竜鎮祭から数日後、王都から呼び出しがあった。
何かお咎めがあるわけじゃない。その逆、褒賞の授与が執り行われるのだ。
王都の景観を楽しむ間もなく、城内まで直行で連れてこられた。
女王の間では、扉から真っ直ぐに伸びた青い絨毯を花道とするように、この国の重鎮らしき人間たちがずらりと並んでいる。
そして、一番奥の玉座には、コーリン王国現女王、ルベリア・レル・コーリンが王に相応しい装いで鎮座していた。
さらに、女王の傍には数人の女性騎士が……いや、騎士じゃない。
あれがライナさんの目指す
待っていてください。もう少しです。
部屋の中央まで進んだところで、両隣を真似て片膝をつき、
右にはラゴス。左にはレンゲスがいる。
ラゴスはともかく、レンゲスも呼ばれていたのは意外だったが、最後は命懸けで体を張っていたしな。こいつもいなかったら、どうなっていたかわからない。
「う、ぉぉおぉ、女王が、目の前に……!!」
極度の緊張で顔を上げられないラゴスが、密かに感動を噛み締めていた。
でもあれ、お前の竜友だぞ。気づかないもんだな。
レンゲスはレンゲスで、「俺の時代が来た」とかぶつぶつ言っていて怖い。
「お三方、面を上げてください」
涼やかで凛とした声が女王よりかけられた。
今日は蝶仮面をしていない。こうして近くで見ると、思っていたとおり美人だ。
ま、俺の目には、ライナさんの方が百億万倍美人に映るがな。
「そなたらの此度の働き、コーリン王国を代表して感謝します。そして何よりも、一人の犠牲もなく事態を収束させてくださり、本当にありがとうございました」
…………いや、誰?
この淑女、本当に俺の知っている人? 俺の知り合いだったら「恐悦至極なのでありますじゃー」とかハイテンションで言いそうなものなんだけど。
「その活躍に敬意を表し、褒美を取らせたいと思います」
ラゴスは、とにかく恐縮していて「あばばば」と意味不明な声を漏らしている。
一方で、レンゲスが小声で「っしゃー」と言ったのが聞こえた。
「まずは、ラゴス・サンバルボ殿、そなたは今の冒険者の位、四ツ星にひとつ星を加え、五ツ星への昇格を褒美とさせていただきたく思います」
「へ、へへえ! ありがたき幸せであります!」
「んむんむ、大儀でありまする——と……大儀でありました」
言い直した。
ラゴスが「ん?」と何かに気づいたのか、目を細めて女王を凝視した。
女王の方は、あちゃーという感じではにかみはしても、顔を隠したりはしない。
さすがに隠し通せないだろう。
じぃ、とラゴスが熱視線を向けていたかと思えば、今度は首が折れそうな勢いで俺の方を見てきた。人間、こんなにも驚いたリアクションができるんだな。という見本みたいな顔だ。
言葉は不要。俺はただ、こくりと頷いた。
「~~~~~~~ッ!!!???」
こらこら。女王様を指差すんじゃありません。
「おほん。次に、レンゲス・ダルクーズ殿」
「はっ!」
こっちはこっちで、騎士のお手本みたいにきびきびとした所作だ。
しかし、ラゴスにバレたからか、女王は猫を被るのをやめてしまったようだ。
ぽりぽりと頭を掻き、「褒美……褒美……何にすっかなぁ」と悩むように玉座の手すりで頬杖をついた。
「ぶっちゃけますると、わたくし様、気を失っていましたからして、そちの活躍、ちぃとも見ておらんのじゃりまするよなー」
「へ?」
「あ、良いことを思いつきましたぞな。そういえば、そち、わたくし様の喋り方が変だの、頭がおかしいだの、散々言ってくれやがりましたよな。あの暴言、あれを聞かなかったことにしてやりまする」
「え? え? あの時の……え……女王……様?」
レンゲスが確認を求めて俺を見てきた。お前もか。こっち見んなよ。
多少は仲間意識も芽生えたし、ここで「ザマァ」と突き放すのは可哀想だな。
代わりに「ドンマイ」と言って、優しく肩を叩いてやった。
がくりと消沈したレンゲスから、女王の視線が俺に向けられた。
「最後に、クロイ・リュージ殿」
「はい」
