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第2章:隣の席のダウナー文学少女 (01)

 翌日――。


 放課後の図書室は、図書委員の柔らかな「お静かに」の声と、ページをめくる音だけが空気を支配していた。

 蒼馬は、昨日絃葉から借りた本を抱えて、意を決してその空間に足を踏み入れた。


「ここ、空いてる?」


 彼女は、窓際の席で既に読み耽っていたが、静かに頷いた。


「ええ。席は空いてるわ。でも、心までは空けてないから」


「それ、座る前に言われるとちょっと緊張するんだけど……」


 椅子を引いて座ると、絃葉が本を閉じて、こちらをじっと見つめてくる。


「……読んだ?」


「ああ。最後まで」


「感想は?」


「なんていうか、読んでて……痛かった。主人公の気持ちが、ひたすら自分に刺さってくる感じ」


「ふうん。それ、嫌だった?」


「いや……逆に、少し楽になったかもしれない」


 絃葉の目が、一瞬見開かれた気がした。


「そう。なら、よかったわ」


 彼女は再び本を開こうとしたが、ページをめくる手が止まった。


「実はね、あの本、私の父が書いたの」


「……え?」


「筆名だけどね。昔は売れてたの。でも……ある時から、何も書けなくなった」


 彼女は視線を本に落としながら、続ける。


「感情を押し殺すようにして生きてる父を見てると……時々、怖くなるの。ああ、私もそうなるのかなって。感動しないふりをして、誰とも向き合えなくなって……ただ、文章だけを盾にして生きるような」


「でも、あの本を選んで俺に貸してくれたのは、絃葉だろ?」


「……そうね。あなたはたぶん、正面から人の言葉を受け止める人だと思った。拒絶してないもの、誰かの痛みを」


 静かな口調。でも、確かに“言葉”として、蒼馬に届いた。


「ありがとう。……たぶん俺、読んでよかったよ」


「感想が“読んでよかった”って、それ感動した映画のエンドロールじゃない。もうちょっと捻りなさいよ」


 思わず笑ってしまった。

 そして、絃葉もまた、小さく笑った。目元がふわっと緩んで、初めて“普通の女の子”らしい表情を見せた。


「……こんなふうに笑うの、久しぶりかも」


 ぽつりと、呟く。


「それ、俺のおかげ?」


「どうかしら。あなた、“成果は自分だけのものにしたい”タイプなんでしょう? じゃあ、あげない」


「意地悪だな……」


「文学少女は、意地悪なぐらいがちょうどいいの」


 外の空が、ゆっくりと夕焼けに染まり始めていた。

 その淡い光に包まれた絃葉の横顔は、まるでさっき読んだ本の最後の一文のように、強く胸に残った。


 つづく(End 第2章完)

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