——誰もいないと思っていたけど、まだ人が住んでいるのかな。
それなら、どうやって神様にお願いをすればいいのかを、教えてもらえるかも知れない。そう思いながら近付いて行くと、明るく見える家は、他とは形が違っていた。それに、大きさも半分ほどしかない。
「あ、家じゃない……。お堂なんだ。じゃあ、ここでお願いをすればいいのかな」
私はお堂の扉を、そっと開けた。
「あれ……?」
お堂の中には、仏像や祭壇のようなものがあるはずなのに、何もない。中に入って見まわしてみても、やはり、何もない。
「おばあちゃんが言っていたことって、嘘だったのかな。はぁ……。今日は本当に、碌なことがないな……」
思わずため息をつくと、一気に身体の力が抜けた。もちろん疲れもあるけれど、不運なことが続くと、全てがどうでもよくなってくる。
「もう眠って、全部忘れたい……」
夜の山の中を歩くよりは、このままお堂で眠った方がいいだろう。そう考えながらお堂の奥へ行くと、床板の隙間から光が漏れていることに気が付いた。
——もしかして、下にも部屋がある……?
しかし、お堂の中を見まわしても、階段は見当たらない。それに、扉もない。どうやって地下へ行けばいいのだろうか。
「変なお堂……。何もないし、下へは行けないし……。板を剥がして行くとか? いや、それはおかしいか……」
私はその場に座り込んで、床板の隙間に爪をかけた。
すると——カタン、と音がした。それに、床板の一部が動いたような気がする。
——暗くてよく見えないけど、ここから下へ行けるのかも知れない。
私が埃だらけの床を両手で撫でると、指が入るくらいの隙間を見つけた。そこへ指をかけ、ぐっと引き上げる。すると、学校の机と同じくらいの大きさの、板を外すことができた。
床にあいた穴の下には、石段があるようだ。
「こんなところに、人が住んでるの……?」
どう考えても、まともな人ではないような気がする。それでも、神様にお願いをする方法が分からないと、苦労してここまで来た意味がなくなってしまうので、行くしかない。
私は、ぼんやりとした灯りに照らされた石段を、ゆっくりと下りた。
地下にある部屋は、床も壁も石で出来ていて、ひんやりとしている。そして、白っぽい灯りが見えていたので、部屋の照明かと思っていたら、全く違っていた。
部屋の中には、丸い鏡が幾つか置いてある。その鏡に月明かりを反射させて、部屋の中を明るくしているようだ。もしかすると、ただ明るいだけで、人が住んでいるわけではないのかも知れない。
部屋の中を見まわしても、上にあるお堂と同じで、何も見当たらなかったが、奥は赤い格子で仕切ってある。それは別の部屋というよりは、牢屋のように見えた。
「お堂の下に牢屋があるなんて、変なの」
お城の地下などに牢屋があるのは、テレビ番組などで見たことがあるけれど、お堂は神様に祈りを捧げる場所のはずだ。どうして牢屋があるのだろうか。
牢屋の奥は暗くなっていて、よく見えない。近付いて格子に顔を近付けた時——。
「誰だ」
低い声が、地下室の中に響いた。
「ひっ!」
身体が跳ねて、そのまま尻餅をついてしまった。心臓の音がうるさい。身体が震えて呼吸をするのが苦しくなった。
「……なぜ怯える?」
暗い牢屋の奥に、金色に光る物が2つ現れた。それは、ゆっくりと私の方へ近付いてくる。
怖くて逃げたいのに、足に力が入らない。
そして、金色に光るものが格子の前まで来ると、それが男の人の目だということが分かった。真っ白な髪が、月明かりに照らされて輝いている。長めの前髪は、神秘的な金色の目を、少しだけ隠していた。
男の人はたぶん、私より少し上。高校生か大学生くらいに見える。黒い着物を着て、下駄を履いている。
こんな綺麗な顔立ちをしている男の人に会えば、いつもなら喜ぶはずなのに、今はなぜか、怖い——。
「お前、何も持っていないじゃないか」
男の人は目を細くして、私を見下ろした。
「あ、あなたはなんで、こんな所に……?」
「知るかよ。気が付いたら、ここに閉じ込められていたんだ。お前たち人間が閉じこめたんだろうが」
「人間……? あなただって、人間でしょう?」
「フン。人間はすぐに死ぬだろう。俺は、人間のガキが年老いて死に、その子供もまた年老いて死んでいくのを、何度も見てきたんだ。お前らみたいな下等なものと一緒にするな」
「じゃあ、あなたは……何なんですか?」
「さぁな。覚えていない。人間どもは、マガツヒサマとか、カミサマと呼んでいたな」
そういえば、こんな金色の目をしている人は、見たことがない。
——まだ人間じゃないなんて信じられないけど、マガツヒサマ、カミサマ……。もしかしてこの人が、おばあちゃんが言っていた神様なの?
