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10、解呪

 その日の夜中、クロエは帰って来た。


 帰って早々ソファにドサリと寝転び、両目に片腕を乗せた。


 なんだか、随分と魔力を消耗している様だった。


「で?何?」


 クロエは一瞥をくれる事もなく、口を開いた。


「…もう少し帰って来れねぇのかよ」


「なんで?」


「なんでって事ないだろ…」


「お前が世話してんだから問題無いだろ」


「…お前に嫌われたんじゃないかって、泣くんだよ…、あいつ…」


「…適当に慰めときゃいいだろ?」


「それでも、お前じゃなきゃダメなんだよ…」


「別にほっときゃいいだろ。お前なんか困る訳?」


「…あいつが泣くと、鬱陶しいんだよ!」


「なんで?」


「なんでって…そんなもん、あいつはヘラヘラ笑って唄ってるのが普通だろうが!」


「なんで、お前そんなに困ってんの?」


「は?」


「リルが泣いて、笑わなくて、唄も唄わない事がなんでお前に関係あるんだ?」


「…」


「ほっときゃいいだろ?なんでそんなになんとかしたいんだよ」


「…っ俺がっ…!…惚れてるからだよ!」


「誰に?」


「リルに惚れたからだよ!」


 クロエは上半身を起こして座る。


 そしてニヤリとシュバルツを見て笑った。


「あ〜あ。言っちゃった」




 シュバルツは魔力の戻るのを感じ、悪魔の姿に戻った。


「な…」


「解呪おめでとう。これでお前は自由だ。リルと一緒にいる理由も無くなったな」


「解呪の言葉は…」


「そう。『リルに惚れた』でした」


 クロエはさも可笑しそうにシュバルツを見ている。


「お前は絶対にリルに惚れるとわかってた。俺、言ったよな、結構頭に来てるって。


 お前が殺そうとしたもんがどんなもんか、教えてやらなきゃ気が済まなかったんだよ」




 シュバルツは呆然とクロエを見つめている。




「いいよ、もう消えて。魔界に帰ろうがどうしようが、お前の自由だ。ここに縛られる理由もないぞ?」




 クロエはとても楽しそうにシュバルツを見る。


「リルみたいなのはどこ探したっていない。リルに惚れたならわかるだろ?


