俺とライナさんはとぼとぼと、一言も発さず大通りが交わる広場へやってきた。
中央には守り神の黒竜を象った石像が置かれており、その周りを囲むようにしていくつかベンチも設置されているので、俺たちは並んでそこに座った。
「はあああぁ~~~~~~~~~~~~」
魂まで抜けていきそうな特大のため息が、ライナさんの口から漏れた。
「ライナさん、謝って済む話じゃないが、それでも……本当にすまない。恩を仇で返すようなことをしてしまって」
「…………」
沈黙が重い。
「え……と……ちなみに、いつから性別を隠して騎士をやっていたんです?」
「…………16で入団した時からだから、ちょうど3年だな」
ということは、ライナさんは今19歳なのか。若いな。
……って……え? 3年?
強面ヘルムは被ったままだが、鎧を脱いで俺と似た平服姿になったライナさんは男とは似ても似つかない華奢な身体をしていた。少女的と言ってもいい。
見ればひと目で女性だとわかる。
おそらく、ヘルムだけでなく、人前では鎧も脱いだことがないに違いない。
親しい者も作れなかっただろう。
どれほどの孤独に耐え、どれだけ自分を犠牲にしてきたのか、想像もつかない。
3年という年月が、そっくりそのまま罪の意識へと変換されるかのようだ。
「クロイ」
「は、はい」
「さっきは怒鳴って悪かった」
「どうしてライナさんが謝るんですか? 悪いのは全部俺だ」
肩を落としたまま、ライナさんがふるふると首を横に振った。
「私も、このままでいいのかとずっと自問していたんだ。騎士とは、いついかなる時でも清廉潔白であらねばならない。それなのに、私は誰も彼も騙し続けてきた。ずっと後ろめたかった。だから…………」
長い溜めは、その先を言葉にするのを躊躇っているからだろう。
ややあって、「……いい機会だったのかもしれない」と力なく言った。
「叶えたいことがあるんでしょう? 諦めたくないと言っていたじゃないか」
「分不相応だとも言っただろう。土台無理な話だったんだ。それはたとえ、女だとバレなかったとしても……。だから、クロイが気に病む必要はない」
こんな時まで俺を気遣って。
「……ライナさんは、騎士として何を成そうとしていたんです?」
聞いたところで後の祭りなのはわかっている。
だけど、自分の犯した罪を正確に知るためにも、聞かずにはいられなかった。
「騎士として、というのは少し違う。私にとって、騎士であることは、夢を叶えるための手段だった。生まれが平民だから、選べる道が騎士しかなかったんだ」
急かすようなことはせず、俺はライナさんが続きを話してくれるのを待った。
落ちた陽が建物に隠れ、空が夕暮れ色に染まっていく。
「私には、生涯を賭しても惜しくないと思えるほど焦がれている御仁がいる」
ズクン、と胸に針が刺さったような痛みを覚えた。
初めて味わう感覚だ。
「コーリン王国が現在、西方のベイール山を越えた先にあるアダル帝国と戦争一歩手前の情勢下にあることは、子供ですら知っている一般常識だが……」
「初耳ですね」
またもや、ライナさんが深いため息をついた。
とんだ厄介者を抱え込んでしまったという気苦労からだろう。
「アダル帝国は広大で人口も多いが、コーリン王国と違い、あまり肥沃な土地とは言えない。その代わり、鉱山資源は豊富だし、海にも面しているから、いくらでも共存の道を探せるはずなんだが……。向こうは侵略しか頭にないらしい」
隣の芝生は青く見えますからね。
「まだ戦争に至っていない理由はふたつ。ひとつは、守り神である黒竜の存在だ。黒竜の巣があるベイール山は、コーリン王国とアダル帝国の中間に位置するため、二国の争いには、黒竜も目を光らせている」
「黒竜は争いを好まないんですか?」
「逆だ。戦争規模の衝突があれば、黒竜は嬉々として介入してくる。どちらに非があるかは関係ない。喧嘩両成敗とばかりに、戦場を焦土に変えてしまうだろう」
