「ここ、何処?」
リビィが次に気が付いたのはまるで知らない場所だった。どうやらテントの中らしい。
周囲が布のようなもの囲まれているからその認識であってるはずだ。
パパと昔、行ったキャンプみたいなのだもんね。
ハッとして、慌てて周囲を確認するも一番に傍にいて欲しい人がいない。
どうしよう、どうしよう、ヴァーンがいないよ、いないの……!
この世界にやって来てほんのわずかだけれど、彼ほど信頼出来る相手はいない。
怖い、怖いよ。
何が起きたのか分からないだけに途轍もない恐怖が彼女を苛む。
そんなとき、胸の首飾りが少し温かく感じた。
「?」
あったかい……落ち着けて言ってるのかな?
リビィがそう思うと呼応するように首飾りが反応しているような気がする。
すーっと深く深呼吸をし、自分を落ち着かせるように努めた。
そうだよね、焦っても何もならない。まずは落ち着かないと。
「うん、そうよ、ヴァーンが来てくれる、絶対に」
呪文のようにそう呟いた。
首飾りの温かさとヴァーンへの信頼がリビィの落ち着きを取り戻していく。
今必要なのはどんな状況なのかを把握することだ。
もちろん、怖さが消えたわけじゃない。むしろ増している。
それでも何か手がかりが掴めれば事態が変わる可能性はある。
幸いにして所謂、身体検査みたいなことはされていないらしい。
「そこはよかったな」
ヴァーンは隠していたほうがいいって言ってたから首飾りはできる限り隠しておかないと……
それにさっきみたいに助けてくれるから身に付けたままがいいのは間違いない。
リビィはそう判断し、改めて周囲を見回してみた。テントの中だが、光を感じない。
まだ森の中? 幽光の森はでもこんな暗さじゃなかった。
それにあんなにしていた森の匂いがしないし。
もともと森の香りは好きではあったが、森の国にはリビィの世界にはない独特な匂いがあって、それがとても素敵で、何よりも心が和むのだ。
テントの中だからその匂いがしないという感じではなかった。
恐らく場所が違う。
そこまでは把握した。
だったら誰が?
心当たりなんて一つしかない。
森の国の人々に『金色の乙女』って呼ばれたことだけだが、それがこの世界において重要な意味があることくらいは理解している。
私という存在に価値があるってことかな。
だとしたらそれに起因しているはず。
そう結論付けたとき、乱暴にテントの入り口が開けられた。
リビィは不安を感じながらもそちらの方へと視線を向ける。するとリビィより少し年上のような少年と数人の男たちが入ってきた。
「ようこそ、『金色の乙女』よ」
明らかに尊大な態度の少年は肌がかなり白く、逆に髪の色はそれを引き立てるように黒い。周囲にいる大人たちも同じような色合いだ。
この世界にはほんの二日ばかりいるだけだけど、流石に違いは分かる。
どう見てもこいつらは森の国の人ではないってことね。
礼儀は大事だと教えられてきたリビィだが、攫われた相手にそれは不要と考えた。
「あんた、誰よ?」
ジロリと睨みつつ、相手にする。何はともあれ情報が欲しかった。
リビィの質問の仕方に文句があったのだろう、大人たちが非難しようとするとそれを少年は止めた。そして一歩リビィの前に進んで、大いに胸を張る。
「俺様は偉大なる地の国の王、アレクドロス=アルスド=ルー・アーティリーズ・ルークの息子、ヴィラドロス=アルスド=ルー・アーティリーズ・ルーク様だ。お前に拝謁を許す。光栄に思え」
ヴィラドロスと名乗った少年はニヤリと笑ってリビィを見遣った。
「誰が光栄に思うもんですか!」
全身が震えるの抑えながらリビィはそう言い放つ。いきなり現れて威張り散らすやつなどロクなヤツじゃないことくらい分かるからだ。
「この俺様に楯突くつもりか?! このヴィラド様に!! お前如きが!!」
少年は相当にムカついたのだろう、リビィに向かって指を指して怒鳴りつけた。
「楯突くなんて当たり前じゃない! あんた、自分が何したか分かってる? 私がここにいる理由教えてもらおうじゃない! だいたい知らない人間に指差すとかあんたこそ無礼者でしょうが!!」
多勢に無勢、しかもヴィラドという少年を除けば大人のみだ。リビィにとって不利すぎる状況だ。それでもヴィラドに屈する気などなかった。
「お前が『金の乙女』だからだ」
「そんなの、理由にもならないわ!」
それはまさに本音中の本音。リビィにとってはそんなことはどうでもいい。折角の冒険を邪魔されたのだ。ヴァーンとあれほど楽しんでいたのに!
