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第8話 恋と文化祭と展示ブース

 それから数日。


 混乱と修羅場の嵐の中でも、展示班の作業はどうにか形になっていった。

 九条怜奈の奇行に如月瑠璃の冷徹な牽制、椎名詩織の密かな創作ノート――

 それぞれの思惑が入り乱れながらも、展示は完成の日を迎えた。


 そして、文化祭当日の朝。


 教室のざわめきは、普段のそれとは熱気も響きもまったく違っていた。

 甘いクレープの匂いと、ステージから漏れるバンドの音。

 装飾された廊下、色とりどりのポスター、仮装姿の生徒たち。

 高揚感に満ちた非日常の空気に包まれた学校に、桐ヶ谷迅はぼんやりとした顔で立っていた。


 「……やっぱり人多いな」


 「そりゃそうっしょ〜! 文化祭当日なんだから!」


 背後から背中をどんと叩かれ、迅は顔をしかめる。

 満面の笑みで現れたのは、もちろん友坂拓海。

 片手に持ったパンフレットをパタパタ仰ぎながら、ハイテンションで続ける。


 「いいねぇ、青春してる感じじゃん? なあジンジン、お前も今日はもっと笑おうぜ〜!」


 「暑苦しいんだよ」


 「そんなん言って〜、本心は『これ、ヒロイン全員集合フラグじゃね?』って思ってるんだろ?」


 「思ってねぇよ、バカ」


 迅はわざと冷たく返しながらも、無意識に周囲を見渡していた。

 今日は――展示班全員での、本番の日だ。



***



 展示ブースは予想以上に来場者が多く、開始早々に忙殺された。

 ポスターの張り替え、資料配布、体験型展示の案内。


 迅は、無駄のない動きで人をさばきながら、細かく視線を巡らせていた。


 「迅先輩っ♡ ハイこれ、パンフレット補充しましたっ♡」


 目を輝かせて駆け寄ってきたのは、当然のように怜奈。

 目立つ位置に配置された立て看板には、“共同制作 by 展示班”の文字。

 その下に、怜奈が勝手に貼った**「九条怜奈の愛と汗と妄想が詰まってます♡」**という付箋がきらりと光っていた。


 「お前それ剥がせ」


 「ええ〜〜!? じゃあ、“迅先輩と怜奈の共同結晶”って書けばバレませんか?」


 「バレるし意味分かんねぇよ」


 迅が呆れた顔をしていると、背後から本当に意味がわからない声が飛んできた。


 「迅先輩っ、はいコレ!“ラブ度測定パネル”作っておきましたっ♡」


 「……なにそれ」


 「2人でボタンを押すと“相性パーセント”が表示されるんです♡ほらっ、今押してみましょう♡♡」


 「いらねぇよ!!」



***



 一方、詩織は展示ブースの片隅で手際よく資料を並べていた。

 だがその手元とは裏腹に、意識は完全に別方向に向いている。


 (……あのパネル、どう見ても桐ヶ谷くんと友坂くんの位置が近すぎない?距離20cm、視線交錯率80%……これもうほぼ告白シーンの間合い……!)

 (まさか、意識して……いや、偶然……? それとも、これは“確信犯”!?)


 気づけば、資料の隙間に小さくこう書き残していた。


 > 「相手が無自覚なまま、修羅場に突入していく……」

 → 桐ヶ谷くん、策士説……(ただし天然)


 彼女は頬を赤らめながら、展示物の説明を来場者に続けていたが、本の中のような修羅場が、今まさに自分の身に降りかかっていることには――あえて、目を逸らしていた。



***



 瑠璃は、全体を統括する副会長としても働いていたが、目の端では迅の動向を常に追っていた。


 怜奈の奇行に反応し、

 詩織の照れた表情に目をやり、

 拓海との軽口にも、自然に笑っている――


 (……慣れてきたのね、ああいう空気に)


 胸の内に、微かにざらつくものが走った。


 (あのときは、“ありがとう”すら言えなかったのに)


 文化祭という舞台の中で、迅が他の誰かと“関係を深めている”現実。

 それを目の当たりにして、ようやく自分の心が、はっきりと――


 (……悔しい、のかもしれない。でも、これを“分析”ではなく“感情”と呼ぶのは――まだ少し怖い。)


 唇を噛んでそう呟いた瞬間、隣にいた詩織がふと声をかけてきた。


 「副会長さんって、怒ってるんですか?」


 「……怒ってません。むしろ、冷静に判断しようとしてるだけ」


 「……ふぅん」


 詩織は意味ありげに微笑むと、ゆっくりと背を向けて行った。

 その背中を、瑠璃はほんの少しだけ睨むように見送る。



 ***



 展示の後半。ついに問題が起きた。

 大量の来場者によって展示物の一部が大きく傾ぎ、重い設営パネルが鈍い音を立てて倒れかける。

 その標的は、パネルの真下で来場者の質問に答えていた怜奈だった。

 誰もが息を呑む中、迅がまるで反射のように即座に動き、怜奈をかばった。


 「バカ、危ねぇだろ!」


 「ひゃ……♡ ごめんなさい、でも……迅先輩の胸板……硬い♡」


 「硬い♡じゃねぇよ、怪我してたらどうすんだ……」


 怜奈は小さく呟く。


 「……でも、守ってくれましたね……嬉しい……」


 その横顔を、瑠璃と詩織が同時に見ていた。


 そして、気づけば三人の視線が――迅の背中に集中していた。



***



 日が傾き、祭りの熱が緩やかに冷めていく中。

 ブースの片付けを終えた迅は、しばらく空を見上げていた。


 金色に染まった雲と、風に揺れる校舎の幕。


 ――わけがわからない。


 誰が、何をどう思ってるのか。

 自分が、どう応えるべきなのか。


 けれど。

 そのどれもが、なんとなく――悪くなかった。


「……ほんと、何なんだよ。俺なんか、ただ犬拾っただけなのにさ」


 誰にも聞かれないように小さく呟いて、迅は背後の階段に座り込んだ。


 その横には、展示班として――そしてそれ以上に、それぞれの胸に異なる感情を抱く少女たちの姿が、少しだけ、距離を取ったところにあった。

 怜奈は迅を、瑠璃は怜奈と迅を、そして詩織は、その三人の関係性を、それぞれ見つめていた。




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