 だからお前は離れてもリルを忘れられないだろう」




 クロエは開いた両脚に両腕を乗せて、両手の指を組んだ。


 不敵に笑ってシュバルツを見る。




「一生リルに縛られろ。それがお前への罰だ」




 シュバルツは立ち尽くしていた。しばらくしてやっと口を開く。


「……わかった」


 人の姿に自ら化けて、ゆっくりと玄関から出て行く。




 クロエはふぅっと溜息を吐く。


 そして一言呟いた。


「なんであいつはああも底抜けの馬鹿なんだ…」


 そしてソファにまた寝転んで、片腕で両目を覆った。




 2、3時間、その状態でうつらうつらとしていたら、シュバルツの部屋から目を擦りながらリルが出て来た。


「…しゅうちゃん?」


 クロエはソファからむくりと起き上がってリルに顔を見せた。


「リル」


「…!くぅちゃん!」


 リルはパッと顔を輝かせて、クロエに抱きついた。


「リル、寂しかった?」


「うん、リルさびしかったの…」


「ごめんね、大好きだよ、リル」


 ギュッと抱きしめてやるとリルもクロエの首に腕を回す。


「…リルのこと…キライじゃない?」


「嫌いな訳ないでしょ?大好き。愛してるよ」


 リルは心底ほっとした様子でクロエを見つめた。


「しゅうちゃんがね、くぅちゃんはリルのことキライになったりしないよっていってくれたの。ほんとうだね」


「うん、本当だよ」


「…しゅうちゃんは?…こんどはしゅうちゃん、おしごといっちゃったの?」


 リルはキョトンとした顔でクロエに聞く。


 クロエは、リルの顔をじっと見つめて訊ねる。


「あいつ、いる?」


 リルは満面の笑みでクロエに答えた。


「しゅうちゃんね、とってもやさしいの。リルしゅうちゃんだいすきなの」


 クロエはリルに微笑む。そして頭を撫でてやる。


「そっか。わかった」




 ◇◇




 シュバルツはポケットに手を突っ込んで街を彷徨い歩いた。




 クロエとリルの関係を説明された時に、色々思索した。


 その時には既に、シュバルツはリルが傍にいる事ばかりを想定して未来の事を考えていた。




 リルを抱いた日に自分がリルに惚れてしまった事はわかっていた。


 その時点で自分がリルとずっと一緒にいるのだと当たり前の様に思っていたという事だ。




 自分でも驚く程簡単に心奪われてしまっていた。


 クロエはそれを想定出来ていたという。




 自分一人で魔界に戻って、何があるのだろう?リルは隣にいないのに。




 クロエが言っていた、『捨てないで下さいって位には惚れている』という言葉が頭をよぎる。


 正にそれを今実感している。


 何も出来ない、弱い女だと蔑む対象がこんなにも大きな存在になって、縋りつきたくなる。




 リルの言うクロエの前にいた『ごしゅじんさま』はリルを殴ったと言っていた。


 シュバルツにはその心境が手に取るようにわかった。


 見下してた女が、いつの間にか自分の心を大きく占めて、見捨てられたら生きていけないんじゃないかと言うくらい依存している。


 微笑んで名を呼ばれる事をこんなにも渇望している。


 これは戸惑うだろう。




 いっそ殺してしまえたらいいのに…




 そう思ったのだろう。


 殴って、首を絞めて、簡単な事だ。こんな弱い悪魔他にいない。


 きっと人間とさほど変わらない位脆く死んで行くはずだ。




 でも結局、誰もそれが出来なかった。




 結局感応されて、犯して、慰められる。


 ごめんなさいと謝られて、抱きしめて。




 魔界の唯一の不文律『強い者が支配する』これが通用しない。




 リルは最弱の支配者だ。




 そして自分も支配されてしまっただけだ。




 そんな事をぐるぐると考えながら、魔界に帰る決心もなかなか固まらずにいると、


 いつの間にかリルと来る公園にいた。


 リルがいつも黒猫と落ち合う噴水に座り込む。




 色々と思い出す。




 リルはこの噴水で黒猫とゆうちゃんに唄ってやっていた。


 その唄声を鮮明に思い出せる。




 ぼんやりとそんな思い出に浸っていると、長い影が差す。


 影の実態があるであろう場所をチラリと見るとクロエが立っている。


 クロエの表情は暗くて見えない。


 シュバルツは顔を向けないまま口を開く。


「…なんだよ。もう少ししたら帰るよ」




 …何もない魔界に…。




「ホント⁈」


 突然明るいリルの声が聞こえる。


 クロエの背後からひょっこりと現れて、シュバルツに駆け寄る。


「しゅうちゃん、すぐおうちかえるの?いっしょにかえらないの?」


「リル…⁈」


「しゅうちゃん、おしごと?もうおわった?」


「……」


 シュバルツはリルをジッと見つめる。


「…しゅうちゃん?…おうちかえろ?」


 リルはシュバルツの両手を取ってギュッと握る。そしてにっこりと笑った。




 シュバルツはクロエをチラリと見る。




 クロエは深い深い溜息を吐く。


「リルの男になる覚悟があるなら」


 それは、魔界の不文律を真っ向から否定する生き方をする覚悟だ。




 最弱の支配者に忠誠を尽くせるか。




 シュバルツはもう既にリルという泥沼に嵌っているので、悩む事などなかった。




「…帰るか」


「うん!」




 リルに手を引かれて立ち上がる。


 リルは二人に挟まれて手を繋いでご満悦といった顔で歩いている。


 まだ時間は深夜。


 街灯が三人の影を長く、尾を引く様なシルエットを作っていた。

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