「そちには、どれほど感謝の言葉を並べても足りませぬ。アダル帝国との不和も、コーリン王国に有利な条件で解消に向かい、ひいては、王国内すべての国民の心に平穏をもたらしてくれましたぞな」
「皆の力があってこそです。自分一人の功績ではありません」
謙虚な姿勢に、ギャラリーから「おお」と感心した声が上がる。
と言っても、今回ばかりは俺。なんと言っても俺。第一功が俺に来てしまうのは致し方ないだろう。それだけの働きをしてしまったからな。
「そんな英雄であるそちに贈る褒美でありますじゃが」
ついに。
ライナさんへの想いが大きすぎるせいだろうか。
駆け抜けるような時間しか経っていないはずなのに、ここまでの道のりがとても長かったように感じる。
でも、これで爵位を。
子爵位をもらえれば、胸を張って、ライナさんに再プロポーズができる。
さあ、女王様、俺の方は準備OKです。
言ってください。「子爵位を与える」——と。
「此度の功績を称え、クロイ殿には
「もう一声!」
「も、もうひと声とな!?」
周囲から「不敬な!」みたいなことを言われているが、こっちも譲れない。
男爵ではダメなんだ。
青薔薇の乙女になる条件。それは
「じゃ、じゃがし、これはそういう決まりである故、一足飛びに子爵というのは」
「子爵位をもらえるなら、黒竜の背に乗って飛べる権利を約束します!」
「伯爵位くらい、いっちゃうかいなー!」
勢いで押し切りたいところではあったが、どうやら家臣は有能らしい。
総がかりで「おやめください、女王様!」と窘められていた。
「んあー……んじゃらば、後ほど領地経営の相談があると思いますじゃが、可能な限りでクロイ殿の希望を聞くということで、ひとつどうでありますかいの」
「わかりました。それで手を打ちましょう」
カザハシ村一帯は元々領主のいない空白領土ではあったが、これでほぼ確実に、あの地をもらうことができるだろう。約束は守れそうだな。
この後は、宴会が催される予定だ。
主役は俺らしいので、いろいろと挨拶回りが面倒になることが予想される。
新しく貴族の仲間入りをするのだから、このあたりは避けて通れない。
そのため、慌ただしくなる前に、俺は彼女のところへ行くことにした。
◇◆◇
城を出てすぐ、城下につながる橋の上に彼女はいた。
城を囲む水掘りを眺める横顔が美しすぎて、俺は知らず足を止めてしまう。
「ん、クロイか」
「ライナさん、お待たせしました」
「論功行賞は終わったようだな」
「つつがなく」
「望む結果は得られたか?」
「残念ながら、男爵位止まりでした」
「当たり前だ。叙爵しただけでも驚くことだというのに」
でも、それだとライナさんにプロポーズができないんです。
そんな考えが顔に出ていたんだろうか。
「まあ、クロイなら、すぐに陞爵してしまいそうな気はするが」
「黒竜をエサにすれば、たぶんいけますよ。あの女王様、だいぶチョロいです」
「アリベルどのではあるまいし、失礼なことを言うな」
事実を知っているだけに、ぷはっ、吹いてしまった。
ライナさんが顔をしかめている気配がしたので、「それよりも」と強引に話題を変えた。
「褒賞授与、本当によかったんですか? 俺はもったいなかったと思います」
ラゴスとレンゲスに城への招待があったように、もちろんライナさんにも褒賞の話は来ていた。それを本人の希望で辞退してしまったのだ。
「敵に捕まるような失態をおかしておいて、褒美をもらう気になどなれるものか」
「その後の活躍を見れば、十分にお釣りがくると思いますけど」
「なら、それで相殺だ。ルベリア様の前に顔を出す資格はない」
相変わらず、ストイックだな。
それなのに、俺たちを祝うため、王都までついてきてくれる人の
生きづらい性格だと苦笑しつつ、同時に憧れも抱いてしまう。
彼女はそのままでいい。
そのままの貴女を、俺が誰よりも幸福にするから。
「ラゴスが嘆いていましたよ。俺が五ツ星になって、ライナの嬢ちゃんが四ツ星のままなんて、どの面下げてギルドに顔出せばいいんだって」
「ラゴスどのは頼れる先輩だ。皆を率いる力もある。五ツ星でも不思議はない」
