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第42話 絶対的チート牛

 二匹を葬ったことで、残り三匹のホログレムリンはたたらを踏んだ。

 立ち止まり、仲間がやられてひどく動揺している。


 敵味方関係なく、騎士と民衆から等しく歓声が沸いた。

 イケる。このまま一気に。

 三匹目に一足で飛び掛かろうと、俺は体重を乗せて踏み込んだ。

 ――刹那。


「「「キィィィイアアアア――――――――!!」」」


 これまでとは違う。数オクターブ高い音域を三匹共が発した。

 悲鳴?

 断末魔?

 そんな甘い期待は一瞬で消える。


「ぐ、あ、頭……がッ……!?」


 割れそうに痛い。

 奇声と奇声がぶつかり、反響し、この区画を丸ごと覆い尽くした。

 これは攻撃だ。声による音波攻撃。

 気持ちよく寝ている時や、集中してテスト勉強している時に聞こえてくる近所の子供の甲高い声を、百万倍強烈にした不快感。

 耳を押さえても防ぎきれない音の波状攻撃が、ぐわんぐわんと、脳を直接掴んでシェイクしてくるかのようだ。目眩と吐き気まで加わってくる。


 膝をつきそうになるのを、突撃槍ランスを杖にして体を支えた。

 揺れる視界の中では、次々に頭を抱えて蹲っていく姿がある。アーガス騎士長とカリーシャ隊長も踏ん張ってはいるけど、その場から一歩も動くことができない。

 唯一パストだけは、涼しい顔で事の成り行きを見守っていた。目を凝らせば体の周りに薄い光の膜が張られている。あれで音を遮断でもしているのか。


「体に……力が入らねェ」


 盲点だ。肉体が強化されても、脳はその限りじゃないってことか。

 なンとかして、この声を止めねェと。

 けど、三匹同時にやられたンじゃ、息継ぎの切れ間を狙うこともできない。


 多芸な奴だぜ。伸縮自在の手足だけじゃなく、火を吐き、酸を吐き、瘴気による精神支配に加えて音響兵器まで備えていやがるのか。

 音域を少しずつ変え、人体だけじゃなく、建物の壁やガラスにも共振ダメージが現れ、ピシ、ピシ、とヒビが入っていく。洞窟で倒したホログレムリンがこの攻撃を使わなかったのは、崩落で生き埋めになる可能性があったからか。


