目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第4話 観察者と暴走者と、俺の平穏を返してくれ

 如月瑠璃は最近、自分の中に“ノイズ”が混じり始めたことに気づいていた。

 それは、予定外の変化だった。


 ――昔、あれはまだ中学の頃。

 放課後の路地裏で、不良に絡まれていた自分を救ってくれたあの少年。

 金髪にソリコミ、制服はだらしなくて、見るからに近づいちゃいけない空気。

 けれど、目だけは、なぜか優しかった。


 「……大丈夫か?」


 自分に手を差し伸べたときのあの声。

 今でも、耳に残っている。

 あの瞬間から、桐ヶ谷迅という人間を“観察対象”として記録し始めた。

 それはただの感謝でも、憧れでもない。もっと冷静で、論理的な興味――


 ――だった、はずだった。


 だが、あの子が現れてから、おかしい。


 (九条怜奈。1年生。桐ヶ谷くんの生活圏に急激に介入。…不測の変数)


 観察記録に乱れが生じ始めたのは、明らかに彼女が現れてからだった。



***



 昼休み、いつも静かな屋上に、瑠璃の姿があった。


 (……昼食は今日も屋上、予想通りです)


 瑠璃は静かに扉を閉めると、少し歩み寄る。


 (今日の観察は……もう少し近距離で)


 迅は驚いたように顔を上げる。


 (……また、か。……なんでだ。今日はやたら副会長と目が合うな)


 生徒会副会長――如月瑠璃。

 これまで迅とは特に関わる機会がなかった。

 以前は遠くで姿を見るだけだったのに、今日は朝から何度も顔を合わせている気がする。


 「副会長か……お前がここに来るとは、珍しいな」


 「少し、確認したいことがあって」


 瑠璃は弁当の手を止めた迅の目をじっと見た。


 「昨日の桐ヶ谷くん、著しく疲労していました」


 「……疲れてるのは毎日だけどな」


 「違います。深いため息、朝の無言の立ち止まり、登校時の歩幅の乱れ。それらは“精神的ストレスの累積”によるものです」


 「……全部見られてたのかよ」


 迅が顔をしかめると、瑠璃は静かに頷いた。


 「……あの子、昨日、あなたの家にいましたね」


 「………………は?」


 「間取り図から割り出した移動音、居住者以外の声量の差異。窓越しに確認しました」


 迅は背筋に冷たいものが走るのを感じた。


 (……監視カメラかよ……)


 思わず眉間に深くシワを寄せ、無言で睨む。

 瑠璃はそんな反応にも動じず、淡々と続ける。


 「でも。……昨日のあなた、“少しだけ”笑ってました。戸惑いながらも、誰かを拒めない。あなたの、そういうところ、私は……」


 言葉が一瞬、途切れる。


 「……観察しがいがあると思っています」


 (違う。それだけじゃない)


 言えなかった言葉を、瑠璃は胸の奥に押し込めた。


 ――が、その時。 扉の向こうから、いつものハイテンションボイスが飛び込んできた。


 「は〜〜〜いっ♡愛の急接近イベント、乱入しちゃいま〜〜すっ♡」


 屋上のドアが、派手な音を立てて開いた。

 九条怜奈だった。


 「やっほー!迅先輩♡ナイスタイミングですねっ♡」


 「……またかよ。昨日も来ただろ」


 「えへへ♡先輩のルート進行は、もはや私の生活の中心ですから♡

今日も“お昼イベント”発生中ですっ♡」


 怜奈が満面の笑みで近づいてくる中、瑠璃は静かに立ち上がった。


 「……また、あなたですか」


 「やだ、副会長さんもここに? 珍しいですね〜。もしかして、“隠れヒロイン枠”狙ってたりして?」


 「私は“観察者”です。あなたのような“自称ヒロイン”とは違います」


 「……でもね? “観察”って、結局、“見てるだけ”でしょ?それ、ヒロイン失格ですよ♡ 私はね? 見てるだけなんて無理。ヒロインってのは、行動する女なんですからっ♡」


 「その“行動”が、他人の生活を壊しているという自覚はありますか?」


 「そっくりそのままお返しします♡」


 二人の間に、静かに火花が散った。

 静と動。ロジックと衝動。冷静と狂気――

 ――タイプは違えど、どちらも“桐ヶ谷迅という存在”を中心に回っている。


 迅は、心底めんどくさそうに弁当の蓋を閉じた。


 「……頼むから、一人で飯くらい食わせてくれ」


 (平和だった屋上……返してくれ)



***



 昼休みの終わりのチャイムが鳴る中、瑠璃はひとり、階段を下りながらポケットの中の小さなノートに手を触れた。


 (――私の中に芽生えてしまったこの“ノイズ”は)


 (観察では、記録では、もう処理しきれない)


 瑠璃が今までただ記録してきた迅の表情に、今日、自分の言葉で――

ほんの少し、揺れが生まれた気がした。


 (……もしかしたら私は)


 (彼の“対象”になりたくなってしまったのかもしれない)



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?