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第40話 魔王の誤算

 瘴気は悪魔が吐き出すガスのようなものだと以前に説明を受けた。

 魔王――魔物の王。悪魔の王。瘴気を操れても不思議は無い。無いけど。


「二十匹って……。いくらなンでも出し過ぎだ!!」

「ふっ、出し過ぎか。自慢ではないが、よく言われる」

「主に下半身の露出を指して私が言っています」


 蠢く影を背にしたザインが前髪を掻き上げ、ダークエルフが冷淡に言った。

 闇を凝縮したかのようなホログレムリンに囲まれている中、ザインの白シャツとダークエルフの白髪はコントラストで異様さが際立っている。


「パスト、お前は知らぬだろうが、我は女と寝所を共にする時にも言われるのだ」

「興味がありませんので、至極どうでもいいです」


 大量のホログレムリンはぼたぼたと唾液を落としながら、ぎょろり、ぎょろりと一つ目を動かして周囲を窺っている。

 俺は騎士団を止めたいとは言ったが、潰したいとまでは思っていない。

 こいつらが好きに暴れたら、騎士団だけじゃねェ。この町だって消し飛ぶぞ。


「さて、雑兵の相手はこやつらにさせるとして、せめてもの礼儀だ。そこな騎士団の長だけは、我が手ずから始末してやろう」


 配下たちの前に出たザインが冷たく言い放った。

 アーガス騎士長を始末する? 始末って、殺すってことだよな?

 そんなこと――


「――そうはさせるか!」


 俺の気持ちを代弁する男が、アーガス騎士長を庇うようにして立った。

 シコルゼだ。意識を取り戻したのか。


「雑兵、誰の許しを得て我の道を遮っている?」

「……魔王。なるほど、貴様が魔王か」

「いかにも、我こそが魔王だ。下等な人間は、すべからくこうべを垂れよ」

「その傲慢な物言い。他者を見下す高圧的な態度。まさしく魔王の風格。しかし、魔王であっても――否、魔王だからこそ譲るわけにはいかない! 勇気と共に悪に立ちはだかり、民にその在り方を示す! それが騎士なのだから!」


 シコルゼの奴、魔王相手に一歩も引いてねェ。

 その姿はまさしく騎士。

 時折、後ろにいるアーガス騎士長の反応を窺うような素振りがなければ完璧だ。


「僕は、この時をずっと待っていた。貴様に一太刀入れる瞬間を! 魔王、覚えておくがいい! 僕の名はシコルゼ! シコルゼ・スモルコックだ!」


 シコルゼの奴、まだ強さが未知数の敵を相手に一対一の戦いを挑む気だ。

 ザインは、ふっと口元を緩め、蔑むのとは違う笑みを零した。


「人間にも、貴様のように気骨のある者がいたか」

「シコルゼ! シコルゼをよろしく!」


 飯時にかかってくる電話ばりに周囲へのアピールがうぜェ。


「謝罪しよう」

「謝罪? 僕の気迫に物怖じしたか?」


 続けてザインは憂いを帯びた表情を作り、空を仰いだ。


「いつの間にか、我の美は性別を超えてしまっていたようだ。よ。貴様にとがは無い。男さえも魅了してしまう我の美にこそ全ての罪はある」


 名も知らぬ?

 シコルゼは、さっきから鬱陶しいくらい名乗っているぞ?


「白昼堂々の自慰宣言、天晴れ。並々ならぬ勇気を必要としたであろう」

「じ、自慰?」

「貴様の心意気、しかと我に響いたぞ。我に男色の気は無い故、一太刀挿れさせてやることはできぬが、責任は取らねばなるまい。貴様のシコり様、我の曇りなき眼で見届けてやろう。さあ、存分に我で見抜きせよ。心行くまでその小さき物スモールコックをシコるがいい」

