馬車の車輪がぬかるんだ道をゆっくりと進んでいく音が、リュシェルの耳に心地よく響いていた。柔らかな毛布に包まれ、暖かいスープを飲んだおかげで、身体に少しずつ力が戻ってくる。長い間感じられなかった安心感が、心の隅々にまで広がっていた。
隣に座るアレンは、彼女をじっと見つめることもなく、ただ穏やかに窓の外の景色を眺めている。その横顔には、威圧的なものは一切なく、どこか優しさと余裕を感じさせた。リュシェルはふと、その静かな雰囲気に惹かれる自分がいることに気づいた。
「本当に、助けていただけるとは思っていませんでした……」
リュシェルはぽつりと呟いた。その声は微かに震えていたが、感謝の気持ちを込めたものだった。
アレンはその言葉に振り向き、優しい笑みを浮かべた。
「困っている人を見捨てるなんて、僕にはできないよ。それに、君がこんな状況に置かれた理由を聞いたら、誰だって助けたくなるはずだ。」
その言葉に、リュシェルは思わず目を伏せた。婚約破棄と追放の屈辱を思い出し、胸が痛む。それでも、彼の言葉が彼女の心に染み込むような温かさをもたらしたのは確かだった。
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馬車の中での会話
しばらく沈黙が続いた後、アレンが軽く咳払いをして話し始めた。
「君のことを少しだけ聞いてもいいかな?無理にとは言わないけど。」
リュシェルは彼の言葉に一瞬迷ったものの、少しずつ自分のことを話す決心をした。
「私はリュシェル・エステリア、元はエステリア公爵家の娘でした。ですが、王国の第一王子との婚約が破棄され、そのせいで家族からも見放されました。」
アレンは頷きながら、静かに耳を傾けていた。
「婚約が破棄された理由は……王子が別の女性を選んだからです。私はそのまま家族の期待に応えられなかった者として、追放されました。」
言葉にすることで、再び胸の奥に沈んでいた痛みが蘇る。リュシェルは唇を噛みしめ、涙を堪えた。
「君が悪いとは思えないな。」
アレンはきっぱりと言い切った。
「むしろ君を切り捨てた王子や家族の方が問題だろう。君のような人を追放するなんて、まともな判断とは思えない。」
その言葉に、リュシェルは少しだけ肩の力が抜けた。彼が自分を信じ、擁護してくれることが、思っていた以上に心強かった。
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隣国の景色
馬車が進むにつれ、周囲の景色が少しずつ変わり始めた。森を抜けた先には、広々とした草原が広がり、雨に濡れた草木が淡い光を放っている。隣国の土地に足を踏み入れたことを実感する景色だった。
「ここが僕たちの国、セリナ王国の領地だ。」
アレンは窓の外を指さしながら説明した。
「君が到着する場所はこの国の王都だ。僕の家はそこにある。」
リュシェルは窓の外を見つめながら、胸が少しだけ高鳴るのを感じた。新しい土地、新しい生活が彼女を待っている。それは未知であると同時に、どこか希望を感じさせるものでもあった。
「私は……王都で何をすることになるのでしょうか?」
リュシェルは恐る恐る尋ねた。
「最初は休むことが大事だよ。君がこの数日でどれだけ疲れているか、よくわかるからね。」
アレンはそう言って微笑んだ。
「その後で、君が自分のやりたいことを考えればいい。僕がサポートするよ。」
彼の言葉に、リュシェルの胸が少しだけ温かくなった。こんなにも自分の意思を尊重し、支えてくれる人がいることが信じられなかった。
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到着と新しい生活の始まり
やがて馬車は王都の入り口に到着した。高い石造りの城壁と、その向こうに見える活気ある街並みがリュシェルの目に飛び込んできた。門番がアレンの姿を確認すると、すぐに門を開けた。
「ここが君の新しい場所だ。」
アレンは手を差し伸べ、リュシェルを馬車から降ろした。その瞬間、彼女は初めて「自分が救われた」と感じた。
城門を通り抜けた馬車が王宮に近づくと、そこに待ち構えていた数人の使用人たちが整列していた。アレンはリュシェルに向かって軽く頷き、彼女を紹介した。
「彼女はリュシェル。しばらく僕の家で暮らすことになる。彼女が困らないように、全力で支えてやってほしい。」
使用人たちは驚きながらも、「承知しました」と一斉に頭を下げた。その光景にリュシェルは圧倒され、言葉を失った。
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新たな希望
リュシェルの新しい生活がこうして始まった。彼女の中にはまだ不安も残っていたが、アレンの優しさと王都の穏やかな雰囲気が、それを徐々に和らげていった。
「私の人生は、ここからやり直せるかもしれない……」
窓の外に広がる夜景を見ながら、リュシェルは静かにそう呟いた。その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせるようなものだった。