をしているんだろう」と思う。だが、一度こうした悪夢を見ると、夜にテレビがある空間が怖くて仕方がない。たとえコンセントを抜いていても、「画面に何か映るんじゃないか」とおびえ、テレビに背を向けて布団を敷くようになった。まさか、テレビに背を向けるだけでこんなに落ち着くとは思わなかったが、それだけ私は追い詰められていたのだろう。
9. 家電量販店での相談――そして振り出しへ
不動産会社や業者に相談しても埒が明かないとわかった私は、次に家電量販店で同様の事例を聞いてみることにした。休日を利用して店舗へ足を運び、テレビコーナーの店員さんに「古いブラウン管テレビを使っているが、勝手に電源が入ることがある」と打ち明けてみる。
店員さんは苦笑しながら、「かなり稀なケースだと思いますが、まれに基板の故障や内部回路のショートでそういう現象が起きる可能性はありますね。修理するより買い替えを検討されたほうが……」と答えた。正直なところ、私だって新しい液晶テレビを買う余裕があればそうしたいのだが、今の経済状況では厳しい。
「修理に出すとどのくらいかかりますか?」と尋ねても、「部品の在庫があるか怪しいですし、万が一あっても高額になるかもしれませんよ」と申し訳なさそうに言われるだけだった。
結局、ここでも根本的な解決には至らなかった。店員さんの提案通り、買い替えを検討するのがもっとも合理的なのかもしれない。だが、問題はそれだけではない。私にとっては「テレビが壊れているかも」という可能性より、「墓地のそばのこの部屋で起こる奇妙な現象」という恐怖が勝ってしまうのだ。
10. 第3章の終わりに――さらなる展開への伏線
こうして、「テレビの電源が勝手に入る」という不気味な出来事は、私の生活に深刻な影を落とすようになった。最初は単に「ビシッ」という収縮音が怖い程度だったのに、いまや夜が来るたびに「もしコンセントを挿したまま寝ていたら、また電源が入るのでは……」とビクビクし、悪夢にうなされ、何度も目を覚ましてしまう。
そして、私が抱える恐怖はテレビだけにとどまらず、やがては「水滴の音」や「早朝の足音」にも形を変えて押し寄せてくることになる。この一連の体験を通じて私は、「便利で安い物件には理由がある」という不動産業界の暗黙の常識を実感するのだが、それはまだ先の話だ。
この段階で私が強く認識していたのは、「目の前の墓地」と「古いテレビ」があいまって、自分の想像力を極限まで膨張させているという事実。もし墓地のないアパートだったら、こんなに怯えずに済んだかもしれない。もし新しいテレビを買う余裕があれば、こんなに神経質にならなかったかもしれない。そんな「もしも」を考えるたびに、私は自分の選択を悔やみそうになった。
だが、不思議なもので、人は簡単には引っ越せない。家賃3万円という破格の安さと、会社まで徒歩5分という立地の良さは、恐怖に勝るとも言える強力な魅力だった。私は結局、「夜はテレビのコンセントを抜く」という処置を続け、なんとか日々をやり過ごすことになる。少なくとも、この「勝手に電源が入る」問題は、私にとって深刻なストレスだったが、コンセントを抜けば対処可能である――そう思っていた。
しかし、現実はそう甘くはなかった。テレビを封印して得られた安堵は長くは続かず、別の形で私を追い詰める現象が起こり始める。深夜に静まり返った台所から聞こえる「ぴちゃん、ぴちゃん」という水滴音、そして早朝の屋根の上で鳴り響く足音。テレビに代わって訪れる新たな恐怖は、私の心を容赦なく掻き乱すことになるだろう――。