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第9話 移転計画

 高校3年生の夏も終わりを告げ、とうとうリゾートホテル計画が本格的に始まった。チェーンソーの空を切り裂くような音が響き渡り、周囲の杉の木立が伐採され次々に運び出されていく。掘り起こした土砂を運び出すダンプカーが林道を往来するようになり、僕の家もその振動で激しく揺れ、窓ガラスがガタガタと鳴った。


(なんだよこれ、なんなんだよこれ!)


 僕は署名を募った日やホコラーとクッキーを分けた思い出がよぎり、拳を強く握った。経済的理由で、自らの山や田畠を売り渡した村人たちは、日々変わりゆく祖先代々受け継いできた景色に胸を痛め、涙を流した。そして、貴船様との歴史に、『移転しても守れるのか』と呟いた。賢治は行き場のない怒りを感じながら、ホコラーに会いに行った。5円玉を賽銭箱に落とすと、黄色い菊の花を花立に入れ、祠の扉をじっと見つめた。


「ホコラー、明日だよ」


 祠の扉がクククと震え、『頑張るよ』と聞こえた気がした。



 貴船様の移転作業は村人の希望もあり、大安吉日に行われることになった。移転作業は曳家工法で、貴船様を解体せずにパイプを建物の下に敷いて転がして移動することになった。誰もがその作業の無事を祈り、貴船様には千羽鶴や菊の花束が供えられていた。賽銭箱は難なく移転先へと運ばれた。(・・・良かった)村人の誰もが胸を撫で下ろした。次は祠だった。


「オーライオーライ、ストーップ!」


 村人の間に緊張感が走った。貴船様にワイヤーが掛けられた。タンポポをむしり取るようにゆっくりと吊り上げられた。(頼む!無事で!頑張れ、ホコラー!)賢治は両手を組むと天にその工事の成功を祈った。村人の誰もが固唾を呑む中、貴船様は地面から持ち上がり、移動のために並べられたパイプの上に置かれた。


(・・・・やった!)


 パイプの上に慎重に置かれた貴船様はその上をゆっくりと転がり始めた。工事の成功を確信したその時、パイプの一本が石に乗り上げた。あっという間の出来事だった。作業を見守っていた村人から悲鳴が上がった。斜めに傾いた貴船様は波打ち際の砂の城が崩れるように、ガラガラと音を立てて倒れてしまった。


「ホコラー!」


 僕は無我夢中で、制止する工事作業員の手を振り払って見るも無惨に姿を変えた、貴船様に駆け寄った。苔むした、えんじ色の屋根の下敷きになった祠は真っ二つに割れ、破片があちらこちらに散乱していた。(僕が守れなかった)と涙が溢れ、僕は割れた祠に手を伸ばした。


 その瞬間だった。


 割れた祠から黒い煙が噴き出し、空へと駆け上がっていった。それは他の誰にも見えず、賢治の目にだけ映った。


(・・・ホコラー?どこに行くの?)


 クククと笑い声が聞こえ、ふわりと白いタンポポの綿毛が賢治の手のひらへと落ちて来た。それは『どこにも行かないよ』と言っているようだった。


 貴船様が壊れてから、リゾートホテル建設用地で不可思議な出来事が続いた。

重機が突然止まり、作業員が足を挫き、本社役員が熱で倒れ、村では『貴船様の呪いか』とざわついた。それは神主の2度目の地鎮祭を以てしても収まる気配はなく、工事は中断。事実上、リゾートホテル建設は白紙に戻った。

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