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第2話 目覚めたら知らない場所



 事の始まりは約一ケ月前に遡る。


 それは、ある晴れた日のことだった。葦原あしはら あずさは数百段に及ぶ石階段を小走りで駆け上っていた。


 頬を撫でる風は生暖かく、夏の到来を示唆している。今年の夏は猛暑を通り越して酷暑になるだろう、と天気予報士がニュース番組の中で言っていたような……だなんて考えながら登る階段は、陸上部で鍛えた健脚とは言え結構苦しくなってしまう。


 心拍は早まり、息もあがる。肺に入ってくる風も生ぬるくて、梓は酷暑という予想は当たるだろうと思った。


 最上段についた梓は、乱れた呼吸を直しながら生まれ育った街並みを眺める。都心でもない、けれども田舎でもない。中途半端な街だが、梓はその街が好きだった。


 女子なのに素手で頬を伝う汗を拭った梓は、セーラー服のポケットからスマートフォンを取り出す。ホーム画面には一つ通知が来ており、相手は高校の友達からだった。



「ユッコからだ。なになに……コンビニで新作のスイーツを見つけたから、部活の帰りに買って帰ろう、か。もちろんオッケーだよ、と」



 どうやら買い食いのお誘いのようだ。

 梓は慣れた手つきで了承を示すスタンプを送る。

 甘い物が好きな梓。友達と買い食いするのが趣味な梓。今日の楽しみが一つ出来たな。そう思ったのだが――。



「ここ、どこ?」



 なのに。一体なぜ。



「どうしてこんなところにいるの?」



 先ほどの青空から一転。気だるい瞼を持ち上げた梓の視界に飛び込んできたのは、ゴシック調の絢爛豪華な部屋だった。

 見知らぬ光景に、梓は独り言を漏らした。その不安に満ちた梓の声が、頼りなく室内に響く。



「っつ……。頭、痛い」



 不意に脈打つような頭痛に襲われて顔をしかめる。視界が痛みに呼応して明滅を繰り返した。米神が、おでこが、眉間が。頭のあらゆるところが痛い。


 ここまでの頭痛、初めての経験だ。

 梓は努めて深呼吸をする。痛みを遠のけることを意識して、ゆっくりと。

 すると徐々にだが頭痛が引いていく。といっても完全には消えず、頭痛の尾鰭おひれが片隅に残った。

 痛みが強かった部分を手でさすれば、手がじっとりと湿る。



(うわー、脂汗出た。なにこの痛み。頭、怪我してるの?)



 もしかして外傷による痛みか?、と頭を両手で確認するも、傷跡といった特筆すべき違和感が指先に伝わることはない。どうやら痛みは外傷起因ではなく、血管系が原因のようだ。


 梓は次に手を目の前まで持ってくると、グーパーと何度か握ってみた。



(手には異常はないか……)



 手に痺れなどはなく、動きもぎこち悪くない。至って普通。

 裏、表と確認するが、色等の見た目的な変化もなかった。



(って、え?! 何この服?!)



 だが、変わり映えのない手に安堵したのも束の間。手のひらのその先、腕の様子が違っていることに大きく驚く。


 なぜか知らない服を着ているのだ。梓は布団をはぎ、慌てて下半身を確認した。やはり下半身も知らない服を着ている。いわゆるワンピースと呼ばれる、白い一枚着。


 着て、とわれても速攻で拒否しそうなほどフェミニンな服は、ふんだんにレースやフリルがあしらわれていて。こんな服、梓のクロークには存在しないものだ。それに梓の服の趣味でもない。



「待って待って。どういうこと?」



 ますます状況が掴めなくなった梓は、改めて周囲を確認してみた。

 視界を占拠する全てが、漫画などで見る城のような出で立ちだ。しかも日本風の城ではなく、中世ヨーロッパ風の城。


 ベッドの天蓋から垂れるゴージャスなカーテン。背丈の二倍はありそうな高さのドアに、花の形の装飾がついた柱や暖炉。それら全てにおいて金がふんだんに用いられており、眩いほどの輝きに目を細めてしまう。



「いった、」



 またも頭痛がこめかみ辺りを走り抜け、梓は顔を歪ませる。起き抜けの時ほど巨大な痛みではないが、頭をとっさに抱え込む程度には痛い。

 今度もまた呼吸を繰り返し、痛みが引くのを待つ。



(ほんっと、痛い、この頭痛……。頭痛薬欲しいけど、頭痛薬なんて持ち歩いてないよ)



 梓の身体は元々頑丈な方だ。頭痛や発熱が起きることは滅多にないので、薬は持ち歩いていない。まぁ、持ち歩いていたとしても知らない服を着ているし、スクールバッグが手元にないから飲みようがないのだが。



(あー、上向いてる方がちょっと楽かも)



 呼吸をする際に下を向くよりも上を向いた方が楽なことがわかり、梓は頭を上に向けて動かすと深く息をした。

 ズキンズキンと痛みが頭の中で響くのに耐えながら、所狭しと花のレリーフが刻まれている天井を眺める。



(あれ? なんか、この天井に見覚えあるな……)



 豪華なベッドにふさわしく、豪華な天井にはなぜか見覚えがあった。

 でもやはりここがどこかなのかまではわからない。



「……学校に行く前に裏山のおやしろに寄り道して、それで、」



 痛みがある中、梓は必死に記憶を掘り返す。

 朝ごはんの内容。出掛ける前に家族とした会話の中身。友達に送ったスタンプの絵柄。



(そこから先が全く思い出せない――)



 しかし、裏山のおやしろへ続く石階段を登りきり、街並みを見下ろしたところで、記憶がぷっつり途絶えているのだ。

 まるでもやがかかったように、特定の箇所だけがぽっかり欠如していた。



「とにかく、帰らなきゃ」



 梓はベッドから足を下ろす。すると靴下を履いていない足に床の冷たさが伝わった。

 部屋全体に絨毯は敷かれておらず、中央に置かれたテーブルの真下に設置されているのみだ。


 それ以外は大理石に似た床で、あまりの冷たさから裸足で歩いていい床ではないと理解した。

 家を出る時に履いていたローファーはベッドの近くにない。一瞬で冷たくなった足先を手で温めてながら梓は考える。


 不安が降り積もる雪みたいにつのっていく。

 自分の記憶にはない場所。どうやって来たのか、どうして来たのか。手段も経緯も原因もわからないということが、こんなにも怖いだなんて。



 “帰らなきゃ”。



 そう口にしたが、帰り道などわかるわけがなかった。



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