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第46話 一触即発

「エリムを魅了するって、何言ってるんですか!? スミレナさんの弟ですよ!?」

「だったら、見ず知らずの男の人にする? アタシは事情を説明できる相手の方がいいと思う。下手に恋人のいる相手を魅了なんかしちゃった日には、余計な問題を呼び込むことにだってなりかねないもの。それを考えるなら、エリム以上の適任はいないと思うわ」

「そ、それはそうかもですけど……」


 淡々と語るスミレナさんに、メロリナさんが背伸びをして耳打ちをした。


「いいのかや?」

「エリムなら、魔力無しで、とっくに魅了されているようなものだから」

「ほうほう、なるほどのう。りぃち本人は気づいておらんようでありんすが?」

「そこがまた、リーチちゃんのアホ可愛いところなの」

「カカ。お前さんも、いい趣味だのう」


 何をコソコソ喋っているのか、当人そっちのけにして、エリムを魅了するという方向で話が進んで行ってしまう。

 スミレナさんが、血の湖に浮かんでいるエリムの肩を揺すった。


「いつまで寝ているの。早く目を覚ましなさい」

「う、ううん……。ここは……どこ? 僕は……誰?」


 なんか、大変なことがエリムに起きていた。倒れた拍子に頭を打ったか。


「ここはアナタが仕えている家。主人はアタシ。そしてアナタの名前はエロムよ」

「僕は……エロム?」

「スミレナさん、事態が事態なんで、今は真面目にお願いできますか?」

「ごめんなさい。アタシの中の何かが、チャンスだ! と囁いた気がして」


 だからって、弟の記憶と名前を改ざんしようとしないでください。


「エリム、しっかりなさい。今リーチちゃんを助けられるのはアナタだけなの」

「ん、うんん? リーチ、さん?」


 まだ意識がはっきりしないエリムの頬を、スミレナさんが気つけだとばかりに、ベシ、バシ、ボギ、メキョ、と叩いていく。


「あだ、うべ、はぶ、ね、姉さん、も、やめて! 起きた! 目も覚めたから!」

「そ。じゃあ今から、リーチちゃんがアナタを魅了するから、そこに正座待機」

「み、魅了?」


 ざっと簡潔に、スミレナさんがエリムに状況を説明していった。

 メロリナさんがサキュバスだったことを、エリムは初めて知らされたわけだが、驚きよりも「やっぱり人間じゃなかったんですね」と妙に納得していた。

 オレも今さらに、サキュバスって長命なんだなと思った。てことはオレもか?


