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第2話 清楚な文学少女(仮)は、恋を綴る


 放課後。

 太陽が傾き、校舎の廊下に長い影が落ち始める頃――


 「桐ヶ谷くん、ちょうどよかった」


 帰り支度をしていた迅は、職員室前の廊下で担任に呼び止められた。

 先生は腕時計をちらりと見て、少し慌ただしい様子だった。


 「椎名さんに渡してほしいプリントがあるんだ。図書委員の資料だけど、今すぐ職員会議に行かなきゃいけなくてさ」


 そう言って差し出された封筒を、迅は無言で受け取った。


 「図書室にいるはずだから、頼むよ」


 「……わかりました」


 断る理由もない。

 むしろ、こうして先生に頼まれごとをされるのも、少し前の自分には無かったことだ。

 不良をやめた――それだけで、周りの反応も少しずつ変わってきているのかもしれない。


 自然と足が図書室へと向かう。

 扉を開けた途端、紙の匂いと静寂が迎えてくれる。

 こんな静かな空間が、こんなに落ち着くとは。

 少し前まで、喧嘩と騒音の真ん中で生きていた自分が嘘のようだ。


 「ご用件、ですか……?」


 声が聞こえ、迅はそちらに顔を向けると、本棚の向こうから、ひょこっと顔をのぞかせる女子生徒がいた――

 セミロングの栗色の髪をふわりと二つに結い、知的な眼鏡がよく似合う。


 椎名詩織。迅とは同じクラスだが、これまで特に言葉を交わす機会は少なかった。

 物静かで、教室ではいつも読書かノートに何かを書き込んでいる姿が印象的だった。


 迅はプリントに目を落とし、相手の顔を確認してから言った。


 「ああ、椎名。先生から渡してくれって頼まれた」


 「あ……はい、お預かりします。桐ヶ谷くん」


 「悪いな、頼んだ」


 「最近桐ヶ谷くん、有名ですよ。“ちょい悪だけど実は優しい”って噂、図書室まで聞こえてきます」


 「噂ってなんだよ……」


 少女は、どこかおっとりとした空気をまとっていた。

 話すテンポも、声のトーンも優しくて、耳に心地よい。


 「同じクラスだけど、今まで殆どお話したことをなかったですよね。あの……私は椎名詩織っていいます。図書委員してます。……あと、小説書くのが好きで」


 詩織はそう言いながら、制服のポケットに忍ばせた小さなメモ帳をそっと撫でた。


 「あー……へぇ、すごいな」


 「……実は、昨日の帰りに、あなたが子犬を連れて歩いてるのを見かけました」


 「……見てたのか」


 「はい。……可愛かったです、子犬。もちろん、あなたも、ですけど」


 「は?」


 「い、いえっ!? いまのは比喩で! 比喩っていうか、その、印象の話でっ……!」


 慌てて本を抱きしめ、頬を赤く染める詩織。

 その様子に、迅は思わず肩の力を抜いた。


 ――こういう子は、珍しい。

 まっすぐで、よくわからん妄想もせず、普通の会話ができる女子。


 「子犬の名前、なんて言うんですか?」


 「……レン、だ」


 「かわいい……。あ、もしよければ、レンくんの話、もっと聞かせてくれませんか?」


 素直なその一言に、迅は珍しく、自然と頷いていた。



***



 一方その頃、廊下の角――

 ロッカーの影から黒髪の少女が顔を出す。

 笑顔のままのその目には、ほんのわずかな棘が混じっていた。

 怜奈の小さな声が漏れる。


 「……遅い……遅すぎます、先輩。……もしかして、他の女と“仲良く”なんて……してませんよね?」


 怜奈のヒロインセンサーが、ビビビと鳴る。

 目元は笑っている。けれどその奥には、ひりつくような光が宿っていた。


 「大丈夫。“他の女”なんて、全部削除すればいいんですから♡」


 (……いや、冷静に。これはまだ“フラグ未確定イベント”……きっと偶然、きっとただの図書委員……)


 だが次の瞬間、ドアの隙間から――

 迅が椎名詩織と並んで本を覗き込みながら、何か話して笑っているのが見えた。


 「……近い。近すぎます、その距離感♡」


 冷静に見える怜奈の瞳が、キラキラを通り越してギラギラと光を帯びる。


 (……ダメ……このままだと、ヒロイン枠に割り込まれちゃうっ♡)




 ドンッ!


 図書室の扉が勢いよく開いた。


 「迅先輩っ♡ 遅くなってごめんなさ〜い♡まさか、先に誰かと“本棚イベント”してたなんて♡」


 「……は?」


 迅が呆けた顔で振り向くと、そこには“この場に最もふさわしくない少女”が立っていた。


 「あなたは……九条さん、ですよね?」


 「は〜い♡九条怜奈で〜す♡先輩のヒロインです♡」


 「いや、ここ図書室だぞ。静かにしろ」


 「ごめんなさーい……。でも……静かにしてる間にサブヒロインが攻めてきたら……殺意、湧いちゃいますよね♡」


 「え、私……攻め……?」


 「あなた、まさか図書室という名の“背景”を武器にして、文学系ヒロインポジ狙ってないですよね♡」


 「ぶ、文学系ヒロイン……!?」


 「先輩、私ちゃんと知ってますよ♡ 図書委員の椎名さんって、“創作好き”で“清楚”で“文学少女”っぽくて……あと、『BLにハマってる』って風の噂で聞きました♡」


 「ふぇえええっ!? そ、それはっ、間違いでは……ないんですけどっ……!」


 「椎名さんって……可愛いですよね♡おっとりしてて、真面目で、女の子らしくて……でもそれって、男を油断させるタイプって自覚してますか♡?」


 あくまで笑顔で怜奈は続ける。


 「ふふふっ♡ この私の前で、サブヒロインなど通用しませんっ♡」


 怜奈のテンションに、図書室全体の空気がわずかに軋んだ。

 思わず迅がこめかみを押さえ、詩織は胸元で抱えた本をぎゅっと握りしめる。

 二人の反応をよそに、怜奈は満面の笑みを浮かべたまま――


 図書室という静寂の聖域で、唯一テンションを爆上げしている少女――空気を読まないヒロイン(自称)、それが九条怜奈である。



***


 放課後の静かな校舎に、不自然なざわめきがじわじわと漏れ始めていた。

 普段はほとんど物音すらしないはずの図書室方面から、微かに声が響いてくる。


 教室の隅では、友坂拓海がプリントを片手にぼんやり窓の外を眺めていた。


 「……提出物まとめるのって地味に面倒だよなぁ……」


 そんな拓海の独り言に、隣でノートを整理していた別のクラスメイトが小声で返す。


 「あれ、今なんか聞こえなかった? 図書室の方……って、まさかまた桐ヶ谷か?」


 拓海は苦笑し、肩をすくめた。


 「だろうな。ジン、マジで波乱体質だよな。……つーか、またあの子絡みだろ?」


 「図書室であのテンションなら、ほぼ確定だな」


 「平穏に生きたいだけの男なのに、マジで哀れだわ……お祈りしとくか、ジンの平穏のために」


 「……でもさ、多分、明日も何か起こる気がするんだよな……」


 二人は静かに手を合わせた。もちろん冗談半分で。




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