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第4話 :水滴の音





1. 深夜の静寂を破る「ぴちゃん」という音


 テレビの電源問題に悩まされていたある夜、私はいつものようにアパートに帰り、簡単な夕食をとってシャワーを浴び、布団に入った。あの日以来、夜になると必ずテレビのコンセントを抜き、リモコンは手の届かない場所に置くのが習慣になっていた。深夜に勝手に電源が入る恐怖を思い出すだけで、胸がざわついて落ち着かないからだ。


 ところが、その夜は珍しくテレビの「パチッ」というスイッチ音も、家鳴りの「ミシ…ミシ…」も聞こえてこない。私は久しぶりにぐっすりと眠れそうな予感を抱きながら、枕に頭を沈めた。


 それは午前2時を過ぎた頃だったと思う。突然、寝入りばなの私の耳に、とても小さいが鋭い音が届いた。


 「ぴちゃん…ぴちゃん…」


 最初は頭の中の幻聴かと思った。けれど、耳を澄ますと確かに規則的な間隔で音がしている。眠気が一気に吹き飛び、私は布団の中で息を殺して耳を研ぎ澄ませた。


 「ぴちゃん…ぴちゃん…」


 まるで水滴がシンクに落ちる音に聞こえる。たとえば蛇口が完全に閉まっていないとき、夜中にシンクへ落ちる水の雫が妙に響くことがある。実家でも何度か経験した記憶があったが、このアパートでは初めてのことだ。


 私は「蛇口をちゃんと閉め忘れたか」と考え、できれば放っておきたい気持ちだったが、音が耳について気になり始めると、もう眠れなくなってしまう。仕方なく布団を出て、暗い部屋の電気をつけ、台所へ向かった。


2. きつく閉めても止まらない水滴


 台所のシンクには古い蛇口が取り付けられている。私はハンドルをしっかりと回して、水が出ない状態かどうかを確認した。指先に力をこめてギリギリまで閉めるが、それ以上は回らない。にもかかわらず、蛇口の先端から透明な水の粒が、ポタリ、ポタリと落ち続けているではないか。


 水漏れの原因は、古いアパートによくある「パッキンの劣化」かもしれないと思った。こういう場合は業者を呼んで交換してもらうしかないだろう。だが、深夜2時にそれをやるわけにもいかない。私自身も明日は仕事があるし、今夜はとりあえず止める方法を考えるしかない。


 とはいえ、蛇口をいくら回しても止まらないものは止まらない。試しに反対にひねってみたら、当然水が勢いよく出るだけだ。シンク下の収納を開けてみても、水が漏れている様子はなく、配管に特別な異常は見られない。完全に蛇口本体の老朽化だろうか――そんなことを考えながらも、「ここまでしっかり閉めてるのに止まらないなんて、少しおかしいのでは?」と、不安と苛立ちが混じる感情がこみ上げてきた。


 シンクに落ちる水滴は意外と響く。*「ぴちゃん…ぴちゃん…」*と規則正しいリズムを刻み、まるで催眠術のように神経を削ってくる。私は止まない水滴を恨めしそうに見つめながら、何とか対策を講じようと頭をひねった。そこで思いついたのが「音をスポンジで吸収する」という方法だった。


3. スポンジで音を封じる苦肉の策


 私はキッチン回りを見渡し、皿洗い用のスポンジを手に取った。もしシンクに落ちる水滴の真下にスポンジを置けば、水がスポンジに吸収されて音を出さなくなるだろう――理屈としてはそうだ。


 シンクの中央あたりにスポンジを置き、水滴の落下点をうまくスポンジの上に合わせる。すると、*「ぴちゃん」*という金属音に近い響きはほとんど消え、代わりに柔らかい「じゅ…」という湿った音が小さく聞こえる程度に抑えられた。耳を澄ませなければ気づかないくらいだ。


 「ああ、よかった。これで寝られる」


 実際、そのときはそれだけで大きな安堵感を覚えた。少なくとも今夜だけは、水のポタポタする音に悩まされずに済む。パッキンの交換は明日以降、大家さんか管理会社に連絡して対処すればいい。私はそう思い込み、台所の電気を消し、再び布団へ潜り込んだ。


 しかし、私はまだ気づいていなかった。水滴の音が収まったとしても、心に植えつけられた不安は消えないという事実を――。


4. 「音がしなくなった」ことへの不気味さ


 スポンジを置いたあと、部屋に戻って布団に入り、しばらく耳を澄ましてみる。先ほどまで気になっていた*「ぴちゃん…ぴちゃん…」*という音は確かに止んでいた。だが、今度はその静寂が妙に不気味に感じられるのだ。