「事情はだいたいわかりました。リーチさんを救えるのは僕だけ。そういうことであれば、迷う余地なんてありません。この体、どのようにでも使ってください」

「おい、そんな簡単に決めていいのか!? 魅了って、ある意味精神支配だぞ!?」


 永続的なものじゃないとしても、それがきっかけで、エリムとの友達関係にヒビが入ることだってありえる。だったらいっそ、赤の他人の方が――。

 そんな危うい考えを感じ取ったのか、エリムがオレの不安を取り除くかのように柔らかく微笑んだ。


「リーチさん、心配いりませんよ」

「……根拠あるのか?」

「根拠も何も、これは確定事項です。サキュバスの魅了がどれほど強力だろうと、僕の、リーチさんへの気持ちが変わるわけじゃありませんから」

「お前、そこまで……」


 そこまで、自信を持ってくれているのか。

 何があっても、オレとの友情は不滅だって。


「やってください、リーチさん」


 ああ。

 ああ。

 ここまで言ってくれる奴を、オレはもう、ただの友達だなんて思えない。


 エリム、お前は……オレの親友だ。


「わかった。お前の覚悟は無駄にしない。だからオレも逃げない。ここで引いたら男がすたるってもんだよな」

「リーチちゃん、女の子よ」

「こやつら、素でやっとるのかや?」


 外野から何やらツッコミが入ったようだが、オレとエリムの熱い思いを冷ますには至らない。エリム、見せてやろうぜ。オレたちの友情パワーを。

 とはいえ。


「いざ魅了と言われても、何をどうやればいいのか」

「ちゃんと魅了が発動すれば、同種族のわちきには、お前さんの魔力の流れを感じ取れる。とりあえず、じっと見つめてみなんし」

「了解です」


 メロリナさんに言われたとおり、オレは、背筋を伸ばして正座しているエリムを睨みつけるようにして凝視してみた。


「どうだ?」

「ちょっとドキドキしますが、特にこれと言って」

「リーチちゃん、目が怖いわよ。不安げな気持ちは残しつつも、優しく笑いかけるように。それでいて小首を軽く傾げて上目遣いを心掛けるのよ」


 スミレナさんはサキュバスじゃないけど、花盛り女性。その意見は貴重だ。


「えと、こんな感じですか」

「ぐうっ!?」


 実践した瞬間、エリムが心臓のあたりを押さえて苦しみだした。

 これはもしや。すかさずオレは、メロリナさんに意見を賜ろうと振り返った。

 が、ふるふると首を横に振られてしまう。魅了は発動していないってことか。

 でもそれじゃ、エリムは何に苦しんでいるんだ?


「リーチちゃん、そこでもう一言よ」

「は、はい。んと、エリム、頑張れー?」

「違うわ! エリムが何を頑張るの!? そうじゃなくて、もっと萌え萌えできゅんとくる台詞よ! やり直し!」

「そんなの、いきなり言われても思いつきませんよ」

「なら、アタシから案を出すわ。耳を貸して……ごにょごにょ……こう言うの」

「え、えぇ、そんなこと言うんですか?」

「自分の命がかかっているのよ!? 恥ずかしがっていてどうするの!?」

「わ、わかりました」


 スミレナさんも、思わず声を荒げてしまうほどオレを心配してくれている。

 ……と思いたい。

 だったらオレも、恥ずかしさを屈服させるつもりで臨まねばなるまい。

 小首傾げと上目遣いは維持したまま、少し体をもじもじとさせ、そして言う。


「リ、リーチのこと……エリムくんの……お嫁さんにしてほしいな……」


 くひょぉぉお、顔面発火しそう。

 逃げ出したくなる羞恥心を気力で抑え込み、オレはエリムの反応を待った。


 エリムは、さっきみたいに大きなリアクションは取らない。

 代わりに、正座の姿勢から落ち着いた所作で立ち上がり、オレの目を真っ直ぐに見つめてきた。きりりと表情を引き締めた、精悍な男の顔をしている。


「必ず幸せにします。リーチさん、僕と結婚してください」

「メロリナさん、これかかってます!?」

「かかっておらん。魔力の流れを一切感じんせん」

「エリムの馬鹿野郎! まぎらわしいことを言うな! こっちは冗談でやってるんじゃないんだぞ!? ネタにネタを被せて遊んでる場合か!」

「いや、多分、僕のこれまでの人生で、一番真剣だったんですけど……」

「やだ。ウチの弟、超不憫」


 くそ、なんで発動しないんだ。魔力ってなんだよ。どうやれば使えるんだよ。

 もう一度エリムに正座してもらい、次なる手を考える。


「他には無いですか!? もうこの際なんで、なんでもやりますよ!?」

「小首傾げ&上目遣いくらいじゃ甘かったのかもしれないわね。もっと相手を誘惑するポーズを取ってみるというのはどうかしら?」

「有効な手でありんすよ。蠱惑的な仕草をすれば、ほぼ確実に魅了は発動する上、効果も増幅しんす。その分、より多くの魔力を消費できんす」

「誘惑のポーズですか。例えば?」

「前屈みになって腕を下へ向けて伸ばし、おっぱいを寄せて谷間を強調するのよ」

「わちきやすみれなでは、どう寄せても叶わん夢のようなポーズでありんすな」


 二人してわざとらしく、よよよと涙を拭う真似をする。


「や、やってやろうじゃないですか!」


 自棄やけ気味にぐるぐると腕を回し、頭の中でポーズをシミュレーションする。

 屈むことで、重力に従って下へ伸びた胸を、横から腕で潰すように――。

 イメージが固まったところで、いざエリムへと向かう。


「……なんでスミレナさんまで、エリムの隣に正座してるんですか?」

「特等席で見たいじゃない?」


 もう好きにしてください。

 すー、はー、と大きく深呼吸をしてから、オレは頭突きをする勢いで45度腰を曲げた。そして伸ばした両腕で、むぎゅっと胸を挟み、手は膝で固定する。


「さあ、どうですか!?」


 だぷしゃあ!