「守り神っていうのは、結果論なんですね」
「もうひとつの理由は、総合的に見て、コーリン王国の方が戦力的に上だからだ。とはいえ、それも今現在はという話で、アダル帝国は年々力を蓄えている」
「近い将来、力関係が逆転すると?」
「それがいつかは定かじゃない。だが、そうなった時、黒竜の存在を無視してでもアダル帝国が宣戦布告してくる可能性は高い。戦争になったら、私は
「どんな人、なんです?」
生涯を賭しても惜しくないとまで言わしめる相手だ。
俺が入り込む余地なんて、ありはしないだろう。
「言葉を交わす栄に浴したことはない。だが、すべての国民が敬意を払っている。なぜなら、この国の頂に座する御方だからな」
「国の頂? え、王様?」
「そうだ。ルベリア・レル・コーリン様。コーリン王国の現
「セェーーーーッフ!!」
「な、なんだ、急に?」
「いえ、こっちの事情です」
思わず声に出して叫び、心のガッツポーズを取ってしまった。
ライナさんは、こんなにも悲観に暮れているというのに。不謹慎だったな。
でも、そうか。相手は女性なのか。なるほどなるほど、忠義的な意味ね。
いやはや……。
こんなに安堵してしまうとは、自分でも予想外というか、なんというか。
「あれは忘れもしない。私が8歳の時だ。住んでいた村が魔物の群れに襲われた。私の両親は、その時に殺された」
「それは、お悔やみを……」
「私も危なかったんだが、そこへ颯爽と現れたのが、当時まだ姫騎士をされていたルベリア様だった。討伐隊として率いていた騎士たちの誰よりも早く村に駆けつけ命を救ってくれた」
オークから俺を助けてくれたライナさんみたいにか。
「それは、惚れますね」
経験者は語る。
「私は保護され、ルベリア様の私財によって運営されている孤児院に成人するまで入っていた。いつか恩返しをしたい。それだけを思いながら己を鍛えた」
「この国では、何歳で成人扱いなんです?」
「…………」
あ、またその視線(?)
まずいですって。ゾクゾクします。
「16歳だ。飲酒、婚姻も、その年齢から認められている」
「ああ、騎士の採用年齢が16歳なのも、成人しているかどうかが基準なわけだ」
「私は孤児院を出ると同時に騎士採用試験を受けた」
「試験を受ける前から既にそのヘルムを?」
「魔除けとして孤児院に飾ってあったものを、卒院の祝いに譲ってもらったんだ。顔を隠し、声を誤魔化すのにちょうどよかったんでな」
「それ以来、人前では常に被っているわけですか」
「そうだが。あ、もしかして、匂いが気になるのか? 確かに暑い日は蒸れるが、寮で一人の時は外していたし、毎日ちゃんと洗っているぞ?」
「いや、そこは別に。こう言ってはなんですけど、それでよく採用されたな、と」
「顔を出さなくても魔紋認証で本人確認はできるからな。さほど重要じゃない」
魔紋。指紋や声紋の異世界オリジナルバージョンかな。
非常に興味をそそられるが、今は空気を読んで質問を我慢した。
「つまり、ライナさんは、騎士としてこの国の女王様に恩返しをしたいがために、性別を偽って騎士をしていたわけですね。騎士は男しかなれないから」
「半分正解だが、半分違う」
「というと?」
「さっきも言ったように、騎士になったのは、夢を叶えるための手段でしかない。私が目指していたのは、女王直属の親衛隊……《|青薔薇の《ブルーローズ・》
そこはかとなく中二臭がするネーミングだな。
「十人に満たないこともあって、青薔薇の乙女は、ルベリア様との距離が騎士とは比較にならないほど近い。まさしく親衛隊と呼ぶに相応しい」
「その名称からすると、女性に限られてしまう気がするんですけど。騎士は男しかなれないのに、矛盾していないですか?」
もしかして、中国の宦官みたいに、切るのか? 去勢しちゃうのか!?