「何だと! 生意気だな、貴様」
「あんたなんかに礼儀なんて不要よ!」
リビィはそう言い、相手を睨み付けた。そんな強気な少女の態度にいたく腹を立てたらしいヴィラドは地団駄を踏みながら、彼の周りにいる人間たちに命令を下す。彼にとってはそれが当たり前なのだろう。
「お前ら、こいつを捕縛しろ! さっさと平伏させろ!」
「ヴィラドロス様、相手は『金色の乙女』でございますのでそれは難しいです。手荒く扱えば何が起きるか分かりませんぞ」
「だが、こいつは生意気だぞ」
「今から言って聞かせます故、しばし我慢を」
恐らくあの大人たちの中で一番えらいだろう男がそう言っているのがリビィの耳に届く。
何が言って聞かせるだか。脅す気満々のくせに。
リビィはさっき目前の少年が言った『地の国』という言葉でやはり違う国の人間たちなのだと改めて理解する。そして決して彼女にとっていいことではないことも。
「あたしをどうするつもりか知らないけど、あんたたちの言うことなんて聞きゃあしないからね!」
虚勢だとしても退くつもりはないリビィはヴィラドたちに従うつもりなんてない。それでも逃げ出すには情報が足りない。
テントであるってことは恐らくは地の国とやらにはまだ着いていない可能性がある。
それにさっき言っていた地の王の息子というのなら相手は王子ってこと?
にしてもヴァーンと違ってガキっぽいな。
ヴァーンも子どもっぽいところあるけど、こんな駄々っ子みたいなことはしないもんね。と言うかうちのエドだってしないわ。
自分の弟と比較しても幼いと感じた。
「『金色の乙女』よ、我らが親愛なる殿下に無礼を働くことはお控えください。あなたはこの方の妻となるべく現れたのですから」
「は?」
リビィはあまりの言葉に固まった。この男、何を言ってるの? 妻? 誰が? 誰の? そもそも私は十二歳だ!
「そんなこと、あんたたちに決められてたまりますか! あたしはあたし! 名前なんて絶対教えないけど、そもそもあたしは『金色の乙女』なんて名前じゃないからね!」
「そのような物言いをなさるものではありません。ヴィラドロス様はあなたの夫になるのです。これはもう決められたことですから受け入れてくださいませ」
「だーかーらー! そんなこと、誰が受け入れるか! 馬鹿なの? 大の大人がそんなこと言って本当に馬鹿しかいないの?!」
リビィの怒りは当然であり、暴言にもなろうというものだ。
誰が誰の夫だって?
私には、私には――っっっ!!
そこまで思ったとき、リビィの脳裏にはヴァーンの笑顔が浮かんだ。
会って二日くらいしか経っていないけれど、彼ほど気の合った相手もいない。
何をしても楽しくて、きっと喧嘩をしたりしても直ぐ仲直り出来そうだと思う。
少なくともヴァーンはリビィの嫌なことをしたりしない。こんなふうに押し付けてくることも無礼を働くことも!