 エリムが、本日二射目となる鼻血を噴いた。


「…………お、おい、エリム?」

「むぅ、やはり発動しておりんせんなあ」

「あら、リーチちゃん、そういえばブラジャーを外したままだったのね。そんなに胸を強調すると、またぽっちが浮いているわよ」


 どぷっしゃ!


「ちょ、おま」

「ダメじゃなあ。ちぃとも魔力が動いておりんせん」

「リーチちゃん、そのままの姿勢で、お尻をこっちに向けて」

「え、こうですか?」

「そう、突き出すように。そう、突いてとばかりに。いいわ、見事な安産型よ」


 ぶぱっしゃ!


「こ、これ、ちょっと、出血量がヤバくないですか!?」

「魔力は確かに持っておる。そしてこの器量。魅了の素質が無いとは到底思えんのじゃがなあ。何が足りんのか」

「もう少し色気を上げてみましょう。ぎりぎりよ。ぎりぎりを攻めるの」

「あの、待ってください。そんなことしたら、エリムが」

「少しだけスカートをたくし上げさせてもらっていいかしら? 今は膝上5センチだから、うーん、あと5センチ、いえ、6……7……8…………40センチくらいいっちゃいましょうか」

「がっつりいきましたね! これ見えてるでしょ!? ぎりぎり越えてますよね!?」


 ばぶっしゃ!


「ほらああああああ!」

「ここから、パンツだけを膝まで下げるという合わせ技はどうでありんすか?」

「名案ね。スカートは持っておくから、パンツはメロさんでお願い」

「それはヤバいヤバいヤバいエリムが死にますって引っ張らないでええええ!」


 ぷっしゃああああっ!!

 天井にまで届く赤いシャワー。ギャグ漫画の古典的なリアクションの一つとしてよく見られるけど、実際目の前でやられると、引くどころの話じゃない。


 もはや座っていることすらできなくなったエリムが、ふらふらと船を漕ぎながら横にぱたりと倒れた。


「……ちょ、ちょっと……だけ、休憩を……お願い、でき、ません、か」


 土気色になった顔で、息も絶え絶えインターバルを要求した。

 お前、超頑張ってくれたよ。もう休んでいいよ。

 そこでようやく、本当にようやく、オレの着衣から手を放したスミレナさんたちが、やりすぎたといった風に、バツが悪そうな顔をした。

 三人して冷静に、この部屋の状況を確認する。

 ……酷い。

 壁紙や天井が白いだけに、凄惨な殺人現場みたいになっていた。


「う、うむ。魅了無しでここまでやれるとは、りぃちは恐ろしい娘でありんすな」

「リーチちゃんなら、これくらい造作もないことよ」

「なんかオレが原因みたいになってますけど、それ責任転嫁って言いません!?」


 そして案の定、誰もエリムを介抱しない。オレもだけど、今エリムに触れると、余計に被害が拡大するような気がして迂闊に手を出せない。


「メロさん、今のでも魔力が使われた気配は無かったの?」

「全くじゃ。これではもう、魅了は使えないと考えるのが妥当でありんす」

「本能的に、男を誘惑することを拒絶しているのかしら」


 ありえる話だと思った。

 だけどそれとは別に、転生する時に変態職員とした遣り取りも思い出した。

 オレはあの職員に言った。

 サキュバスのチート能力なんかいらないって。

 だから代わりにミノコが生まれたわけだけど、もしかすると、本来サキュバスに備わっている力まで消されてしまったとか、そういうことだろうか。

 あの職員なら、それくらい適当な仕事をしていそうだ。


 それと言っておくけど、エリムの犠牲は無駄じゃない。無駄じゃないぞ。

 魅了が使えないってわかったのは、他の誰でもないエリムの功績なんだから。


「魅了も使えない。性行為もできないとなると、本当に打つ手無しじゃ。あとは、運を天に任せるしかありんせんな」

「運、と言いますと?」

「極稀じゃが、レベルアップ時に特能が発現するということは知っておるかや? 淫魔は人間と比べて、幾分発現率は高い。可能性は極めて低いが、次のレベル8になった時、特能が発現するのを祈るしかありんせん。それが叶わなければ選択肢は二つでありんす。死を待つか、男との性行為で魔力を消費する方法を、わちきから教わるかじゃ」

