近所と言っても、隣の家は俺が歩いて十分ほどの場所にある。俺は昔ながらの音符が描かれているインターフォンを押す。
ああ、懐かしいな……。以前じいちゃんに連れられて来た事がある……確か中沢さん、と言っただろうか。
現れたのは、お爺さん。ああ、やっぱり中沢さんだ。昔の面影はちゃんと残ってるけど、やっぱり年を取られたなぁ。
中沢さんは俺を見ると目を見開いて、ゆっくりと首を傾げた。
「おや……ここらでは見ない顔だね……? どちらさん?」
「あっちの家に住んでいた
中沢さんは眼鏡を持ち上げて、俺へと顔を近づける。近すぎないか? と苦笑いの俺に気がついていないのか、目を細めて見つめていた。
しばらくして、中沢さんは何かを思い出したのか、「おお……!」と手を叩く。
「もしかして、
「
「おうおう、こんなに大きくなって……! 吉江!」
俺が何かを言う前に中沢さんは家の中へ入ってしまったが、少ししてこれまた見覚えのあるお婆さんが現れた。中沢さんの奥さんだ。吉江さんと言うのか。
顔に皺があるけれど、中沢さんより若く見えるような気がする。
「あら、真守ちゃんだったかしら? 大きくなって……今日はどうしたの?」
「祖父の四十九日も終わりましたので、遺品を整理していまして……」
「ああ、御堂さんの……ね……」
中沢さん夫婦は悲しそうな表情を浮かべる。雰囲気がしんみりとしてしまったところで、俺は慌てて話し始めた。
「ああ、じいちゃんは向こうの病院で俺たちに見守られながら逝ったんで、心配しないで下さい」
あの時の事はよく覚えてる。
じいちゃん、笑顔で俺の話を聞いてくれたんだけどさ。いきなり真顔になったんだ。そして俺の目を見てこう言ったんだ。
「真守、ごめんな」
最初何に対しての謝罪なのかが、分からなくてさ。俺が「何を?」って聞いたんだけど……その時には既にじいちゃんは安らかな顔で眠っていた。
……それが最後の言葉だったな。
笑っていた口元が、不意に真一文字になったのを覚えてる。あれは印象に残ったな。
結局じいちゃんが亡くなる前に、なんで謝ったのかなって気になってさ……勿論、俺には思い当たる節はなかったから、両親に聞いてみたんだ。ただ二人も肩を竦めるだけだったから……真相は闇の中。
吉江さんは俺の言葉を聞いて、笑みを浮かべた。
「そう、それは良かったわ……きっと守正さんも皆さんに看取られて嬉しかったでしょうね……そう言えば、真守ちゃん。何か用事があったのではなくて?」
「あ、そうだ。ひとつお聞きしたい事があって。祖父が管理していた場所について聞きたいんですけど、どの山か、分かりますか?」
俺はいくつかの山を指差す。全部だと言われたらどうしようか――なんてちょっと身構えていたんだけど……幸い天は味方してくれたらしい。
「確か道が続いているあの山だけだったわよね、あなた?」
「んー、そうじゃったな……ああ、そうか、真守くんがなぁ……」
中沢さんがふと遠くを見るような目で呟く。
「え、俺が何か?」
「……いやいや、なんでもないよ。年寄りの独り言じゃ」
そう言って、柔らかく笑った中沢さん。
その笑みを見てふと、じいちゃんの事を思い出した。ああ、俺のじいちゃんもこんな風に笑っていたっけ――確か亡くなる日もこんな笑みだったような……。
そんな事を考えていた時、中沢さんの笑っていた口元が、不意に真一文字に結ばれていた。
「だがな、真守くん。気をつけるんじゃぞ?」
柔らかかった声とは違う、地を這うような低い声。俺は中沢さんの変わりように目を見張る。
「あの山には守正さんが管理をしていた祠があるんだが……守らなくてはならない事がひとつあってな? それは『祠に触ってはいけない』んだ。絶対に、じゃ」
中沢さんの言葉に、俺は狼狽える。「触ってはいけない」――その言い方が、冗談には聞こえなかったからだ。
だったら、じいちゃんはどうやって祠を管理していたんだ? その祠の中には本当に何かが封印されているのか? ……と色々な思いが頭を過ぎる。
そんな俺を見て、中沢さんがニッと笑う。
「とまあ、儂らは親に言いくるめられてきたからのう……真守くんも気をつけるんじゃぞ?」
「は、はい……」
さっきの地の底から這い出してきた声は影を潜めて、今は元の柔らかな声で話す中沢さん。先程の様子が嘘のようだ。
すぐに吉江さんが話を変えて、世間話になる。俺は相槌を打ちながら、帰りぎわにもらった吉江さん手作りの惣菜や野菜たちを抱えて帰ったんだけど――。俺の心の中には、なんとなく言葉にできない不安が残ったままだった。