「あたしのことも知らないで勝手なことばかり! おまけに礼儀知らずの王子様? 冗談じゃないっての!!」
リビィがそう怒りながら言うと、先ほど口を開いた男が再度話しかけてきた。
「大分、お元気な方のようですね、『金色の乙女』よ。それはよきことですが、夫となる方の御前ですからお控えなさいますよう」
「さっきから人の言うこと聞いてないわね、あんた! 大人のくせに!」
むしろ大人だからなのか。
パパが言ってたっけ。頭の固い大人ほど面倒なものはないって。
「わたくしはヴィラドロス殿下に仕えておりますハドロスと申します。おとなしく我らとご一緒に来ていただけますようお願い申し上げます」
それはお願いという名の命令なのはリビィに分かっていた。相手はそもそもリビィの言うことなどたいしたことだと思っていない。
「こんな跳ねっ返りでも仕方ないな。俺様は寛大だから許してやろう」
リビィの怒気に押されていたくせにヴィラドは威張りくさってそう言った。彼にとっては常に相手がくのが当たり前で、リビィのような態度を取るものなどいない。
「このヴィラド様に感謝するがいいぞ」
「誰がするか!」
夫だの妻だのということは結婚のことを言ってるに違いない。
それがリビィが『金色の乙女』であることが起因している。つまりその名を冠していれば彼女でなくても構わない。
そもそも『金色の乙女』がどれほどの意味があるのかも知らないのに、こんなやつとの結婚などまっぴら御免である。
「あたしにだって選ぶ権利がある!」
それは紛れもなく本音。
何があろうとも譲れない。
けれどどんなにリビィが叫ぼうとも不利な状況は変わらない。テントであるから出入り口は現状、ヴィラドたちがいるから塞がれているも同然であり、その他に窓もなかった。
相手たちは簡単にリビィを捕まえられるから、逃さない自信があるから余裕だ。
だけど、それを利用できないかとリビィは考える。
「……そもそもここは何処なのよ? せっかく幽光の森にいたのに」
先ずは位置確認だ。相手はあたしを舐めているからもしかしたら情報を得ることが出来るかもしれない。
「ここはハンネルの洞窟だ。この先に俺様の国がある。こんなボロい森の国とは違って立派なな!」
「ハンネル?」
リビィは幽光の森に来る前にヴァーンに見せて貰った地図を思い出す。だいたいの場所を教えてくれるために用意してくれたもので、首都ヴェルツェンから幽光の森の距離を指し示してくれた。
確か幽光の森の近くに教会のある街ルミリスだったっけ。この森はとても広くて、洞窟が幾つもあるってヴァーンは言っていた。
つまり自分たちはその中の一つにいるらしい。
「ヴィラドロス様、国に戻るまで油断大敵でございます」
「問題ない! どうせあいつらはもう追い付けないんだからな」
ヴィラド王子当人は楽天的だが、部下の男はそうは思っていないらしい。彼の側にいるのは一番厄介そうだ。
「迎えが来るまではここにいることを森の国の連中に知られてはなりません」
それはかなりの小声だったが、リビィは聞き逃さなかった。
こいつらは今直ぐ動けない事情がある。何故かは知らない。でもそれはチャンスだ。
彼らなりに丁重に扱うつもりはあるからリビィを捕縛してないようだし、恐らく幼い少女であることで舐めている。
だったらそれを利用しない手はない。ただ闇雲に逃げても地の利は確実にあちらにある。
反対にリビィは行くべき方向すら定まらないのだから間違えば地の国へ行ってしまう可能性もあった。
間違いなく森の国に戻るにはどうしたら……
時間との勝負は間違いない。
地の国からの迎えとやらが来たら恐らくは逃げるのが更に難しくなるに決まっている。それに森の国から離れてしまえばヴァーンにも会えなくなる。それがどうにも嫌だった。
なんであたしの邪魔するのよ?
あたしはヴァーンといたかっただけなのに!
そう叫びたいが、それは悪手だと理解していたので必死に我慢する。
大丈夫、大丈夫、ヴァーンはきっと来てくれるから。
そう言い聞かせる。
だってここはまだ森の国なのは間違いないから。
下手に動けないのは恐らく移動手段と思われる。この人数だけでやってきたとしたら馬車などは使えなかったはず。
リビィを捕らえるのを優先した結果だろう。
多分、このテントにも何か仕掛けがあるのかも知れない。
そう思うと迂闊には動けない状態だ。
どうしたらいいか思い悩んでいると、ふとリビィは気が付いた。
あれ、あたしのマントが少し光ってる? これって幽光の森の蔓の胞子?
よく見れば微かにリビィの靴にも胞子が着いているらしく微かに光っていた。幸いにしてテントには灯りがあり、目前の人間たちには気が付かれてない。
もしもこれがずっと続いていたのならヴァーンにも分かって貰えるかも!
そのためにも気が付かせないようにしなきゃ。
時間を稼ぐにはどうしたらいい?