図書室で神話の本を読んだ時に、似たような名前を見た気がする。たしか、禍津日神と書いてあった。でも、禍津日神は、悪い神様だったはず。
——願いを叶えてくれる神様なら、禍津日神とはまた違う神様だよね……?
「あーあ。久しぶりに美味いものが喰えるかと思ったのに、何も持ってこないとはな。言っておくが、供物がないなら願いは聞かないからな」
「供物って……お供え物のことですよね……。お供え物を持ってきたら、願いを叶えてくれるんですか?」
「ずっとそうしてきた。お前は知らないのか?」
「私は今日、初めて来たんです。ここに、あなたがいることも知りませんでした。……あのぅ、何を持ってくればいいんですか?」
私が訊くとカミサマは顎をしゃくるようにして、牢屋の奥を指し示した。
——え……?
暗がりに、白い塊が積み重なっているのが見えた。
長細いものや、平べったいもの。それに、穴が2つあいた丸いものがある。
「え……。あれって、もしかして……。人間の、骨……?」
「あぁ。あれは硬いから喰わない」
「硬いからって……。まさか、あ、あなたが……食べたってこと、です、か?」
「あれは供物だ。喰うに決まっているだろう。持ってくるなら赤子にしろよ? 大きくなったのは硬くてまずいからな」
急に喉の奥が閉まったような感じがして、うまく呼吸ができなくなった。
——人間を、赤ちゃんを、食べた……? 嘘でしょ? そんなの、聞いてない。ここは、来ちゃいけない場所だったんじゃ……。
「なぜ怯えた顔をする?」
カミサマは私の顔をじっと見つめた。
「だって! 人間を……食べるなんて!」
「だからどうした」
「どうしたって……。人間は、食べ物じゃない! あの子たちは、生きてたんでしょ?」
「人間も生きているものを喰うだろう。それなのになぜ、人間は喰い物じゃないんだ?」
「何で、って……」
「俺にとっては豚も魚も人間も同じ、ただの供物だ。大体、赤子を供物だと言って寄越すようになったのは、人間だぞ?」
「そんな……嘘よ」
「嘘じゃない。他の味を忘れてしまう程長い間、俺は赤子しか喰っていない。それはこの村の人間どもが、赤子しか持ってこなかったからだ。雨を降らせてくれ、作物がたくさん育つようにしてくれ、流行り病を治してくれ。そう願う度に、人間どもは赤子を供物として、俺に寄越したんだ」
「……酷い……」
私が言うとカミサマは、ハハッ、と声をあげて笑った。
「愚かな人間どもの考えそうなことだ。お前が今言ったように、自分たちが酷いと思うからこそ、効力があると考えたんじゃないのか? あいつらは自分たちが生き残るために、赤子の命を犠牲にしたんだよ」
——犠牲……。
生贄になった子供と自分が重なった。なんて自分勝手な親たち。どうして、何も悪いことをしていない子供が、苦しまないといけないのだろう。
子供を犠牲にして、自分たちは楽をしようなんて——許せない。
「ふっ。面白いやつだな、お前」
私が顔を上げると、カミサマは意地悪そうな笑みを浮かべて、私を見ていた。