「フ、フザケるな! 僕を舐めているのかッ!?」

「舐める? さすがにそこまでしてやる義理は無い。我の眼前で陰茎を晒す許可を与えられただけでも身に余る温情と知れ」


 ザインは自覚なく火に油を注いでいった。

 激情に駆られたシコルゼは剣を握り締め、怒髪天を衝く勢いで駆け出した。


「待て、部隊長! そいつのレベルは――」


 ザインのステータスを確認したのか、カリーシャ隊長が声を荒げた。

 だが、怒りに我を忘れたシコルゼの耳には届かない。


「魔王、覚悟! 貴様の命はここで絶つ!」

「ふむ、どうやら我の思い違いであったか」


 シコルゼが大剣を肩に担ぐようにして振り被った。

 対して、ザインはかわす素振りすら見せない。代わりに、振り下ろされる大剣の軌道に右手をかざした。


「避けようともしないとは、足が竦んだか!? その腕ごと斬り捨ててくれる!」


 シコルゼには一秒先のザインの動きが視えている。

 そのシコルゼが言うからには、ザインは本当に避ける気が無いってことだ。

 シコルゼの剣はザインの腕を縦に裂き、そのまま頭から胴体を真っ二つに――


「……え?」


 ――してしまうと、誰もが思ったはずだ。

 攻撃を仕掛けたシコルゼ本人が状況を理解できず、素っ頓狂な声を出した。


 それはまるで、耐久度の低い発泡スチロールで殴りかかったみたいだった。

 ぽっきりと。

 ザインの手を一切傷つけることなく、シコルゼの剣は真っ二つに折れた。


「魔物の群れを束ねる王が、ホログレムリンより弱いとでも思ったか?」

「そ、そんな……馬鹿な――がッ!?」


 ズゴンッ!!

 と、ハンマーを打ちつけたような打撃音が鳴る。


 ただのデコピンだ。

 ただのデコピンのはずが、ザインの放ったそれの威力は凄まじく、額に喰らったシコルゼは、後方伸身二回宙返りをして地面に叩きつけられた。


「我に単身で挑むなど二百年早いわ」

「ザイン様、人間はそこまで長命ではありませんよ」


 死んではいない。いないが、シコルゼはぴくぴくと痙攣して白目を剥いている。


「シ、シコルゼ……おのれッ!!」


 アーガス騎士長の憤慨に呼応し、これまでは傍観に徹して民衆を押し留める役を担っていた騎士たちの中から十数名が、新たにザインへと飛び出して行った。


「愚かな。魔王を相手に、貴様らでは脆弱すぎるとわからぬか」


 微塵の焦りも見せず、ザインは向かってくる騎士たちの前方を、すいっと水平に撫でるようにして腕を振るった。

 炎や氷といった魔法が撃ち出されたわけじゃない。それなのに、たった一振りで騎士たちは呼吸を乱し、全員がその場に跪いてしまった。

 中には鎧の重さに耐えられないとでもいうように、うつ伏せに倒れた者まで。


 なんだ? あいつ、何をしやがった?

 体力を奪ったのか?


