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第2章:隣の席のダウナー文学少女 (00)

「……今朝のことだけどさ、俺、まだ夢見てたんじゃないかな」


 昼休み、屋上のベンチに座りながら、蒼馬は小さく呟いた。

 一緒にいた颯太が、無言でコンビニおにぎりを頬張りながら首を横に振る。


「現実だったよ。メイドが出てきて、生徒会長が発火寸前で、あと“盗聴器の設置場所リスト”って何だよ、普通」


「俺が聞きたいわ」


 屋上には風が吹き抜け、遠くで吹奏楽部のチューニング音がかすかに聞こえた。こうしていると、なんでもない高校生活に見えるのに――。


「それより、あの子の話、聞いた?」


 颯太が、不意にトーンを落とした。


「隣の席の、あの……名前、なんだっけ。静かすぎて印象薄いっていうか」


「絃葉だよ。川越絃葉」


「ああ、それそれ。なんか、“病弱”とか“文学少女”とか言われてるけど、あの子、どうもそれだけじゃないらしい」


「なにそれ、都市伝説かよ」


 蒼馬は苦笑しつつ、階段を降りていった――。


 放課後、教室に戻ると、絃葉はいつもの席で、文庫本を読んでいた。窓際の光に照らされるその横顔は、まるで一枚の静物画のように整っていた。


「……また、本?」


 声をかけると、絃葉はゆっくりと本から視線を上げた。


「ええ。あなたの声量、ちょうど一文ぶん、文字を読み飛ばしました」


「ごめん、それは……なんか悪い気がしてきた」


「謝る必要はないわ。読書に集中できないのは、私の意志の弱さのせい」


 蒼馬は、少し困ったように笑った。


(やっぱり、ちょっと面倒なタイプかも)


 彼女の喋り方は決して冷たくはない。ただ、すべてを見透かしたような淡々とした調子が、なんとも言えず距離を感じさせた。


「ところで。さっき、あなた、香さんに“ご主人様”って呼ばれてたけど……まさか、本気でそういう関係なの?」


「やめてくれ。なんでそういう風に広まってんだよ……!」


「面白いからじゃないかしら?」


「それを言うな」


 蒼馬が顔を覆うと、絃葉はほんの少し、唇の端を持ち上げたように見えた。

 笑った――のかもしれない。いや、気のせいかもしれない。とにかく、表情の変化が絶妙にわかりづらい。


「あなた、読書は好き?」


「……正直、苦手だ。眠くなる」


「正直でよろしい。眠くなるような内容は、大体、書き手のせいよ」


 その発言には、妙な説得力があった。


「でも、“この一文を読むために数百ページをめくる価値があった”と思える本に出会ったことがある?」


「……いや、たぶん、ない」


「なら、私が貸してあげるわ。ちょっと毒が強いけど、心に刺さるやつ。……そういうのが好きそうに、見えるから」


 絃葉は、机の中から一冊の薄い本を差し出した。表紙には、一輪の白い花と、無題のタイトル。


「……ありがとう。読むよ」


「読むだけじゃダメ。感想、きかせて」


 その目は、じっと蒼馬を見ていた。


(この子……こんなに強い目をするんだ)


 ダウナーで無口で、文学少女。

 でも、何かを本気で伝えようとしてくるこの目だけは、思っていたよりずっと熱かった。


 つづく(01)>>

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