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第29話 お出かけですか? はい、ブラジャーを買いに

 薄雲一つなく、青く広がる午後の空。

 オレとスミレナさんは、ミノコの背中に跨り、好天に恵まれた【メイローク】の大通りを闊歩していた。


「あ、今の人、髭とかすごくもじゃもじゃでした! それになんか、背は低いのに体つきはがっしりしていて、あれってもしかして」

「ドワーフよ」

「あそこ、向こうから歩いてくる人は狼男ですか!?」

「ワーウルフね。とっても狩りが上手な種族なの」


 静かな夜と違って大通りは賑わい、視界に飛び込んでくるもの全てが興味を引いた。

 おかげで、沈んでいた気持ちもすっかり晴れ、初めて遊園地を訪れた子供のようにオレは目を輝かせている。


「それよりもリーチちゃん、もっとしがみついて。振り落とされてしまうわよ」

「や、そこまで揺れてはいないと思んですけど」


 スミレナさんたっての希望で、今回はオレが後ろに座っている。

 ミノコが普通に歩くと、人間の徒歩か、それ以下の速度なので静かなものだ。


「うふふ、楽しみだわ。初めてブラジャーをつけるのって、ドキドキするでしょ」

 それも呆気なく、スミレナさんの一言で鬱テンションへと引き戻されてしまった。

「下着か……。気が滅入ります」

「安心して。リーチちゃんに似合う、とっても可愛いのを選んであげるから」


 ありがとうございます。でも、そんな心配は一グラムもしてませんので。

 オレは一張羅のワンピースのスカートを、下に引っ張るようにして押さえつけた。

 朝一で洗濯してくれてあったので、昼前には乾き、またこうして着ているわけだけど、生足を吹き抜ける生温かい風が、どうにもこそばゆくて落ち着かない。

 乳首対策と翼隠しのため、今日はエリムの外套を最初から着用済みだ。裸足で外出するわけにもいかないので、こちらはスミレナさんにサンダルを貸してもらった。

 つの隠しはスミレナさんに頼み、髪をツーサイドアップにしてもらった。エリムがやってくれたような団子は無理でも、この髪型なら、いくらか練習すれば一人でも結えるようになるだろう。


 向かっているのは下着専門店というわけではなく、女性服全般を扱っているお店だそうだ。その道中、スミレナさんは何度も声をかけられている。


「――こんにちは、スミレナちゃん。ずいぶん大きな動物ねえ。後ろの子は?」

「訳あって、ウチで預かることになりまして。これから初めてのブラジャーを買いに」

「あらま。お嬢ちゃん、ブラはしないとダメよ?」


 酒場で働いているからなのか。それとも生来の人柄か。

 老若男女、さらには種族をも問わない。ここまでの道すがらで、スミレナさんが、この町でどれだけ慕われているのかがよくわかる。引きこもりのコミュ障だったオレには、一人一人に笑顔で応対していくスミレナさんが、とても眩しく映った。


「――やや、スミレナさん、変わった動物に乗っていますね。お出かけですか?」

「ええ。今から後ろの子の、初めてのブラジャーを買いに行くところなの」

「なんと。お嬢さん、ブラは自分に合った物を選ぶんだぞ」


 きっとエリムも、スミレナさんの、こういうところを尊敬しているんだろうな。

 そして驚いたことに、誰一人として、ミノコを見ても脅える素振りを見せない。見慣れない動物が歩いていることを珍しがりはしても、ミノタウロスを連想している気配が無いのだ。

 その要因が、ミノコが装備している、エリムお手製のツノカバーだ。

 鍋掴みを再利用したもので、薄桃色のシニョンキャップみたいになっている。ミノコも気に入ったようで、装着してやったそばから尻尾を揺らしていた。


「――あー、スミレナお姉ちゃんだ。何これ、おっきー。どこ行くのー?」

「ウシという動物よ。ウシさんに乗って、後ろの子の初めてのブラジャーを買いに行くの」

「金髪のお姉ちゃん、そんなにおっぱいおっきーのにブラジャーしてないのー?」


 買い物にミノコを連れて行くのは、ミノコを町の人たちにお披露目して、危険な生き物ではないことを知ってもらうためではあったけど、ツノを隠しただけで、ここまでの効果を見せてくれるとは思わなかった。


「というかですね! なんで会う人会う人にブラジャー買いに行くってバラすんですか!?」

「少しでも早く、リーチちゃんのことを町の人たちに覚えてもらいたくて」

「ノーブラで外を出歩いてた女って認識されるんじゃないですかね!?」

「ごめんなさい。次はちゃんと、パンツとブラジャーを買いに行くって言うわ」

「よりいっそう悪くなるだけに思えるんですけど!?」


 第一印象が大事なのに、これでは痴女認定されてしまう。

 頭を抱えてスミレナさんの背中に隠れていると、また新たに声をかけてきた人物が。


「――む? スミレナ殿、これはまた、珍妙な動物に乗っておられるな」

「あら、こんにちは。いろいろあってウチで預かっているの。後ろの子と一緒に」

「……そちらの娘御も、どこか風変りであるな」

「うふふ、わかる? 今日からお店を手伝ってくれることになっているから、また改めて紹介するわ。今からこの子のブラジャーを買いに行かなくちゃいけないの」

「そ、そうであるか。引きとめて申し訳なかった。ではこれにて」


 武士口調の彼――彼だよな? 時折、口からしゅるりと長い、爬虫類の舌が見え隠れしていた彼は、全身が濃い緑色の鱗に覆われていた。


「今の人は、トカゲですか?」

「ええ、リザードマンよ。見た目が怖いから誤解されやすいけど、とっても人格者よ。ウチのお店にも来てくれるわ。他の人たちも、気の良さそうな人たちばかりだったでしょう?」

