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第5話

 彼女との暮らしは、一言で言えば最高だった。


 スズラさんから何故、この家にいるのかと尋ねられた俺は「じいちゃんの家の片付けをしている」と伝える。するとスズラさんは「でしたら私が家事をいたしますね」と提案してくれた。

 最初は断った。だって、色々大変だったんだから、ゆっくりしてて良いって言ったんだ。

 けど、スズラさんは太陽のように微笑んで、「真守さんもお疲れでしょうから、私に任せていただけませんか?」と言ってくれて、その提案を受け入れたんだが……。


 それが正解だった。


 だって、スズラさんの料理は、作るもの全てが美味しくてさ。俺の母さんよりも……いや、下手したらそこら辺にあるレストランよりも美味い。

 本当に天は二物も、三物も……いや、俺と比べるのは良そう。


 しかもリクエストにも答えてくれるんだ。

 最初は和食レストランのような定食で目を見張り……。食べてみると、おいしくてさ。思わず「美味い!」って叫んで、何杯もご飯をお代わりしてたら、「リクエストはありますか?」って聞いてくれて。


 楽なものを――って考えて、家から持ってきた「素麺」を思い出して伝えたんだけどさ。そしたら、天麩羅まで作ってくれて。俺は幸せ者だと思ったね。


 それが数日続いて、ふと思ったんだ。


「そういえばスズラさん。食料は大丈夫?」


 中沢さんに野菜とか貰っていたとはいえ……そろそろ食料も尽きる頃じゃないかと思ったんだよ。朝も昼も夜も、結構な量のご飯作ってくれるしさ……。空が心配で尋ねたら、最初はキョトンとした表情で俺を見ていたスズラさん。またその表情が可愛かった――。


「ええ、大丈夫ですよ。食材はまだまだありますので」


 と教えてくれたんだよ。


 ――たださ、ちょっと疑問が湧いたんだ。


 数日前に吉江さんから貰った分は、多分使い終わってると思うんだよな。スズラさんがこの家に来てから、吉江さんはこの家に来ていないようだし……彼女はどこから食料を手に入れたのかなって。

 その事を聞いてみたら、スズラさんが少し頬を染めたんだ。


「私が外へ行って、貰ってきたのです」


 そう言えば、ここ数日、何度か玄関の扉の閉まる音がしたような……あれってスズラさんが扉から出入りする音だったのか!


「いやいやいや、スズラさん! 大丈夫なの?!」


 一応彼女は婚家から逃げてきた立場だ。

 家に篭っていたら気づかれないだろうけれど……いや、それでも、この場所が本当に安全って保証はないじゃないか!


「ええ、少しの時間ですから大丈夫です。それに……私がここにいる限り、大丈夫です」


 自信満々に胸を張ってそう言うスズラさんは、どこか誇らしげで――少し、不思議だった。

 俺はその姿を見て呆気に取られた後――ブッと吹き出してしまう。確かになんとなく彼女を見ていると、大丈夫じゃないかって思うんだ。


 それに多分だけど、中沢さんのところに食料を取りに行っているんだろうな。今度吉江さんがここにきた時は、幾らかお礼を包んだほうが良いかもしれないなぁ。


「大丈夫なら良いんだけど……もし何かあったら、逃げてよ?」

「ええ、真守さん。そうさせてもらいますね」


 スズラさんは首を少し傾げて、クスッと笑う。

 最初は緊張して敬語だった俺だったが、今では「スズラさん」、「真守さん」とお互いを呼び、笑い合う仲となっていた。少しずつ深くなっていく関係に俺は毎日ドキドキとしっぱなしだ。


「では、私は料理の続きをしますね」


 スズラさんは微笑んでから、僕に背を向けた。その瞬間、彼女のポケットから金色の小さな物が「キーン」と高い音を立てて、床に転がり落ちる。

 僕は落ちたを目で追った。するとそこに落ちていたのは、金色の鍵。


 細長い軸に、小さな突起がひとつだけ付いている。――昔のヨーロッパの貴族たちが使っていたようなイメージのある鍵だ。


「あっ」


 彼女は慌てて鍵を拾う。とても大切なモノなのだろう。


「スズラさん、それ大切な鍵?」

「ええ……帰るために必要なのです」


 それにしては古風な鍵だな、と思うけど……。首を傾げていると、彼女が微笑んで言った。


「これは門を開くための鍵なのです」

「門を開くための鍵かぁ、おっきい門なんだろうなぁ……」


 門に鍵がついてるって、凄くないか?

 スズラさんの家は豪邸で、入り口の門に鍵が付いてるって事だろ? どんだけ金持ちなんだ……?


「スズラさん、その鍵に描かれている花って何?」


 鍵の持ち手部分に描かれている絵――。

 なんか祠に咲いていた花と似ているような気がしてさ。まあ、気のせいかもしれないけど……なーんか気になったんだよな。なんでだろう?


「鈴蘭の花の絵です。私の家を象徴する花なのですよ」


 そう艶やかに微笑むスズラさん。

 スズラって聞いて苗字なのか、名前なのか分からなかったけど、きっと彼女の家の苗字なんだろうな。あれだ、鈴蘭は家紋とか紋章に使われていて、そこからスズラと名付けたとか。

 ……おいおいおい、そう考えたら結構な大豪邸のお嬢様なんじゃないか、彼女?


 そんな彼女と婚姻した男も、相当な――いや、考えるのは止そう。スズラさんが大丈夫です、と言い切ったなら問題ないはずだ。内心焦りを見せていた俺の事を知ってか知らずか、スズラさんは楽しげに話している。


「鈴蘭の花言葉は『再び幸せが訪れる』『純粋』のように、幸福や純潔、美しさを示す言葉が多いそうですよ」


 スズラさんにぴったりの言葉だな、と思う。彼女が来てから、俺は毎日満たされた気持ちでいる。まるで俺の元にふらっと訪れた女神――流石に恥ずかしくてそんな言葉は言えないか。


「花が階段みたいに咲いている様子から『妖精の階段』と呼ぶところもあるそうですよ」

「なんだか可愛らしいな」


 ああ、やっぱり祠にあった花は鈴蘭だったか。あれも階段のように、段々に咲いていたもんな。

 俺はあの花の上を小人が飛んでいく様子を想像して、思わず笑っていた。けれど――。


「『天国の階段』」

「え?」


 スズラさんが小さく首を傾げ、澄んだ声で言い直す。


「あ、いえ。鈴蘭の別名で『天国の階段』と呼ぶところもあるようですよ。面白いですよね」


 鈴蘭のように可憐な笑顔を見せるスズラさん。

 その時、理由もなく背中をひやりと冷たいものが撫でたような……。俺は辛うじて「へえ、面白いな」と返したが――心の中では胸騒ぎを感じていた。


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