今リビィに必要なのはそれだ。
「おい、お前の汚い衣装は俺様に似合わない! さっさと着替えろ」
「着替えろ? そんなもの持ってないわ」
そう答えながらもチャンス到来とリビィは思った。
「ご安心を。こちらにご用意がありますから簡単なものですが、どうぞお着替えください」
地の国に迎えるための体裁ってやつを整えたいのだろうとリビィは理解したが、同時に自分が一人になる時間が稼げる! それは何よりも有り難かった。
「ふうん、だったらあんたたちは出て行ってよ。あたしを着替えさせたいって言うならね」
本当は着替える気なんてまるでない。この服はエラに借りたものだし、何よりも気に入っている。
「『金色の乙女』よ、どうか妙なことはなさらないでくださいね。ここからは逃げることは叶いませんので」
それは暗にこのテントに仕掛けがあるということを意味している。
「あたしの気が変わってもいいならどうぞ」
だからリビィはそう言ってぷいと横を向いた。視線はなるべく彼らに向けたままを心がけて、である。
「仕方ありません。ではお時間差し上げますのでどうぞお願いします」
「面倒だろ? 俺様の前でさっさとすればいいだろうが!」
「絶対にお断り!」
リビィは素気なくそう言い、ヴィラドを睨み付けた。
「そいつ、女の子の着替え覗きたいとか変態?」
こいつ、マジに王子なのかと疑いたくなる。
「なっ、この俺様になんてことを!!」
「ヴィラドロス様、威厳をお忘れなく。この先、王となられるなら尚のことです」
「ちっ、分かったよ」
不満そうではあるが、ハドロスには敵わないらしくヴィラドはおとなしくなった。
「さあ、出て行って」
リビィは再度言い、今度こそ彼らはテントから出て行った。王子である彼は悪態を付きまくっていたが、それは無視した。
「さて、整理しないと」
先ずあいつらは少人数。さっきにいた人数が恐らく全員で、女性はいない。いたのならリビィを一人にはしなかったはずだからだ。
そしてこのテントには何か仕掛けがあって、このままでは出ることは出来ないが、彼らも地の国から迎えが来ないと動けないらしい。
「それを考えるとこの服にだって何か仕掛けありそう……」
それにしても趣味が悪い。
そもそもリビィが一人で着替えることが可能ではない衣装であることは明らかなのだが、それを抜いても装飾がくどかった。宝石や金細工などをこれでもかと付けてあり、デザインセンスが正直ない。
「宝石とかって付ければいいってもんじゃないのね……」
時間をどれだけ稼げるだろう?
どいつもこいつもガタイはいいし、こんな重そうな衣装を着たら尚のこと。
悩んでいると胸の首飾りがまた熱を帯び出した。何か伝えたいのだろうと思い、周囲の様子を窺いながら取り出した。
すると熱を帯びながら淡く光っている。
「何か伝えたいの?」
そう尋ねるとぽーっと光が強くなった。そうしてそのまま用意された衣装の一カ所を照らし出す。
「これを取れってことかな?」
リビィの石が示しているのは緑色の石だった。この衣装の中では比較的まともなデザインであり、これだけであったら付けてもいいと思うくらいだった。
「取れってことだけど、どうすればいいかな。道具が何もないけど」
ヴァーンなら剣とか持ってたけど、あたしには何もないからなあ。
「こんな時、魔法使えたらいいのに」
リビィが呟くとそれに呼応するように突然、彼女の宝石が光り輝きだしていく。それが指し示していた緑色の宝石を照らしたかと思うとリビィの掌に当たり前のようにそこに二つの宝石が並んでいた。
「え? え?」
衣装と宝石を見比べていたが、さっきまではそこにあったものに間違いはない。
「これが必要ってことなのかな?」
こんなに光ったらと思ったが、外から誰か入ってくる様子はなかった。
どういうこと?
何が起きているか分からないまま、掌の宝石を見つめたまましばらく呆然としていたが、ハッとしてそれどころではないことを思い出す。
リビィの石が言わんとすることを頑張って理解しようとした。
これはもしかしたら逃げるための、あるいは助けを呼ぶための?
それなら――!