 ただ動きを封じるだけじゃない。こんな攻撃をいつまでも喰らっていたら、脳が破壊される。現に気を失う者が出始めている。

 ホログレムリンたちは音波攻撃を止める素振りを全く見せない。

 ここにいる者たちを全滅させるまで続けるつもりだ。


「やめ……ろ……」


 か細く漏らすような声は、呆気なく飲み込まれてしまう。

 仲間を倒した俺が弱っていると見るや、ホログレムリンたちは声に鋭い指向性を持たせ、俺のいる方角に向かって音を集中させてきた。

 俺とホログレムリンを結ぶ地面が割れ、背後の建物に大きな亀裂が入る。

 そして、バリンッ!! と弾けるようにして、高い位置にある窓ガラスが割れた。

 その下には何人もいる。

 誰も動かない。動けない。逃げられない。


「やめ……ろって……言ってんだろうがアアァァァァァ!!」


 ホログレムリンの声を掻き消すつもりで、俺は腹の底から叫んだ。

 ――その時。

 カチリ、と体の中でスイッチが入った気がした。

 人にガラスが突き刺さる瞬間を見まいと閉じた目を、うっすらと開けていく。


「……えっ!?」


 不思議な光景だった。

 いや、見えているものはこれまでと変わらない。

 ただし、動画ではなく、フィルムカメラで切り取ったかのような静画だった。


「なんだ……これ」


 まるで、時間が止まったみたいに誰も動かない。

 降ってくるガラスは途中で止まり、人々の表情は一様に凍りついている。

 止まっていた。世界でただ一人、俺だけが動いていた。


「まさか、これが」


 以前に試した時は、何も起こらなかった。

 そう感じたのは、比較できる対象が周りに何も無かったからか。


 時間停止。

 ――という表現は正確じゃない。


 時間は止まっていない。緩やかに、非常にゆっくりと進んでいる。

 何分の一のスロー再生なのかはわからないが、視認できないくらいのペースだ。

 それがわかる根拠は、ホログレムリンの声だった。

 さっきまで、頭を割られそうに聞こえていた超高音が、今は「ボエェ~……」と超低音で聞こえている。おかげで、頭痛が嘘のように引いていった。


「そういうことか」


 元々、天界人の脳の処理速度は並外れていた。

 だけどこれは、並外れているとか、そんなちゃちなレベルの話じゃない。

 時間が止まったと感じるほどの意識の超々高速化。


「それが俺の特能――【跳梁跋扈オーバー・ドライブ】か」


 世界そのものが鈍化したという可能性もあるが、そこまで大きな力を個人が持つとは思えねェから、変化があったのは、やっぱ俺の方だろう。

 だとしても、スゲェ……。発動中は敵無しじゃねェか。


 でも、感心している場合じゃない。

 同時に、やっちまったという思いがある。

 この特能の持続時間は短い。確か、一分かその程度だ。

 発動が切れた後は長いED状態となり、勃起強化ができなくなる。

 そうなってしまうと、ホログレムリンは倒せない。

 いや、町のあちこちに散ってしまった奴らを倒すのは、もう無理だ。

 そっちはザインに任せるしかない。


「せめて、ここにいる三匹だけでも俺が」


 けど、その前に、今にもガラスが突き刺さろうとしている人たちを助けねェと。

 ガラスの破片は無数に降り注いでいる。やむを得ず、俺はガラスを撤去するのではなく、下にいる人たちを安全な場所に移すことにした。


 危険な位置に立っているのは十人ほどだ。蹴り飛ばせれば時間短縮になるけど、女性もいるし、強化された状態でそんなことをすれば怪我をさせてしまう。

 そっと、そーっと、割れ物を扱うようにして安全な場所へと移していく。

 こんな繊細な作業、肉体の強さに任せて動き回っていた時にはできないことだ。


 抱えては移動させを繰り返しているうちに、俺は「なるほど」と一人納得した。

 砂時計のように、ちんこの角度がじわじわと落ちてきている。

 天を指していた雄々しい勃起が、今は下向き。60度くらいに下がっている。

 リミットは、おそらくこれが0度になるまでだ。


 急げ。急げ。

 最後の一人を避難させた。この時点で30度まで落ち込んでいる。

 俺はすぐさま突撃槍ランスを両手で握り、一番近くにいたホログレムリンの側面に回り込んだ。首を薪に見立てて頭上高く振り被る。


「せめて、一撃でイカせてやる」


 罪人の首を落とすようにして断頭する。

 このホログレムリンは、まだ自分がられたことに気づいていないだろう。

 そして気づかないまま消えていくだろう。


「残り二匹」


 まずい、これじゃ間に合わねェ。

 勃起角度は、もはや六十代と比べても見劣りする。


「こうなりゃ、一か八かだ」


 俺は一縷の望みにかけ、次の敵ではなく、カリーシャ隊長のもとへと急行した。

 勃起角度が特能の持続時間を示しているのなら、もう一度チャージできれば延長されるかもしれない。


 だが、これは諸刃の剣だ。

 前回【跳梁跋扈オーバー・ドライブ】が切れた後、物凄い疲労感に襲われた。

 意思とは無関係に効果が切れてしまうのは、おそらく俺の体が危険信号を発するからだ。それを無理やり延長しようってンだから、反動もハンパねェはず。

 でも、躊躇なんてしていられない。


「非常事態だ! 許せ、カリーシャ隊長!」


 悠長に尻を揉んでいる時間は無い。

 一発でフルチャージさせるためにはどうすればイイか。

 俺ならこうする。

 俺はカリーシャ隊長のお尻の前で腰を屈め、スカートの中に手を差し込んだ。


「セイヤッ!!」


 そして、一思いにパンツを膝下までズリ下ろした。

 カリーシャ隊長は微動だにしない。パンツを下ろされたことに気づいていない。


「…………」


 この特能、別の意味でも最強じゃね?

