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第49話 うわ、また出た×2

「はふぅ~……」


 体調不良による体のだるさと、指折り数えるのもしんどい悩み事からくる重たい溜息が、とっぷり日も暮れた夜空に溶けていった。

 今日は料理担当のエリムが王都へ出かけていて不在のため、【オーパブ】を休みにしている。そのため、店内や玄関前の通りを、いつもより時間と手間をかけて掃除するのが本日の仕事だ。

 スミレナさんは寝ていなさいと言ってくれたけど、何もせず一人だけ休んでいるのは、余計に心労が積もって疲れそうだったので、せめて簡単な掃き掃除だけでもしたいと言い、今は表に出て箒をかけている。


「どぅは~……」


 世話になっている恩返しがしたいと思っていたのに、結局さらに恩を重ねることになってしまった。特にエリムには、ホントもうね、なんて言えばいいのやら。


 そもそもだ。

 転生の際に種族選択の自由が無いっていうのが間違っている。

 もっとこう、適正種族を選ぶにしたって、アンケートとか取れよな。

 なんでサキュバスなんだよ。つーか、なんで女なんだよ。

 おかげさまで、トイレも慣れちゃいましたよ。

 自分の裸を見ても何も感じなくなってきたよ。

 今もメイド服着用だけど抵抗がなくなったよ。

 ブラジャーだって、もう完璧につけられるよ。


 それでも。

 それでもだ。男たちからの視線。あれだけは慣れない。

 そういう対象として見られるのが、気持ち悪くて仕方ない。

 注文を取りに行くと、まず胸に目が来る。そして顔に来て、また胸に戻る。

 カウンターに戻る時は、尻か足を見られている……と思う。


 だけど、オレも元男だから、見てしまう気持ちはよくわかる。

 でかい乳が目の前にぶらさがっていたら、男なら絶対に見てしまう。絶対にだ。


 もし拓斗たくとが女になったら――っと、想像すると気色悪いぞ。まあ、オレみたいに全く別の外見になったとする。あいつなら、そんな逆境を楽しんでしまうくらいの余裕を見せるはず。仮に【オーパブ】で働くことになったとしても、自分から客にお色気サービスを振り撒いたりして、きっと今以上に店を繁盛させるだろう。


 それを考えると、元男だから、男らしくないからできないってのは言い訳だ。

 本当に男らしいなら、スパッと割り切って前に進んで行くはずだから。

 男らしさをどう捉えるのかは人それぞれだけど、オレはそういう潔さが男らしさだと思っている。決定的に、オレに欠けていることだ。

 こんなことを、ぐちぐち考えている時点で男らしくない。


「はぁ……オレって女々めめしいなあ……」

「――溜息などついて、どうかされたであるか?」


 意味なく同じところを何度も箒で撫でていると、覚えのある特徴的な口調で話しかけられた。


「あ、ギリコさん、こんばんは」

「御晩である。そうか、今日は休業日であったか」


 リザードマンのギリコさん。

 人としてだけでなく、男らしさという点でもオレが尊敬している一人だ。


「仕事帰りですか? なんか、ずいぶんぼろぼろですね」


 濃緑の鱗が土埃で白くなっており、板金装備はキズだらけ。腰に差しているのは刀かな。鞘と柄を見ただけでも、使い込まれているのがよくわかる。


「いやはや、今日は久しぶりの大仕事だったのである」

「どこへ行かれていたんです?」

「町の南へ10kmほど進んだ先に、【パラポ炭鉱】という場所があるのであるが、そこにアリが湧いたので駆除に行っていたのであるよ」

「アリ、ですか」

「【ゴリリアント】なる、一匹が1メートル近くある凶暴なアリなのである」

「でかっ! 怖っ!」

「然り。やたらと攻撃的で、動物であれば、なんでも捕食しようとする。しかも、放っておくと、炭鉱内を穴だらけにしてしまう害虫である。崩落の危険もあるので早急に駆除を、という依頼であった」


 巨大アリか。見たいような、見たくないような。昆虫系はちょっとなあ。


「そのアリって、手強いんですか?」

「そうであるな。奴らはすぐに仲間を呼び寄せてしまうので、極力単体を奇襲し、救援信号を出される前に倒してしまうのが最善の戦法である。だがしかし、甲殻が非常に硬く、的確に関節部位を狙わなければ仕留められない。そして噛まれると、怪我はもちろんであるが、唾液に含まれる麻痺毒が厄介極まりない。単身で挑むのは些か以上に危険な相手である」

「パーティー必須なんですね。やっぱ女王アリみたいなのもいるんです?」

「いる。これがまた大きい。兵隊アリの三~五倍はあるのである。ほとんど動きはしないのであるが、膂力が桁違いに強く、先の麻痺毒を霧状に散布してくるため、近づくことすら容易ではない」

「うへ~、完全にボスモンスターですね。倒せたんですか?」

「苦難の末であった。何を隠そう、最後の一太刀を決めたのが小生しょうせいで――」


 と、そこで不意に、ギリコさんが喋るのを中断してしまった。


「どうしました?」

「リーチ殿が聞き上手なので、ついつい一人で得意気に語ってしまったのである。このような野蛮な話、女人には退屈なのではないであるか?」

「全然。もっと聞かせてほしいです」

「クァッ、クァッ、やはり、リーチ殿は変わっている。このようなことを言うのは失礼に当たるかもしれないが、褒め言葉と受け取ってほしいのである。さばさばとしたリーチ殿と話していると、なんというか、親しい男の友人と話しているような気楽さを感じるのである」


 さばさば? 男の友人?


