梅雨の終わりかけ、雨上がりの朝。
空気はひんやりと澄んでいるが、まゆらの胸の中は嵐が吹き荒れていた。
プロメテウスJob──その名のもとに動き出したしのぶちゃんの計画。
リュウが抱えてきた裏切りの真実。
そして、ついに動き始める“過去の影”。
「まゆら、今日の予定は何だ?」
事務所のドアが開き、スーツ姿の男が入ってきた。
短髪で精悍な顔つき、皺ひとつないスーツ。左手の小指だけが不在だ。
「おはようございます、鳥飼さん」
灯が礼儀正しく頭を下げる。
「ん……朝早ぇな」
元公安・現闇ルート退職代行業者──鳥飼
命を守る退職代行を信条に、依頼人を国外逃亡させるルートを築いてきた男である。
まゆらと因縁も深い。かつて、一度だけチームを組み、極道からの脱出ミッションを成功させたことがある。
「急なんだが、君たちに手を貸したい」
鳥飼の声は低く、まっすぐにまゆらの目を見つめる。
「しのぶちゃんの計画について、情報を掴んだ。君たちにも共有しようと思ってな」
まゆらは瞬きし、そのあと顔を引き締めた。
「鳥飼さん……久しぶりだね。俺たち、最悪の形で別れたはずなのに」
灯やハル、翔も鳥飼を見つめながら緊張した空気を共有する。
リュウは片手に電子タバコをくゆらせ、少し離れたソファの上でしなやかに腰掛けていた。
「俺が必要なのは、“命を守る”ための“闇のルート”だろ?」
鳥飼は静かに頷いた。
「しのぶちゃんのやり口は、ただの制度破綻じゃない。国家と利権の網を利用して、“弱者を容易く捨て駒にする仕組み”を社会に根付かせようとしている。これを許すわけにはいかん」
それを聞いたまゆらは、何かを決意するように拳を握った。
「私たちだけで、どうにかできるかな…?」
鳥飼が背筋を伸ばす。
「心配いらん。我々チームは――
——また、一度だけでもタッグを組んだことがある!」
まゆらは過去を思い出す。
――あの日、闇に紛れて埠頭の倉庫に向かったとき。
過激派組織の極道を、国際手配をかいくぐって国外脱出させた。
まゆらは元極道の情報屋として動き、鳥飼は公安の知識と脱出ルートを提供した。
最後に「ああはなりたくない」と嘲笑うように去っていった。
「今回は、“救済”ではなく、“反撃”だ」
鳥飼の目には、あの頃の熱が戻っていた。
「一緒に戦ってくれ」
まゆらは静かに頷いた。
「――私も受けて立つ。しのぶちゃんのやり方がどれだけ冷酷でも、ここで止めないと」
灯がランドセルの肩紐をギュッと締めた。
「私も手伝う。希望を守るって約束したから…」
ハルも深く息をつき、言った。
「俺も協力する。外から支える方法を考えるから」
翔は冷静に頷く。
「情報は全部俺が握ってる。あのAIの裏側も調べてある。しのぶちゃんの動静を逐一伝えるよ」
リュウは相変わらず得意げに笑っていたが、その目の奥には複雑な光があった。
しのぶちゃんの計画――“希望の崩壊”と“再構築”
しのぶちゃんのオフィスは、高層ビルの最上階の一室にあった。
窓からは、都会の喧騒がミニチュアのように見下ろせる。
彼女はコーヒーのカップを片手に、無表情でPCの画面を見つめていた。
「進行状況は…」とモニターに表示されたグラフを見る。
「順調すぎるほど順調だわ」
しのぶちゃんの声は冷たく澄んでいた。
彼女はランドセル就労支援制度を通じて、国家から莫大な補助金を引き出し、さらにその資金を使って情報産業や教育産業に介入していた。
「子どもたちを“児童労働”に登用することで、まずわかるのは“労働の対価”なんて存在しないという現実」
「社会が彼らを“弱者”として扱い、肌や年齢に関係なく搾取するロジックを強化する。
だが同時に、私は彼らに“希望”という幻想も与える」
しのぶちゃんの計画は二段階だ。
希望の崩壊――ランドセルを背負った子どもたちに“働けるぞ”と幻想を抱かせ、現実の過酷さを見せつける。
希望の再構築――それでも消えない“希望”を吸い上げ、真の公平な就労システムを作り上げる。そのための“人材リソースとキャッシュフローの最適化”を実現する。
「私は、社会の価値観を“0”から逆算して作り直す」
その言葉には、冷徹な革命家の覚悟があった。
だが、その冷たさの奥には、少年時代のトラウマが隠されている。
しのぶちゃん――本名・
だが、彼女の心はすでに何度も壊れては修復されていた。
幼い頃、父親は教育省の幹部を務め、母親は大手IT企業の経営陣だった。
実家は裕福だったが、家庭内は冷め切っており、両親は彼女を“一つのプロジェクト”のように扱った。
「お前は天才だから、国の宝だ」
子どもながらに褒められて育ったが、その愛は“消耗品”のようにしか感じなかった。
成績を上げ、プログラミングを覚え、経済データを解析し…成功を収めるたびに、彼女の心は少しずつ凍っていった。
「愛なんていらない。世の中は数字と権力で動く」
中学生になる前に両親は離婚し、しのぶちゃんは母方の実家に引き取られる。
しかし、母方の祖父も教育界の大物で、彼女に期待を寄せすぎていた。
「お前ならこの国を変えられる」
毎晩、祖父の書斎で経済と社会の不条理を叩き込まれたしのぶちゃんは、ふと気づいた。
「社会を変えるには、革命しかない」
彼女は幼い頭で考えた。
「革命のためには、“労働”の価値そのものを変えなければならない」
そして、ランドセル就労支援制度の構想を練り始めた。
「子どもの頃、私の父も、母も、社会の歪みに生きていた。
私は、彼らと同じ運命を歩ませたくない」
しのぶちゃんの心には、冷徹な覚悟と、幼いがゆえの過激な愛情が同居していた。
「過去の私を救うためにも、この計画を完遂しなければならない」
それが、彼女の“真の計画”だった。