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第4話 202×年 7月某日――

 202×年 7月某日――


 それから数日。

 自炊ができない俺を心配した吉江さんから、毎日差し入れをもらい、俺は家の片付けに精を出していた。吉江さんの手料理が美味くて、貰った分は全部完食してしまったくらいだ。


 今日も今日で吉江さんが持ってきてくれた手料理を食べてると、玄関の扉をノックする音が聞こえる。

 外を見ると太陽は沈み、辺り一面闇に包まれている。吉江さんは昼前にいつも来てくれるから、多分違うと思うんだけど。


 ああ、そう言えば世間話をした時、中沢さんが「おっ、酒いけるんか?」と嬉しそうに話していた。もしかしたら酒のお誘いか?


 そう思って、俺は「はーい」と入り口を開けると……なんと、一人の女性が立っていた。


 俺はその女性の顔を見て息を呑む。顔が驚くほど整っているので、きっと素顔はテレビで見る女優さんのように美しいのだろう、と思う。

 何故思う、なのかというと……見えるのは左側の顔だけだったから。


 彼女の顔の右半分には包帯が巻かれているため、顔が見えないのだ。


 呆然としていた俺に、女性が鈴の鳴るような声で話しかけてきた。


「夜分遅くに申し訳ございません……一晩だけで良いので、泊まらせていただけませんか?」


 話を聞くと、女性はどこかの村から逃げ出してきたそうだ。逃げ出した理由は、夫からの暴力。実家へ戻るためにここまで歩いてきたのだとか。

 けれども陽が落ちた上に、水も飲んでいなかったからか、倒れそうになっていたのだという。そんな時にこの家の明かりを見つけて、扉を叩いたのだとか。


 今のご時世、無闇矢鱈に知らない人を家に入れるのはどうかと思ったが……それ以上に女性が着ているワンピースも靴も泥だらけで可哀想だと思った。

 包帯は巻かれているが、綺麗な女性と一晩屋根の下……その言葉に俺は唾をゴクリと飲み込む。


 いや、邪推しないで欲しい。俺は女性とあーだこーだなる気はないのだから。けど、心はざわつくよな――。


「この家は俺一人で住んでいるのですが、それでも大丈夫ですか?」


 念のため、俺が一人だという事を伝える。もし嫌そうな素振りを見せたら、中沢さんの家を紹介しよう――残念だけど。


 俺の言葉に女性は少し悩んだようだったが、「大丈夫です」と小さな声で話す。俺はその言葉を聞いて胸が高鳴るのを抑えられなかった。

 だが警戒されても困る。俺は人の良さそうな笑みを貼り付けながら彼女を家へと招き入れた。


 彼女を家へと入れた俺は、水を一杯渡してから、吉江さんから貰った惣菜を彼女の前に出す。彼女は可愛らしい声で感謝してくれて、食事をとり始めた。


 その所作の美しい事と言ったら……。


 食べ方を見る限り、もともと良いところのお嬢さんのかもしれないな、と思う。顔も綺麗で、所作も綺麗、そして声まで可愛らしい――天は二物どころか、三物も彼女へと与えたらしい。今まで俺の側にはいなかった清楚なタイプの女性に、興味津々だ。


 それに無意識のうちに、目を奪われるんだよな。

 流石に食事しているところジロジロ見るのは良くないだろ? でも、見ちゃうんだよな……。


 そして最初は美しい動作だな、なんて思っていただけだったんだけど、段々その所作が色っぽく見えてくるんだよな。大人の女性って色気が半端ない。

 俺は彼女が食事をとっている横で、「見ていないですよ」という雰囲気を作っていたけれど、視線は何度も彼女に向けっぱなしである。良く気づかれなかったな、と思うよ。


 ちなみに食事をとった後は、各々お風呂に入って寝た。

 彼女も眠そうだったし、明日この家を出ていくんだもんな。あまり詳しい事を聞いてしまうと、別れが悲しいかと思って。

 俺はじいちゃんの部屋に、女性にはばあちゃんの部屋に布団を敷く。そして何事もないまま、朝を迎えたんだ。


 翌朝。

 俺が目を覚ますと、台所からトントントン、と小気味良い音が聞こえた。誰かが包丁で何かを切っているみたいだ。

 この家は俺以外、誰も住んでいないよな……と寝ぼけた頭で考えて、ハッと思い出す。そうだ、昨日女性が家に泊まったんだった!


 慌てて俺が台所へと向かうと……そこには夜の闇のように黒く、一本に結んだ髪の女性が立っていた。扉の開く音に気づくと、彼女はゆっくりと振り返った。


「おはようございます。昨日はありがとうございました」


 透き通るような声。ああ、やはり昨日の女性だ。


「いえ、何もお構いできず申し訳なかったです」

「そんな事……お食事と寝床をいただけただけでも、助かりました」


 やはり彼女は美しい。

 そう思いながら呆けていた俺に、彼女は花開くような笑みを向けた。


「あの、よろしければ……お食事はいかがですか?」


 照れながら告げられたその言葉に、俺は間髪入れずに頷いていた。


 食事をしながら改めて彼女から名前を教えてもらった。スズラさん、と言うらしい。携帯を取り上げられてしまったために、実家とは連絡を取る事ができず、一心不乱にここまで歩いてきたのだとか。


 彼女が調味料を取りに立ち上がった時、足を少し引きずっているようだった。聞いてみたら元々足が悪いらしく、歩く時に引きずって歩いてしまう癖があるのだとか。


 スズラさんが可哀想になった俺は思わず口に出していた。


「もう少しこの家で休んでいきませんか?」

「えっ……ご迷惑になりませんか……?」


 俺の提案に驚いたのか、目を見開いた彼女は心配そうに尋ねてくる。


「大丈夫ですよ。ここは元々俺の祖父母の家ですし。滅多に人は……あ、いや中沢さんが来るか……ああ、えっと、中沢さん、吉江さんは……えっと、ここから十分ほど歩いたところにある家の方なのですが、その方くらいしか来ませんから」


 スズラさんに見つめられて、俺はしどろもどろだ。

 話していて、吉江さん今日は来ていないな――なんて思ったけど、そういう日もあるよな。まあ……たまたまだろう。吉江さんが来たら、俺が対応すれば良いさ。


 最初は悩んでいたスズラさんだったけれど、しばらくした後俺の顔を覗き込んできた。ああ、可愛らしい……彼女は狙ってやってるのか? いや、多分素だろうな……素でこれって可愛すぎるだろ。

 そう考えると、暴力を振った男は本当にクズだったんだろうな、と思う。


「じゃあ、何日かお願いしても良いですか……?」


 彼女の一言で、俺とスズラさんの同居生活が始まったのである。



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