「そうですね。でも、それこそスミレナさんが、万人に慕われる人格者だからじゃ?」

「あらあら、持ち上げてくれるわねえ。そうだったらアタシも鼻が高いんだけど」

「違うんですか?」

「少なくとも、この町の領主と、王都の偉いさんからは疎まれているかしらね」

「疎まれているって、スミレナさんが? なんでです?」


 王都は確か、【ラバントレル】とかいう名前だったっけ。


「リーチちゃんにも関係することだから、言っておかなきゃね。これは本当の本当に真面目な話だから」

「本当の本当にって念を押さなきゃならない、これまでの所業を省みてください」


 うふふ、と笑って誤魔化すだけで、約束はしてくれなかった。


「何から話そうかしら。やっぱり世界の大局からかしらね」

「想像以上にでっかい話になりそうですね」

「まずは、ええと、この世界にはね、魔王という存在がいるの」

「魔王!? いるんですか!?」


 そういや転生する時、変態職員が、過去に魔王と戦った勇者がいたとか言っていた気が。


「いるのよ。で、その魔王の配下とされる種族は全て、人間に害を為す〝魔物〟に分類されているのね。これらと、主に人間は数百年もの間、ずーっと争い続けているわけ」

「人間と魔王、どっちが優勢なんですか?」

「んんー。若干、人間が優勢かしら。なんていうか、今代の魔王はあまりやる気が無いっていうか、世界征服に興味が無いんじゃないかって言われているわ。表舞台に全然出て来ないから、どんな姿をしているのかも知られていないの」

「世界征服に興味が無い魔王なら、和平の道もあるんじゃ?」

「どうなのかしら。そのあたりは、アタシのあずかり知らぬところだし」


 なんだろう。ちょっと魔王に親近感がわく。そいつ、ただの引きこもりだったりしない?


「世界の大局は、ざっくりこんな感じ」

「大局の説明終わりですか!? ホント、ざっくりでしたね。えと、じゃあオレも、一応は魔王の勢力に属しているってことなんですか?」

「いいえ、魔物の全てが魔王の勢力にあるわけじゃないわ。サキュバスは、言ってみればフリーランスな魔物よ。だけど人間の中には、魔物は全て討伐対象だとする偏った考え方をする人もいるの。特に、王都の頭の固いお偉いさんに多いわね」


 なんとなく、スミレナさんが疎まれている理由ってのが想像できた気がする。


「ここ、【メイローク】は近隣都市の宿場として利用されることが多いから、自然と多くの種族が出入りするの。それは、少し歩いただけでもわかったでしょ?」

「それは、はい。ちょっと感動してます」


 本当にファンタジーな世界に来たんだという実感を、今まさに得ている。


「エルフやドワーフのように、人間と対等である証――保護指定を受けた種族ならなんの問題も無いんだけどね。保護指定と魔物指定、どちらもされていない種族というのもたくさんいるのよ。さっきのリザードマンの人もそう」

「それって、まずいことなんですか?」

「まずくなる可能性があるということを、お偉いさんは危険視しているの。どちらにも当てはまらない。それは言い換えるなら、人間の敵に回る可能性もあるということなの。魔王勢力にくみするかもしれないってね」

「そんな心配をするくらいなら、さっさと保護指定すればいいじゃないですか? 保護指定って、言ってみれば種族間の同盟みたいなものなんでしょう?」

「それがしないのよねえ。なんのプライドなのか、自分たち人間様と対等とみなす種族を増やしたがらないのよ」

「馬鹿みたいですね。プライドのために、自分から危険を増やすなんて」

「ええ、馬鹿よ。そんなわけで、偉いさんは【ラバントレル】や【メイローク】に保護指定していない種族が出入りするのを快く思っていないの」

「いや、逆でしょう。敵に回られたくないなら、むしろ仲良くするべきじゃ」

「アタシも、もっと仲良くするべきだと思うんだけど」

「仲良くしないのも、プライドですか?」

「ううん。魔王勢力と内通している者がいるかもしれないって勘繰っているの」

「うへ、超馬鹿だ」


 勝手に敵を想像し、勝手に敵を増やし、勝手に自分の首を絞めている。

 スミレナさんが疎まれているっているのも、保護指定されていない種族とも深く交流しているからだ。酒場がスパイの温床だとでも考えているのかもしれない。


「この町の領主がアタシを疎むのは、王都に睨まれたくないからね。小物なのよ。ウチにお酒や食材を卸さないよう市場に触れて回ったり、店に来て難癖をつけたりと地味な嫌がらせをしてくるわ」

「だ、大丈夫なんですか?」

「ええ、蚊に刺される程度よ。領主よりも、圧倒的にアタシの方が人望あるから」


 領主しょっぼ。

 というよりも、そんな風に言ってのけるスミレナさんがカッコ良すぎるのか。


「さて、退屈な話はこれで終わり。お店が見えてきたわ。楽しい時間の始まりよ」

「オレにとっては、試練にも等しい時間の訪れです」


 待ち受ける苦難を想像して、オレは店に入る前から疲労を蓄積していった。


 ……でも、それとは別。

 もっと重要なことが、今の話には含まれている。

 スミレナさんが話を切ったのも、オレがそれに気づいたことを察したからかもしれない。


 保護指定されていないだけの種族と交流するくらいなら、いくらでも言い逃れはできるが、魔物指定されているサキュバスのオレを匿っているなんて知られたら、店を潰す理由を相手に与えてしまうことになりかねない。

 オレの存在が弱点になる。

 そんな恐れが、心に大きなしこりとなって残った。

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