 おっと、いかんいかん。邪なことを考えている場合じゃない。

 膝下パンツ。視覚的にも十分な興奮を得られているはずだが、勃起角度の低下は止まらない。かくなる上は。


「ホントごめん。マジごめん。でも非常事態だから。――ソイヤッ!!」


 俺はカリーシャ隊長の尻に謝ってから、再びスカートの中に手を差し込んだ。

 感動がそこにあった。

 しっとりすべすべぷりっぷり。

 カリーシャ隊長の尻を国宝に推薦したい。それくらいの感動に全身が震えた。

 だが、だが、しかし。


「こ、これでも持ち上がらない……だと!?」


 依然として、角度は回復しない。どころか、ほぼ脱力状態だ。

 十代でこれはありえない。ありえないからこそ確信した。

跳梁跋扈オーバー・ドライブ】――一度発動させれば、勃起エネルギーを使い切るまで止めることも回復させることもできないのだと。


「クソッ、時間切れだ!」


 俺の体感世界に通常の時が戻る。

 同時に、体が鉛みたいに重くなるのを感じた。


「キ、ギギギィ!?」「キイィィィ!?」


 ザ・ワー●ドの発動中にやられた花●院を目の当たりにしたジョ●フのように、他の二匹は音波攻撃を中断して驚愕にうろたえた。

 勃起強化が解けた俺のレベルは26に減少したが、敵も先の奇策で学んだのか、二匹のホログレムリンが俺に向かってくることはなく、逃亡を選択した。


「ま、待ちやがれ!」


 追いかけようとした足がもつれた。満足に動けないほど体が疲弊している。

 ホログレムリンたちは、近くの店の中に逃げ込もうとした。

 その先が【オーパブ】であることに気づいて血の気が引いた。

 俺は歯が欠けるほど食いしばり、太ももの肉に爪を立て、気合いと根性で突撃槍ランスをホログレムリンの背に向けてオーバースローで放り投げた。


 レベル30だったら、二匹まとめて串刺しにできたかもしれない。

 だけど衰弱した体では、後ろの一匹の肩に命中し、転ばせるのが精一杯だった。


 前を走る一匹は、速度を落とすことなく店に突っ込んで行く。

 待て、行くな。行かないでくれ。そこには利一りいちが……!!

 意味が無いと頭では理解しつつも、俺は手を伸ばし、懇願するように叫んだ。


「待――――」


 ――――。


 それは、高速化した意識の残滓ざんしなのか。

 この瞬間が、やけにゆっくりに感じた。

 最初に見えたのは蹄だった。

 何か大きくて白黒の生き物が店の前にいて、慌てて駆け込んでくる客を制止するかのように前足を持ち上げている。


「……牛?」


 目を疑いようがない。どこからどう見ても、まぎれもなく牛だ。

 なんで牛が酒場に。いや、今それはどうでもイイ。

 立派なホルスタイン牛だが、それでもホログレムリンの方がでかい。

 ぶつかれば、あの牛は呆気なく挽肉ミンチになるだろう。

 なのに、牛は避けようとしない。


「モフゥ」


 気のせいか。その気だるげで余裕のある牛の鳴き声が、俺には「頭が高い」とでも言っているように聞こえた。



 ――――グシャリッ!!



 石畳が割れ、肉と骨が砕ける惨い音がした。

 予想どおり、挽肉ミンチが一つ出来上がった。


「……はぃ?」


 ただしそれは、牛ではなく、ホログレムリンの頭部だった。

 今度は目を疑った。

 まさしく文字通りの一蹴だった。突撃してくるホログレムリンの頭に牛が前足を添えたと思いきや、コバエを叩き落とす程度の動作で踏みつけたのだ。


「キャッ!?」


 後ろから可愛らしい悲鳴がして振り返ると、パンツに足を引っ掛けたカリーシャ隊長が躓いていた。頭にハテナを浮かべながら、いそいそと穿き直している。

 視線を牛に戻す。


「あれ?」


 目を離したほんのわずかな間に、挽肉ミンチにされたホログレムリンが見当たらない。

 もう消えた? それにしては早すぎるような。

 牛が何やら口をもむもむさせているが…………まさかな。


「キ、キイィィイ……」


 突撃槍ランスを肩から抜いたもう一匹のホログレムリンが起き上がった。

 起き上がったはイイものの、ガタガタと全身を震わせて怯えている。


 ……なんで?