「青薔薇の乙女と騎士は別物だ。もちろん、ルベリア様を守るために相応の強さは要求されるが、他にも淑女としての気品などが求められる」
「だったら、ライナさんはどうして騎士なんてやっていたんですか?」
「爵位が欲しかったからだ」
おや、急に俗っぽい理由が。
「爵位は神官や騎士、他には政務に携わる者など、国に身を捧げている職業にしか与えられない。冒険者では、どんなに《星》を増やしても叙爵されることはない」
冒険者? 星?
また気になるワードが出てきたな。後でまとめて質問しよう。
「あ、もしかして、爵位も青薔薇の乙女の採用条件に入っているんですか?」
「いかにもだ。当主である必要はないが、子爵以上の位を持つ者の配偶者、または二親等以内の淑女でないといけない」
「なるほど。騎士は爵位を得るまでの腰掛けということですね」
「言い方は悪いが、そういうことになる」
五等爵制だとすれば、上から順に、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵、だっけか。
「一代で子爵位まで昇るって、できることなんですか?」
「国の危機を救うくらいの功績を上げれば可能だと思う」
「……仮にそこまで出世できたとして、それまでずっと性別を偽って騎士をやっていたことを明かしたら、その時点で爵位ごと剥奪されたりしないです?」
「可能性としては、大いにあり得る」
「だったら」
「それでもだ。もしかしたら功績を何より重視され、そして忠心を買われたなら、例外的に青薔薇の乙女の資格を認められるかもしれない。……そう、考えたんだ」
クモの糸どころじゃない。そんなものは細すぎて、とても道とは言えない。
逆に、そんな手段にすがってでも夢に向かう意志の太さに驚きを隠せない。
「未練がましいと思われるだろうが、明日、もう一度嘆願してみようと思う」
「騎士の資格剥奪を撤回してもらえるように、ですか?」
「そうだ」
「やめた方がいいと思います」
「ダメ元だとわかっている!」
「そうじゃなくて。レンゲスみたいな男の下にいて、手柄は横取りされて、雑用は押しつけられて。そんな調子で、どうやって出世なんてできるんだって話です」
「無謀は最初から承知している! それに、レンゲスに従っていたのは、女であることを隠すためだ! 今はもう事情が異なる!」
「現実的に考えてください。無理なものは無理です」
「わかっていると言っただろう!」
声を荒らげたライナさんが、握った拳を、ガンッとベンチに叩きつけた。
「わかっていても……諦められないんだ……」
俯き、肩を震わせながらしぼり出された言葉は泣き声のようにかすれている。
そんな彼女に、俺はともすれば、残酷とも言える一言をかける。
「諦めなくていいです」
「……え?」
彼女のために、俺に何ができるのかをずっと考えていた。
「騎士に戻ることは諦めてください。でも、夢まで諦める必要はありません」
「どういう意味だ?」
この胸中にある感情の正体がなんなのか、俺はもう、完璧に自覚している。
贖罪という意味もなくはないが、それ以上に高揚が占める。
見つけたから。
俺がこの世界で生きる目的を。生きていく意味を。
「青薔薇の乙女の資格を、もう一度確認させてください」
俺はベンチから立ち上がり、ライナさんの正面に回って片膝をついた。
「前提として、女王を守れる強さを有していること。加えて、子爵以上の位を持つ者の配偶者、または二親等以内の淑女であること。でしたよね?」
「いや、だから……何が言いたいんだ?」
改めて感謝しよう。
俺を殺してくれた、あの勘違い包丁野郎に。
そして、俺を転生させてくれた、女神様に。
あと、事務の山田さんにも一応。
「貴女の夢は終わらせない。ライナさんの代わりに、俺が騎士になります」
そして、噛み締めよう。
ライナ・レオブランカという、優しくも気高い女性に巡り合えた幸運を。
彼女の夢を応援したい。女神の気まぐれで拾った人生をすべて捧げてもいい。
本気でそう思っている自分がいる。
「騎士として大きな功績を上げ、アダル帝国との戦争が始まる前に必ず子爵位まで昇ってみせます」
だから、確信をもって言える。
異世界の地にまで来て、俺はついに運命の人に出会えたのだと。
「全部叶ったなら、その時は俺と結婚してください」