「頭が高い。我を見る時は、そのように天を仰ぐようにして見上げるがいい」


 いや、違う。

 崩れ落ちた騎士たちの顔が、一気に五十歳は老け込んだみてェになってる。

 人間を……老化させやがったンだ。


「これぞ我が特能――【栄枯盛衰パラドクス】。我は時の法則を超越せし者よ」


 ゾッとした。

 強い……なんてもんじゃねェ。


「カリーシャ隊長、さっき言いかけてた、あいつのレベルって」

「信じたくはないが……」


 顔を引きつらせ、声を裏返しそうになりながらカリーシャ隊長は答えた。



 ――レベル32



 マジかよ。

 全裸強化&勃起強化した俺よりも高い。


「インキュバスのレベルがそのまま強さを表すのかはわからない。だが今のを見る限り、強さを疑う余地は無い。傍にいるダークエルフ、あちらもレベル29だ」


 加えて、レベル27のホログレムリンが二十匹。

 ダメだこれ。騎士団、完璧に詰んでる。


「では、今度こそ」

「ザ、ザイン、待て! 待ってくれ! 殺すな!」


 アーガス騎士長に視線を戻したザインを見て、俺は慌てて止めに入った。


「生かしておいて、我に何か得でもあるのか?」

「だからって、殺すことはねェだろ!」

「殺しておかねば、騎士共はまた我に牙を剥くのではないか? それとも降伏し、我が軍門に下るとでも言うのか?」


 アーガス騎士長だったら、「ありえん」とか言いそうだ。


「ありえん!」


 言いやがった。


「魔王よ。ここで私の息の根を止めておかねば、必ず後悔することになるぞ」


 なんで煽るの? 騎士のプライド? 超いらない。


「いつでも、何度でも挑んで来るがいい。我は貴様らの挑戦を座して待っている。――などと言ってやるほど我は暇ではない」

「ザイン様は女漁りに忙しいですからね」

「うむ」


 そこ認めンのかよ。


「聞け、ザイン! こんな大量のホログレムリンが暴れたりしたら、町にも大きな被害が出ちまう! それは見過ごせねェ!」

「そのようなこと、魔王たる我が気にせねばならぬことか?」

利一りいちに嫌われるぞ!?」

「む、それはいかんな」


 あ、これは効くンだ。聞き分けがよくてありがたいです。

 でも、俺の知ってる魔王のイメージとはかけ離れている。


「利一は人殺しをなんとも思わねェ奴を絶対好きになったりはしねェ。だからってわけじゃねェけど、騎士団も、できれば必要以上に傷つけないでくれ。頼む」


 戦わずとも、魔王勢力と騎士団の勝敗は決している。

 騎士団にできるのは、少しでも被害の少ない形で負けさせてもらうことだけだ。


「タクト、魔王に頭など下げるな!」

「うっさいわ! 死に急ぎのオッサンは黙ってろ!」


 命あっての物種だろうが。アーガス騎士長の言葉は、この際全無視する。


「くっくっ、やはり貴様は面白い男よ。上の頭は下げても、それそのとおり、下の頭は下げておらぬ。心に刃を残している証拠だ」


 こいつの俺への評価の高さ、なんなンだろうね。


「いいだろう。今回は貴様に免じ、二度とリーチに手出しする気を起こさぬよう、軽く懲らしめる程度に留めておいてやろう。投降する者には手を出さん」

「本当か!?」

「我は嘘をつかん。騎士団の長よ、敗北の後、この条件を飲むと言うなら、老い先短くなった騎士たちも元に戻してやっても構わん」

「くっ……」


 アーガス騎士長にとっては苦渋の選択なンだろう。

 でも絶対飲むべきだ。負けても結果的には何も失わずに済むんだから。


「ホログレムリンたちは、ちゃんと制御できるンだな?」

「我を誰と心得る? 魔物を統べる王であるぞ? これだけ強力な魔物を使役するところを見れば、リーチとて我に心を揺さぶられるのは必至。我を受け入れるべく股を――もとい、心を開こうというもの」


 言ってることはアレだが、こいつ、器がでかいぜ。


「ザイン様」

「なんだ? 我は今、リーチとの初夜をシミュレーションしているのだ。つまらぬ用件ならば後にしろ」

「残念なお知らせがあります」


 興を削がれたとばかりにザインが溜息をついた。


「申せ」

「このホログレムリンたちですが、ザイン様の命令は聞かないと思われます」


 ……え?


「何故だ?」

「【チジー霊原】に棲息するホログレムリンの雌は、現在発情期に入っているため、非常に気性が荒くなっています」

「ふむ。こやつらは雌か?」

「全て雌です。さすがはザイン様、異形種であっても無意識に雌を召喚するとは」

「褒めても覇王しか出んぞ」

「出さなくて結構です。それに褒めていません」


 オ、オイ、命令を聞かないって、それ……めちゃくちゃまずいだろうが。

 その不安はすぐに現実のものとなる。


 キギイイイイィィ!!


 ホログレムリンたちが、黒板を引っ掻いたみたいな耳障りな声を発した。

 ここに近づいてくる騎士たちの駆る馬の足音に反応しているようだ。

 そして最悪。ザインの命令を待たずに次々と散開し始めた。

 その間にも、ダークエルフは淡々と説明を続けた。


「ホログレムリンの雌は、食欲と性欲が一つになっています。雄をそのまま食し、精子を体内に取り込むことで子を成します。知能等の影響は子に多少現れますが、基本的に雄の種族は問いません」


 雄なら無差別に襲って食うってことかよ。


「また、より強い子を成すため、レベルの高い雄を選り好んで食します。ですが、自分よりも強い雄は襲いません」

「つまり、どういうことなンだ!?」

「つまり、常人よりも強く、自身よりも弱い騎士たちは格好のエサになります」


 それは、この町が真っ赤に染まる凄惨な光景を作り出すことを物語っていた。

 一瞬思い浮かんだ騎士との和解は、これまた一瞬で露と消えてしまった。

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