 どうしてか。仲間を三匹倒した俺より、ずっとずっと、あの牛を恐れている。

 背を向けて逃げ出すこともできず、俺の方にじりじりと後ずさってきた。


「モ」


 一歩、牛が前に出た。

 そのモーションだけで、ホログレムリンは驚いた猫のように硬直した。

 だが、攻撃に移行するきっかけにもなったようだ。

 ホログレムリンは大きく吸気し、ボコリと腹を膨らませた。


「まずい、あれは……!?」


 一度この目で見て、この身で体感して知っている。

 かつて、第三小隊を全滅に追いやったファイヤーブレスだ。

 こんな町中であれをやられたら、あの時以上の大惨事になる。

 特に、牛の背後にある【オーパブ】は確実に灰と化す。中にいる人もろとも。

 止めようにも、体が言うことを聞かない。


「キィィ……シャハアアアアアアアアアッ!!」


 視界一面が赤く染まった。

 暴風のように吹き荒れる熱波を叩きつけられ、背中から倒れそうになる。


 ――が、何故か途中で、より強い力で引き戻された。

 逆に前のめりに転びそうになる。

 手を地面について顔を上げると、またしてもホログレムリンが消えていた。

 今度は炎ごとだ。

 そして例の如く、牛は口をもむもむさせている。


「信じ……られねェ」


 二度も続くと、さすがに何が起こったのか想像はつく。

 信じられない。信じられないけど。


 この牛、自分よりも大きなモンスターを二匹、喰いやがった。


 絶句していると、ホログレムリンを瞬殺した牛の背に誰かが飛び乗った。

 よく見ると、牛には鞍と鐙、そして手綱がついている。


「よしよし。さすがの大喰らいだな」

「モォ~ウ」

「見るからにゲテモノだったし、そりゃ美味くはないだろ」


 利一だ。

 サキュバスになった利一がバケモノ牛に騎乗し、会話している。


「オ、オイ、利一?」

「あ、拓斗たくと。これ腰に巻いてろよ。つーか、なんで裸なん?」


 店の中からタオルを持って来てくれたようで、利一が俺に投げ渡した。

 股間を隠すと脱衣強化は解けてしまうが、どのみちこの体じゃ、俺はもう戦力になれない。それに少しばかり、その姿の利一の前で全裸なのは気が引けた。

 俺は素直にタオルを腰に巻いた。


「これにはいろいろと、深い訳があってな」

「そか。ちょっと待っててくれな。すぐ終わらせてくるから」

「すぐ終わらせるって、そンなことが……」

「終わるよ。騎士団――人間が相手だとミノコは全力で戦えないけど、町で暴れている奴らは悪い魔物なんだろ? だったら、思いっきりやれる」


 利一はホログレムリンの強さを知っているンだろうか。

 いや、そういう問題じゃない。

 敵がどんな強さであろうと関係ない。下の相方が負けるはずはない。

 そんな確固たる自信と信頼が、言葉から、態度から伝わってくる。

 利一はそこで、物思いに耽るように表情を少し陰らせた。


「オレって、今まで拓斗に頼りっぱなしだったよな。礼とか言ったことないけど、本当はいつも感謝してた」

「感謝なンて」

「でも、これからはオレも変わるから。まだ全然だけど、今度はオレが拓斗を助けてやれるくらい、頼ってもらえるくらい強くなるから。だから、見ててくれ」


 利一は、町を包む不安を全部吹き飛ばしてしまうくらい眩しい笑顔を向けた。

 姿は違っても、口調やちょっとした仕草は、確かに俺の知る利一のものだ。

 それだけに驚いてしまった。

 あの引っ込み思案だった利一が……。

 こんなにも力強く。

 こんなにも綺麗に。


「後で拓斗にも、腕によりをかけてしぼってやるからな」


 利一は親指と人差し指で輪を作り、上下にしごくようなジェスチャーを取った。

 え、ナニをしぼってくれるって?


「ビックリするくらい美味いから、楽しみにしててくれよ」


 巧いって、いったいどこでそんな技を……。

 まさか、ザインと一夜を過ごしたってのは、本当のことなのか!?


「今夜はミルクパーティーだ」


 乱交予定!?

 際限なく積もっていく疑問をよそに、利一が手綱を握り締めた。


「んじゃ、手筈どおり、オレがでかい魔力を感知して誘導するから、ちゃんと言うとおりに走ってくれよ」

「モゥ」

「屈辱とか言うなよ。今度バイト代もらったら、美味い物買ってやるから」


 話がまとまったのか、ミノコというらしい牛が前足で地面を掻いた。


「リーチ・ホールライン、ミノコ、イッキまーす!!」

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