 夜中に物音がすることは怖い。けれど、何も音がしない静寂も、それはそれで不安をあおる。私はふと「もし水滴が本当は止まっていないのに、音だけが聞こえなくなっているとしたら……?」などと考えてしまい、気持ちが落ち着かない。蛇口を閉めても水が止まらないという事実だけで、どこか“異常な力”が働いているのではないかと疑う自分がいた。


 「考えすぎだ」と思い直そうとしても、先日までのテレビの怪現象や、家鳴りの不気味さを思い出すと、どうしても頭から離れない。外にはあの広大な墓地がある。もし霊が部屋に入り込んでいたら――あるいは、アパート自体に何か因縁めいたものがあって、次々にこうした不可解な現象が起きているのでは――。そんな想像が、眠気を吹き飛ばすには十分すぎるほど強烈だった。


 私は枕元でスマホを握りしめながら、何度も画面を確認しては時間を気にしていた。結局、その夜は浅い眠りを繰り返し、朝になる頃には心身ともにどっと疲れを感じていた。


5. パッキンの交換――それでも不安は消えず


 翌日、私は仕事から帰宅したあと、管理会社に電話を入れ、水道の件を報告した。築30年のアパートだから配管や蛇口にガタが来るのは仕方ないが、「念のため交換をお願いできますか」と頼むと、管理会社はあっさりと「かしこまりました。業者を手配します」と受け付けてくれた。


 数日後、業者が来て蛇口のパッキンを交換してくれた。作業時間はものの10分程度だったが、これで水滴は止まるはずだ。私はこれで夜中の「ぴちゃん…」という音から解放されると信じ、胸をなでおろした。


 ところが、管理業者が帰った直後に蛇口を試してみると、確かに水の出は止まるようになっていた。だが、夜になり、再び静寂が訪れたとき、またしても微かな「ぴちゃん」という音が聞こえてきたのである。


 慌てて台所へ駆けつけると、シンクには小さな水滴が落ちている形跡。蛇口をひねってみるが、もう限界まで閉まっている。パッキンを交換したばかりのはずなのに――なぜ止まらない?


 私は不安と苛立ちを抑え、再びスポンジをシンクに置いた。音は大幅に軽減されるが、原因が解決していないことがわかった以上、もやもやした気持ちは拭えない。深夜に聞こえる水音は、私の心を容赦なく弱らせていった。


6. 水音が刻む恐怖のリズム


 それからというもの、夜中に目が覚めると「ぴちゃん…ぴちゃん…」という音が気になり、何度も布団を出て確認する癖がついてしまった。水滴が落ちるたび、まるで秒針のように時間を刻んでいるように感じられ、私はどんどん神経質になっていく。


 ある晩などは、気になりすぎてスポンジを置いたままでは不安になり、結局シンク下に雑巾を敷き詰めてみたり、蛇口の先に布を巻きつけてみたりと、さまざまな対策を試した。しかし、それでも完全に音を遮断することは難しかった。わずかな水が落ちる音は、布やスポンジを通しても微かに響くし、一度気になりだすと、その「ほんの微かな音」すら耳を捉えて離さない。


 さらに厄介なのは、音が止んでも「本当に止まったのか?」という疑念が消えないことだ。スポンジや布で音を吸収したとしても、蛇口から水がポタポタ落ちている事実は変わらない。私にとっては、水滴の音が存在すること自体が不気味なのだ。パッキンを交換しても直らないこの現象に、普通じゃないものを感じずにはいられなかった。


7. 墓地と水――嫌な連想


 夜中に水音を聞きながら、「もしや墓地の地下水とか、井戸にまつわる怪談めいた話が関係しているのではないか」と、まったく根拠のない連想が頭をよぎるようになった。どこかで読んだ怪談の一節が思い出される。古いお寺や墓地の近くでは、井戸や水が霊的な道を通す、などという噂だ。


 もちろん、理性的に考えれば関係ないとわかっている。私の部屋の蛇口は市営水道につながっているし、墓地に地下水があろうがなかろうが、直接影響はないはずだ。だけど、夜の闇の中で「ぴちゃん…」という音を聞いていると、どうしても悪い想像を拭えない自分がいる。


 こうして私は、家鳴り、テレビの電源、そして水滴という三重苦に翻弄される生活を送るはめになった。どれも「ただの故障」と言われれば納得するしかない程度の出来事なのに、墓地の存在がそれを“不気味なもの”へと変質させてしまっているのが現状だ。


