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第3話 先輩の家って、私の家になる予定ですよね♡

 ようやく図書室での騒動も収まり、迅はため息と共に校舎を後にしていた。


 (……はぁ。今日は一段とカオスだったな……)


 怜奈の暴走を何とか振り切り、校門のところで強引に別れを告げたのはついさっきだ。


 「先輩♡一緒に帰りましょ♡」「来るな」


 ――そんなやり取りを何度も繰り返し、どうにか怜奈を撒いて迅は家へと帰宅した。



***



 夕方、住宅街の裏道。

 迅はレンのリードを軽く引きながら、ゆっくりと歩いていた。


 裏山のぬかるみで震えていた小さな命は、今はもう元気に尻尾を振って歩いている。


 「……ほら、レン。こっちだ」


 チョコチョコと小走りに先を行くその姿に、自然と口元が緩む。

 だが、その静けさも――長くは続かなかった。


 「せ〜んぱ〜いっ♡」


 背後から突然飛んできた、妙に甘ったるい声。


 (……まただよ、やっぱりな……)


 迅はゆっくり振り返る。

 そこには当然のように、黒髪ロングの“あの少女”が立っていた。


 「……お前、なにしてんだ」


 学校で別れたはずの怜奈の姿に迅は顔を引きつらせる。


 「校門でバイバイされたけど……先輩の行動パターンは予習済みですから♡ 散歩中の先輩も可愛かったです♡」


 怜奈は笑顔のまま、ずいっと顔を近づけてくる。


 「“おうち訪問イベント”、ついに解禁ですね♡」


 「誰がそんな許可出したんだ」


 「運命が、です♡」


 迅は眉間を押さえ、短くため息を吐いた。


 (……やれやれ、ほんと手のかかる……)


 怜奈の表情は、あざといくらいに無垢だった。

 いや、無垢“風”だった。


 (……無理に追い返したら、またどこで待ち伏せされるか分かんねぇし……)


 迅は観念して、静かに肩を落とした。


 「……少しだけだぞ」


 (……親は遅番だし、まあ少しくらいなら騒がれてもバレねぇだろ。……こいつ相手じゃ、妙な雰囲気になる心配もねぇし)


 怜奈のペースに振り回されるのは面倒だが、恋愛とかそういう方向の気配は――迅の中では、最初から成立していなかった。



***



 部屋に上がり込んだ怜奈は、手を合わせて感動の声を漏らした。


 「わぁ〜♡ これが、先輩の部屋……!」


 「人ん家でテンション上げんな」


 「だって……この床、この空気、このカーテンの匂い、……全部“新婚生活シミュレーション”って感じがして……♡」


 「妄想だけにしとけ」


 「もう、照れちゃって♡あ、机の配置もバッチリですね! 勉強机とベッドの距離感もちょうどいいし……あ、クローゼットの収納力は……っと♡」


 「やめろ、勝手に間取りのスペック調べんな」


 怜奈は勝手に部屋の隅まで歩き、迅の本棚、収納ケース、そして――


 「うわっ、ちっちゃい頃の写真……!えっ、やだ、これ超かわいい♡ これ、もらっていいですか?」


 「やめろ!!」


 「ふふっ、じゃあスキャンだけで我慢しときます♡」


 そう言ってスマホを取り出した。

 迅はもはや諦めの境地だった。



***



 ようやく夜が近づき、怜奈が帰る準備を始めた。

 いや、むしろ強制的に玄関へ追い出した。


 「じゃあ、また明日♡ レンくんのためにも、明後日も、明々後日も来ますから♡」


 「来るな」


 「はいっ♡ その“強がりツン”も、最高です♡」


 玄関のドアが閉まり、静寂が戻る。


 「……勘弁してくれよ……」


 迅は全身から力が抜けるようなため息をついた。




 だがその頃――

 向かいのアパートの屋上で、ひとりの少女が風にスカートをなびかせていた。


 整った制服に身を包み、黒髪ストレートボブが風に揺れる。切れ長の冷たい目元――生徒会副会長、如月瑠璃。

 瑠璃の手には『対象観察記録 第42冊目』と記されたノートがあった――。


「18:15、自宅前で対象に“女子生徒が接近”。

18:25、室内侵入確認。

19:42、退出。対象、著しく疲労の兆候」


 彼女は静かにペンを仕舞うと、ぽつりと呟いた。


 「観察対象、感情パラメータに微細な乱れ。……初めて、ですね。……ふふ」



***



 翌朝――


 普段通りの時間に登校したはずなのに、迅の足取りはわずかに重かった。

 昨日の“強制訪問イベント”の疲れが、まだ抜けきっていないのだろう。

 頭の片隅では、今日も怜奈が何を仕掛けてくるかを考えながら歩いていた。


 校舎に入ると、既に生徒たちのざわめきが始まっている。

 始業前の慌ただしい時間帯――その中で、静かに佇む少女が目に入った。


 廊下の窓際で立ち止まり、手帳を閉じる仕草をしたのは――如月瑠璃。

 切れ長の瞳が、迷いなく迅を捉える。


 「……昨日、大変でしたね」


 まるで監視カメラのような静けさで放たれたその言葉に、迅はわずかに肩をすくめた。


 「は? なんでお前がそれを……」


 「いえ。ただ、“対象”の行動に異常があったので。記録してるだけです」


 迅は小さく眉をひそめた。


 「……お前、俺の何を“記録”してんだ」


 「全て。行動、視線、心拍、反応、そして――感情の揺れも」


 淡々と答えるその姿に、迅は背筋をほんの少しだけ冷やす。


 「それと、ひとつ質問を」


 「なんだよ」


 「……あの子より、私の方が静かに、正確に観察できますけど。……それじゃ、役不足ですか?」


 その一言が、まるで機械に見えた少女からこぼれた“人間的な欲望”のようで、逆に一番、恐ろしかった。


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