「まあ、俺もそう思いますけど」
「五ツ星の戦力指標を覚えているか?」
「えっと、それって『大きな町でもヒーロー扱いされちゃう』ってやつですか?」
「そうだ。私は、ヒーローになりたいわけじゃない」
「そうですね」
ライナさんの目標は、騎士や冒険者としての大成じゃない。
あくまでも、女王様の近衛である青薔薇の乙女になることだ。
と、そう思ったんだが。
「私は、ヒロインなんだろう? ……クロイにとっての」
予想外の発言と恥じらいの仕草に、俺の意識は、危うくベイール山の向こうまで飛んでいき、橋の上から堀に落ちそうになった。え……カワ……。
「あの男に組み伏された時、正直……身が凍るほど恐ろしかった」
「それが普通です。恥じるようなことじゃありません」
「違う。言いたいのは、そういうことじゃないんだ」
俯きがちに視線をうろうろさせ、言葉にするのを躊躇している。
普段なら、絶対に言わないようなことなのだろう。
「黒竜に乗ったクロイが現れた時、安心したし、すごく…………」
すごく、何だろう。
「………………………………カッコイイと……思った」
「あ、ありがとう、ございます」
喜びよりも驚きが勝り、呆けたように礼を言ってしまった。
まさか、ライナさんから、そんなこと言葉をもらえるなんて。
「ヒロインの窮地に、ヒーローが颯爽と駆けつける。物語でしか知らなかったが、ああいうのがそうなんだと思ったし、あの時に感じたものが、きっと、ヒロインの気持ちというやつなんだろう」
あのライナさんが……。
自分をゴブリンと同列に見ていたような彼女が……。
ヒロインの気持ちを理解した!?
「ぐ、具体的に、どんな気持ちになりましたか?」
「……すごくドキドキして、胸が熱くなった」
恋?
それは、恋なのでは!?
そう問い詰めたいけど、今までの経験からして、ここでがっついてしまったら、すべて水泡に帰してしまうことが容易に想像できる。
「ラ、ライナさんも女性ですから、普通……うん、普通ですよ」
普通ってなんだ。
もっと雰囲気を盛り上げる、気の利いた一言はないのか。
「自分には無縁だと思っていたが、クロイは私に、こんな感情をくれるんだな」
「ライナさんにだけですよ。今も、昔も、これからも、ライナさんにだけです」
幸い、人通りはなく、さらさらと心地良い風だけが通り抜けていく。
水掘りの中にいる魚が跳ね、ぽちゃん、と水面を揺らした。
「私だけか。……私にとっても、クロイは特別な存在なんだろうと思う」
「も、もしかしてですけど、ランキングに変動があったのでは?」
「そう易々とルベリア様に並べると思うな。お前など、あの方の遥か後ろだ」
「はい……」
実物を見た今だから思うんですけど、ちょっと神格化しすぎだと思います。
刷り込み的なものがあるのは間違いないですね。
「……だが」
「だが? だが、何です!?」
「あ、いや、ルベリア様が一番なのは変わらない」
「それはもうわかっています!」
がっつくなと自分に言い聞かせたばかりなのに。
ライナさんの声が、言葉が、表情が、仕草が、俺を期待させる。
俺は呼吸を忘れ、祈るような気持ちで続く言葉を待った。
じっと。
じっと。
やがて、ライナさんの奮えた唇がゆっくりと持ち上がった。
「……ルベリア様以外は等しく圏外だと言ったが…………あれだけは、訂正する」
精一杯という感じで、最後は消え入りそうなほどか細くなっていた。
でも、確かに聞こえた。
「これ以上は言わない。意味は……勝手に察しろ!」
赤くなった顔を隠すためか、背を向け、逃げるようにして走り去ってしまう。
ライナさんは宴会にも参加しないと言っているので、城下を散策するのだろう。
それ、絶対にナンパされるから。
今すぐ追いかけたいけど、足がふわふわして思うように動いてくれない。
俺は橋の手すりに寄り掛かり、晴れ渡る空を仰いだ。
嬉しくて。
ただひたすらに嬉しくて。
こういうのを、天にも昇る気持ちというんだろうな。
『一途な黒竜は晴天に昇る』—完—