リビィは宝石が次に何を示そうとするのか考えつつ、必死に行動を起こすのだった。
‡ ‡ ‡
「くそっ、地の国の連中にリビィが連れ攫われたのは間違いないんだ、アゼルバイン!」
リビィが連れ去られた後、アゼルバインたちが戻って来るのを待っていたヴァーンは彼らを見るなり走り出してそう叫んでいた。
「落ち着いてください、ヴァーン様」
「落ち着いてられるか! あいつらの考えることなんて分かってるんだ!!」
あの連中はリビィじゃなくて『金色の乙女』を手に入れたい、それだけだ。
地の国はこの世界において殊更権威にこだわる国であり、そのためなら何でもする。森の国とも相性は悪く、度々衝突していた。
「だからこそ落ち着いてください。リビィ様のことを思うのなら尚更です」
アゼルバインがそうヴァーンを宥めた。実際問題、怒鳴っても何も問題は解決しない。
「……悪かった。リビィが心配でさ」
「いえ、お気持ちは分かりますから。確かに時間をかけるわけにはいきません。ヴァーン様のお考えどおり、ロクなことになりかねませんからね」
「ヴァーン様、まだあいつらは森の国を抜けてはいないと思います。洞窟を使ってると考えて間違いないはずです」
ワーソンがアゼルバインの言葉を継いでそう言い、ヴァーンはそれに反応した。
「洞窟? ここからだと確かヘルオパの洞窟なら近いな」
「あれは地の国へ連なっている洞窟の一つですし、距離からしても妥当です。俺たちの位置とリビィ様が消えた位置からしていけるのならあそこです」
「幽光の森、しかもあの闇の中で歩ける奴らだしな」
幽光の森は道がかなり複雑であり、しかも暗さも手伝っても視界もかなり悪い。慣れていなければ直ぐに迷える場所でもあった。
「ええ、我々でも難しい道ですが、それでも商人などは急ぎの場合などは利用してますからね」
「追いつけるか?」
「必ず追い付きます。恐らくですが、状況的にリビィ様を攫うのが目的ですから最少の人数で動いたでしょう。奴らの行動を考えれば国からの迎えを待っているはずです」
確実に『金の乙女』を手に入れるために特別仕様の迎えを用意しているだろう。それは一定の場所までしか辿り着けない。何しろヘルオパの洞窟は森の国からの通路はとても狭く、団体や乗り物が入れる隙はほぼない。
つまり地の国のものたちがいる場所はある程度は特定出来るわけだ。
「それに多分、ヴィラドロスのやつがいるはずだしな」
地の国第二皇子ヴィラドロス=アルスド=ルー・アーティリーズ・ルーク……
正妃の息子でありながら側室の息子が長子のため、後継者としては二番手なのだが、本人はそうは思っていない。恐らくは母親の影響なのだろうが、自分こそが跡継ぎだと公言して止まない。
そもそも彼の性格からしてヴァーンはヴィラドが嫌いであり、向こうもそうだ。まったく以て気が合わないし、誰にも彼にも威張り散らす少年と仲良くしたいとは思わない。
争いを起こしたいわけではないから交流を上辺だけでもしたいという両国の思惑があるのだが、合う合わないはどうしようもない。
「ヴィラドロス殿下ですか。ヴァーン様の言うとおりいらっしゃるでしょうね」
「リビィに変なこと言ってないといいんだけど」
恐らくはリビィと無理矢理にでも婚姻しようとするはずだ。
それを思うととんでもなく腹が立つ。
リビィのこともまったく知らないくせに、そんな真似をしようとするからだ。
ヴァーンとしてはリビィを利用とする連中全部に怒りを覚える。
「ヘルオパの洞窟へ行くならヴェルツェたちは待機してもらうしかないな」
地底に連なる洞窟であるから夜目の利かない上に翼で移動の彼らには洞窟の中では危険が伴う。
「はい、地の国の門に入られる前に追い付く必要がありますからね。あの門を抜けられては面倒が増えます」
「うん、あの門は厄介だからな」
地の国と森の国の境には地上にはない境が地下にある。地の国は名前の通り、地下帝国であり、城こそ地上に聳え立っているが、首都ルークやそれ以外の都市も地上にはない。一見は不毛の大地のような国に見えるが、実態が地下にあるため国境沿いには鉄の柵、そして『鉄血の門』と呼ばれる巨大な鉄の門がある。それは関所の役割もあり、地の国に入り込むにはかなり面倒な手続きが必要なのだ。
故に門を抜けられればリビィを奪還するのがかなり難しくなる。だいたいまともな手段で森の国に来ていない点もある。
急に特使とか出してきた時点で気を反らすためと情報収集が目的だったんだろうな。
もう少し早く分かっていればと思うが、そう言っていても事態は変わらない。アゼルバインの言うとおりに冷静さを維持するべきなのだ。
「一刻も早くリビィを助けてやらなきゃ」
「無論です。我が国の重要な客人であり、ヴァーン様の大切な方ですからね」
アゼルバインの言葉には何か言い含んだものがあるが、ヴァーンは気が付かない。
「うん、そうだな、リビィは大事な……ゆう……」
