放課後、誰もいない教室に残されたのは、蒼馬と香澄だけだった。
生徒会室の資料を返しに来た蒼馬に、「ちょっとだけ話したいことがあるの」と彼女が呼び止めたのだ。
「ねえ、蒼馬くん。……ちょっと、昔話してもいい?」
「珍しいな。いつもは“今が全て”ってタイプかと思ってた」
「……ほんとはね、そうじゃないの。私、結構、引きずる性格なのよ。プライドも高いし、負けず嫌いだし……でも、それでうまくいったこと、あんまりない」
窓の外には、もう陽が沈みかけていた。西日が教室の隅に長く影を落とす。
「中学の頃、生徒会長やっててね。“誰にも弱みを見せるな”って、そればっかりだった。頼られるのは嬉しかったけど……なんだろ、どんどん自分の感情が乾いていく感じ。だんだん笑えなくなって、眠れなくなって……」
「それで、今みたいな“甘えん坊路線”に?」
香澄は苦笑して、指で自分の頬を軽くつついた。
「違うの。あれは……試してるのよ、周りを。私が弱くても、甘えても、ちゃんとそばにいてくれる人っているのかなって。ずるいでしょ?」
蒼馬は答えなかった。香澄は、静かに話を続ける。
「でもね、蒼馬くんは……なんていうか、距離の取り方が上手い。寄りすぎず、突き放しすぎず、ちょうどいい」
「褒められてるのか、傷つけられてるのか、判断に迷うな」
「褒めてるの。ちゃんと、私の境界を見てくれてるって意味で」
ふと香澄が近づき、机に両手をついて、蒼馬を覗き込むように見つめた。
「だから……もうちょっとだけ、甘えさせて?」
「……どんな“ちょっと”かによるな」
「じゃあ、帰り道だけ。一緒に歩いてくれるだけでいい。……それなら許される気がするから」
その表情は、いつもの生徒会長の仮面とは違っていた。
素直で、照れくさそうで、けれど本気の目だった。
「……わかったよ。帰り道、な」
「やった!」
香澄はくるりと背を向けて、荷物を肩にかけた。その姿は、どこか年下にも見えて――それがまた、蒼馬の胸を少しだけくすぐった。
教室を出ると、廊下は静かで、もう部活動の掛け声が遠くに聞こえる程度だった。
横に並んで歩く香澄は、なぜかずっと黙っていて、やがてぽつりとつぶやいた。
「今日だけは、生徒会長じゃなくて、ただの“女の子”でいさせて」
「……了解。じゃあ俺も、“ご主人様”じゃない普通の男子ってことで」
「ふふっ、そうね」
春の風が、二人の間をすっと通り抜けていった。
つづく(End 第3章完)