8. 「水漏れ」ではないという業者の見解


 水道のパッキン交換後、再び漏れが止まらないことを業者に問い合わせると、「確認しましたが、いわゆる水漏れは起きていないようです。完全に止まっていないのは蛇口のバルブ部分に微妙な隙間があるせいかもしれませんが、どの家庭でもある程度は起こりうる現象ですね」という返答が返ってきた。


 「どの家庭でもある程度は……」


 それを聞いて私は少し脱力した。確かに、現に実家でも蛇口が完全に止まらずポタポタ落ちることはあったし、多くの人が経験する不具合かもしれない。だが、一度ホラーめいた視点で見てしまうと、「普通の現象」として受け止めるのが難しくなるのだ。


 たとえ蛇口の問題だとしても、私はなぜこうも続けて不気味な体験に晒されなければならないのか。墓地が見える窓、家鳴り、テレビ、そして水滴――すべてが偶然の範疇にあるのかもしれないが、それらが立て続けに起こることで、私の心は休まる暇がなくなっていた。


9. 深夜、布団に戻ったあとの恐怖


 水滴の音をスポンジで抑え、台所の電気を消して部屋に戻っても、私の心は落ち着かない。布団に入ると、まるで水音がまた聞こえてくるような気がして、何度も耳を澄ませてしまう。実際には止まっているかもしれないが、一度神経が高ぶるとちょっとした物音に過敏に反応するようになり、結局眠りを妨げられてしまうのだ。


 ある夜などは、カーテンの隙間から外を覗いてしまったことがあった。普段は意図的に開けないようにしているが、「何か外で物音がしているのでは」と疑心暗鬼になり、そっと布をめくってしまったのだ。そして、そこには暗がりの中にぼんやりと浮かび上がる無数の墓石……。もちろん動くわけもなく静まり返っているが、その光景を目にした瞬間、ゾッとしてすぐにカーテンを閉めた。こんな夜更けに墓地を眺めるなんて、自分で自分を怖がらせているようなものだ。


 「私、どうかしてる……」


 そう思わずにはいられない。しかし、連夜の睡眠不足と精神的な疲労が重なり、理性だけでは恐怖を抑えきれない状態になっていた。


10. 第4章の結び――さらなる不安の入り口


 こうして、私は夜な夜な「水滴」の音に怯え、それを吸収するためにシンクにスポンジを置くという苦肉の策でしのぐ生活を続けた。昼間はなんとか仕事をこなしながらも、同僚との会話に集中できないほど疲れており、上司にも「最近、顔色悪いよ」と心配される始末。もしこの状況がずっと続くなら、いずれ体を壊すのではないか――そんな不安が頭をよぎるようになった。


 しかも問題は、水滴の音だけでは終わらなかった。家鳴りとテレビの電源、そして水滴という三重苦を耐え忍んだ先に、さらに私を追い詰める出来事が待ち受けている。そう、薄暗い早朝、屋根の上から響いてきた足音――。今にして思えば、その足音こそが、私のこの部屋への恐怖を決定的に深める要因となった。


 しかし、まだこの時点では、私は何とか「故障や老朽化によるものだろう」と自分を納得させようとしていた。パッキンの劣化やテレビの経年劣化と同じように、「蛇口の閉まりが悪いだけ」。理屈で考えればそれが最も合理的な答えだ。けれど、一度「もしかして霊的な力が働いているのでは」と思い始めると、普通の生活音や故障すらも恐怖の対象に変わってしまう。これが墓地ビュー物件の“代償”だといえばそれまでだが、私にとっては、夜毎の水滴がそんな代償として納得できるものではなかった。


 最後に、私はその夜の光景を思い出す。布団に戻ったあとも、頭の中では「ぴちゃん…ぴちゃん…」という音が鳴り続けていた。実際に聞こえているのか、それとも幻聴なのか、もはや区別がつかない。耳を塞いでも、布団をかぶっても、その小さな音は頭蓋の内側でこだまするように感じられる。そして、うとうとしかけた頃に家鳴りが「ミシ…」と鳴ったり、テレビの幻覚がふっと光ったりするのだから、私の疲労と不安は一向に解消されなかった。


 こうして「水滴の音」という新たな恐怖が加わった私の生活は、もはや普通の一人暮らしの範疇を超えつつあった。次に待ち受けるのは、さらに理解しがたい「早朝の足音」の謎。そのとき、私はこの部屋が本当に「ただの古いアパート」なのか、はたまた「異界への入り口」なのか、心底分からなくなっていく。



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