「…………ギリコさん」

「う、やはり、気を悪くさせてしまったであるか?」

「ちょっと右手を開いて、適当な高さに上げてもらえますか?」

「こ、こうであるか?」


 顔の高さに上げられたギリコさんの右手目掛けて、オレは自分の右手をぶつけ、パチィィン! と軽快な音を打ち鳴らした。


「今のはなんであるか?」

「気にしないでください。嬉しかったんで」

「嬉しかった……であるか。本当に変わっているであるな」


 オレが単純なのかな。

 さっきまでの暗い気分が、ギリコさんの一言で綺麗さっぱり晴れてしまった。


「やっぱ、ギリコさんはいいなあ」


 あ、口に出しちゃった。


「何がであるか?」

「あー、えーと……ですね、その、ギリコさんは、他の男性客と違って、真っ直ぐオレの目だけを見て喋ってくれるんで」

「目以外にどこを――ああ、なるほど。そういうことであるか。クァッ、クァッ、そう言われてしまっては、小生はこの先、絶対に視線を下げられないであるな」


 こんな風に冗談っぽく笑い飛ばしてくれるってことは、ギリコさんにはやましい気持ちが一切無いってことなんだろう。さすがはオレの尊敬する人だ。


「スミレナ殿は店の中であるか?」

「はい。ミノコ――例の動物と一緒に、新しいお酒の開発を頑張っています」

「おお、酒の新メニュー。それは楽しみであるな」

「んー、どうでしょう。女性向けのお酒みたいですよ」

「であるか。では今度、火酒を使った物もお願いしたいと伝えてほしいのである」

「わかりました。もしかして、今日も店に寄ろうとしてくれていました?」

「いや、たまたま通りがかっただけであるよ」

「そうですか。明日は普通に営業しますから。またいらしてください」

「了解したのである。――と、そういえば昨日、この町の領主と一悶着あったのだとか? 同行したパーティーメンバーの一人が、そんなことを言っていた気がするのである。結果も詳細に聞き及んでいるが」


 気がする。なのに詳細にって。

 嘘の下手な人だな。店に寄るつもりがなかったのは本当でも、通りがかったのは偶然じゃなく、心配して様子を見に来てくれたんだろう。


「オレも昨日初めて領主を見たんですけど、思っていた以上に嫌な野郎でしたよ。スミレナさんが口でボコボコにヘコましていたんで、スッキリはしました」


 完勝だった。そう言っているにもかかわらず、ギリコさんの表情には影がある。


「リザードマンである小生も、領主に不自由を強いられている身。腹に据えかねているところもある。ただ、小生のような根無し草とは違って、スミレナ殿には守る店と家族がある。あまり刺激しない方が賢明なのである」

「でも、スミレナさんは、やられたらやり返す性格ですよね」

「基本、倍返しであるな。それで懲りるような相手であればよかったのであるが。スミレナ殿には味方が多い。相手が誰でも、まず押し負けることはないであろう」

「じゃあ、何が心配なんですか?」

「いつでも味方が傍にいるとは限らないのである。どれだけ頼もしいと言っても、スミレナ殿は女人。力づくで来られたら一溜まりもないのである。【オーパブ】には大人の男がいない。小生は、それが少し気がかりである」

「一応、男は一人いますよ」

「エリム少年であるか。ん、んーむ……今後に期待であるな」


 だってよ。頑張れ、エリム。


「幸い、相手には立場もあり、表立って強硬策は取れない様子。そのため、彼奴きゃつは【オーパブ】の弱みを血眼になって探しているのである」


 弱み。そう言われて、オレはすぐに自分の存在がそれに当たることを自覚した。


「相手は曲がりなりにも権力者。一度向こうが優勢になってしまえば、なし崩し的に全てを奪われることとて考えられる。敵につけ入る隙を与えてはならない。小生がとやかく言わずとも、リーチ殿なら、この意味がわかっているであろう?」

「……はい」

「何度も言うようであるが、弱みを見せてはいけない。隠しておきたいことがあるのであれば、重々気をつけるのである」


 ギリコさんは多分、オレが保護指定種族じゃないってだけでなく、魔物指定されていることにも薄々気づいている。だからここまで念を押すんだろう。


 肝に銘じるくらいじゃダメだ。

 死に物狂いで隠し通さないと。

 そう自分自身に固く決意した、その直後だった。



「――こんばんはぁ」



 ねっとりと絡みつく、着信拒否したくなるような声が背後からかけられた。

 昨日の今日だ。忘れもしない。


「うぅん、静かないい夜ですねぇ」


 ザブチン・カストール領主。

 下品な服装と香水とヘアースタイルは相変わらずだ。


「……今日は店を開いていませんよ?」

「はぁい、存じ上げていますよぉ」


 あれだけスミレナさんにヘコまされたのに、なんだってそんな楽しげなんだ?

 まさかこいつ、Mな人種か?


「金色の髪。緋色の瞳。あとはまあ、大きな胸。アナタの証言と一致しますねぇ」


 そう言って、カストール領主が自分の後ろに控えている従者に目をやった。

 オレもその視線を追った。


 どうやら、昨日見た従者とは違うようだ。

 事故にでも遭ったのか、右腕は包帯で吊られており、首にもコルセットのような物を巻いている。満身創痍に見えるけど、そんな状態で従者が務ま――



 血の気が引いた。



さぁん、この少女で間違いありませんかぁ?」

「ええ、間違いありません」


 ニヤニヤとした笑みを張りつけてそこに立っていたのは、かつて【ルブブの森】で出会い、オレをサキュバスだと知って襲ってきた冒険者だった。

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