友人と言おうとしたが、そこで言葉を止めた。どうしようもない違和感を感じたのだ。
「どうしました?」
「いや、リビィとの関係は友人はちょっと違う気がしたんだ」
「そうですか?」
「俺にとってはリビィって何だろう? 大事なのは確かなんだけど」
「そうですねえ、恐らくご友人ではないですね」
「アゼルバインもそう思う?」
「ええ、ヴァーン様は恐らく初めての感情になるのではないでしょうか」
にこやかに言うアゼルバインに不思議そうな顔をするが、初めての感情という言葉はしっくりきた。
「ふうん、そうか。なるほど、好きの意味が違うんだな」
「それはリビィ様にお会いになればきっと分かりますよ」
「そうだな、先ずは助けてやらなきゃ」
そこまで言ってからヴァーンは懸念を感じる。そう、リビィは理不尽に対して黙っているタイプでは絶対ない。
「大人しく言うこと聞くようなタイプでも無さそうだけど」
「同意いたしますが、それだけ危険が及びやすくなります」
尚更早く助けるべきだ、そう結論付けた。
「ヴァーン様、ここに胞子の道が出来てます!」
何の道から行ったのかを確認しようとしていると、ワーソンが大声で叫んだ。
「胞子の道だって?」
「本来なら胞子たちがばらけているはずが、ここは道のように光っているでしょう。恐らくはリビィ様の衣服の何処かに着いた可能性がありますね」
「――っ! それならそれを追えば」
「はい、左様でございます」
「そうか、あいつ、珍しそうに触ってたもんな」
はしゃいでいた少女を思い出しながらヴァーンは納得をする。
「初めて見た人は大概触ってしまって、胞子に大騒ぎしますからね」
「地の国の連中は胞子を避けたとしてもリビィはそうじゃなかったってことか」
「これは絶好のチャンスです」
「ああ、逃してたまるか!」
そう言い、ヴァーンたちは急ぎ身支度を調え、ヴェルツェたちには待機を命じ、リビィが残した胞子の道を追っていくのだった。
‡ ‡ ‡
「『金色の乙女』よ、お着替えは終わりましたでしょうか? そろそろ迎えのものがやって参りますのでご準備を」
そう声をかけられてきたのは一時間後くらいだったろうか。
リビィは当たり前だが、着替えてはいない。リビィの持つ石の指示に従って準備をしていたのだ。
彼らから逃れるためにその機会を狙うために。
チャンスは一度きり。
それを失敗すればヴァーンに会えなくなる可能性がある。
森の国の方向は緑の宝石が教えてくれた。金色の石に触発されて色もより深い緑になっている。
着替えをしていないことを誤魔化す時間は無いし、逆にそれに気が付けば強硬手段に出るはずだ。
「まだですけど何か?」
だからあえてそう言った。
「こんな服、着たことないもの、時間かかるに決まってるでしょ」
至極当たり前の答えを続ける。怪しまれるのは分かっているが、まだ時間稼ぎは必要だった。
「残念ながらメイドもおりませんし、簡単にお召しになれるはずなのですが」
「あたしのこと、分かってないくせに。何度も言うけど、こんな衣装、着たことないんだからね」
そこを強調する。中に入られれば計画はモロバレでリビィの危険度は増すだけだ。
「下着姿の女の子の部屋に入るならそれなりに覚悟してもらうわよ」
そこは『金色の乙女』であることをめいっぱい利用する。恐らくリビィがどんな能力があるのか、そんなことまでは把握してないはずだからだ。
「では後しばらくだけお待ちしましょう。十の分を表す砂時計で計らせていただきますので」
それはつまりあと十分の間と考えてあってるはず。
だとしたら間違いなく今が一番油断しているだろうから動くなら今だ。
リビィの石が教えてくれた文言をイメージしながら唱えていく。直接語りかけてくるのには吃驚したが、ここは疑問を放置して素直に受け入れていた。
「……星の巡りの中に生まれし中に『金色の乙女』たる私が命じる、私の行くべき道を示したまえや」
恐らくは呪文、それも魔法とかの部類なのかもしれない。手に持っている宝石たちが熱を帯びていき、リビィの行くべき道を示してくれていく。
テントの一角を照らし、どうやらそこは弱い部分らしい。
そこから抜けて行けってことね。
リビィは迷いも無く宝石たちの指示どおりに動いていく。テントを捲り、そこから抜け出していく。
彼らが用意しておいた宝石の一つを持っているからかそれはあっさりと叶った。
後は走るだけ。方向はあっち!
リビィが走り出したと同時に、恐らく砂時計の時間が過ぎたのだろう、テントの中が空になっていることに気が付いた男たちの大騒ぎが聞こえる。
「『金色の乙女』が逃げたぞ!!」
「どうやって?!」
「そんなことより追え、追うんだ!!」
相当焦っているようだ。それはそうだろう、捕まえたはずの少女が逃げたしたのだから。
普通に行けば捕まるのは間違いないが、リビィは不思議と恐くなかった。
それよりも迷わずに走れ! それだけが彼女に出来ることだった。