「ということは、特能が発現していれば、魔力を消費できるんですか?」

「それはもちろんだえ。じゃが、言ったように奇跡を願うようなもので」

「特能、オレ持ってますよ!?」

「は? どの段階で発現したんでありんす?」

「なんか、最初から。レベル1の時から覚えてました」

「まさかの天授かや。……カカ、なんじゃなんじゃ、それをはよう言わんか」

「使い方がわからなかったので、すっかり忘れてました」

「メロさん、リーチちゃんは助かるの?」

「特能を使いさえすればの。なんせ淫魔であるサキュバスの特能じゃから、男との性行為中にしか使えんものとてありんす。そうであった場合、結果は同じであろ」


 そのとおりだ。オレはもう、あの特能にすがるしかない。

 最初は、発現したことをラッキーくらいにしか思っていなかったのに、今は実用できるものであることを心底から願っている。


「サキュバスが、爆破系の攻撃能力を持つことってありますか?」

「わちきは多くのサキュバスを見てきんしたで、大概の特能であれば、名を聞けばどんなものかわかりんすが、そんな攻撃的な特能は聞いたことがありんせん」


 畜生。決めポーズと台詞まで考えていたのに。


「して、なんという名の特能でありんすか?」

「【一触即発】っていうんですけど、どんな特能かわかりますか?」


 名前を口にした直後、メロリナさんから表情が消えた。


「メロリナさん?」

「ん、ああ、そうじゃな。まず、お前さんが一番気にしておることでありんすが、その特能は性行為中にしか使用できん類のものではない。お前さんは助かりんす」

「ほ、本当ですか!?」

「やったわね、リーチちゃん!」

「はい! よかった、よかったあああ!」


 スミレナさんによる抱擁も、今ならオレの方からだって抱き返せる。

 いつの間にか壁に寄りかかって回復に努めていたエリムも、親指を立てて祝ってくれた。顔は土気色を通り越して、なんか白くなっているけど。


「それで、具体的にはどういう特能なんですか?」

「わちきが若い頃、一国を傾かせたことがあるという話は聞いているかや?」

「スミレナさんから。本当にそんなことをしたんですか?」

「しちゃったでありんす」


 てへぺろ、と舌を出してウインク。やらかしたことは、これっぽっちもカワイくないのに、その仕草はどえらい可愛さだった。

 サキュバスが魔物指定されている責任の一端は、確実にこの人にあると思う。


「対して、これはおとぎ話のようなものでありんすが」


 言って、メロリナさんは、ぽすんとベッドに腰を下ろした。


「昔々、歴史書にも載っておらんほど遠い昔、とある大陸に一人の若いサキュバスがおりんした。そのサキュバスは、絶世の美女であったとか、飛び抜けて床上手であったということもありんせん。普通のサキュバスでありんした。ただ一つ、発現していた特能を除いて」


 ニヤニヤと、メロリナさんはオレの反応を窺うように語る。


「わちきのように、一国を傾けたどころの話ではありんせん。そのサキュバスが、特能を使って何をしおったと思いんす?」


 国を傾けること以上の所業。それはすぐに想像できた。

 投げかけられた質問に、オレは即座に答える。


「国を滅ぼしてしまった?」


 しかしメロリナさんは、チッチッチッ、と舌を鳴らした。

 どうやらオレは、予定どおりの間違った答えを言わされたらしい。


「逆じゃ、とも言い切れんか。そやつはな、大陸に百以上あった国を全ておのが特能一つで支配し、最後には大陸一強の自分の国をつくってしまいおったそうな」

「……んなっ!?」

「お前さんの持つ【一触即発】とはな、そんな覇業すら為せる特能でありんす」

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