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第63話 私をこの家に縛り付けたいんだろうか。 この空っぽの家に。 みやび視点

緑豊かといえば聞こえはいいのだけど、周りには民家もない孤立した一軒家。

電車とバスを乗り継いでようやく実家へと帰ってきた。

6年ほど前に引っ越してきてから、私が1人暮らしをするまで実質3年程しか暮らしていないので実家と言う程思い出もない。

ただ、唯一の血縁者であるお母さんがここに住んでいるというだけだ。


「ただいま」と声をかけ家に入る。

割と古い家なので玄関のドアを開けるとがたがたと大きな音が立つ。

「遅かったわね」と、お母さんが出迎えてくれた。


ああ、うん、あんまり長い間ここに居たくないからね。

「電車とバスとの乗り継ぎがうまく時間あわなくて。これ、バウムクーヘン。後で食べて」

さりげなく嘘をつく。

本当は電車を2,3本見逃した。

車を持っていたら直線距離としては今住んでる所からさほど離れていないのだけど、電車の路線がかみ合わなくて遠回りしなければならない。

バイクとかに乗ったら近いんだけど、免許取るのもお金かかるしバイトがあるから免許を取りに行く時間もないしバイクを購入しても置き場所がないしとで断念した。

「気を使わなくていいのに」

受け取りながらお母さんはニコリともしない。

それ言うのなら私もか。

自分では自覚してなかったけど高校入学したての頃はかなっぺたち曰く鉄面皮だったらしい。

この辺りは血筋なのかな。

それとも育ちのせいかな。


艶やかな長い黒髪と抜けるような白い肌を持つ切れ長の瞳の、美女といってもいいくらいの美貌を称えるこの人とは外見上は全然似てない。

しかも高校生の娘がいるとは思えない若さ。

白を基調とした上品に花柄があしらわれてる和服を着こなし、凛とした佇まいは人を拒む雰囲気を漂わせている。

何故だか知らないが、この人は肌の露出が控えめな和服を好む。

暑いだろうに。


「疲れたでしょう。とりあえず部屋に荷物を置いてきなさい。お茶を出すから、後でリビングにいらっしゃい」

言葉だけ聞くと娘をいたわる普通のお母さんなんだけど、なんでこんなに空気が冷たいんだろうか。

別に虐待されてたわけじゃないのだけど、この空気感は苦手だなぁ。

子供の頃はよく「お母さんが守ってあげるから」と言われたけど、一人暮らしを始めて外の世界を知ったらアレは一種の束縛だったと気づいた。

束縛する割に、態度が冷ややかというか淡泊。

この人の考えがよくわからない。

私も踏み込む気はない。

歪な母娘関係だな、と思う。

難関校に一発合格した時には約束通り私が1人暮らしを始めるのが内心不服だったのか「そう」で終わり。

入学式には来てくれたけど、私が暮らすアパートには足を運んだこともない。

よほど自分の元を離れるのが気に入らないらしい。

そしていくつか条件を出されて、その内の1つでもこなせなかったら即ここに戻らされるという約束を結ばされた。

暗い気持ちを抱いたまま、思い出がほとんどない殺風景な自分の部屋にカバンを置いてリビングへと向かう。


キンキンに冷えた麦茶がもう用意されていた。

そして「これを」と言いながらかなり分厚い封筒をこちらに差し出す。

女子高校生の一人暮らしには多すぎる金額だから、と初めの頃は受け取りを渋っていたのだけど「受け入れなければ一人暮らしは認めない」と伝家の宝刀を切られたら黙って受け取るしかない。

これには学費も含まれてる。

いつか私が優待制度から外れる事も見越してるんだろう。

正直、腹が立つ。

まぁ、使うつもりはないんだけど。

というか得体のしれないお金なんて使う気がない。

父の居ない母子家庭で忍さんがどうやってお金を稼いでいるか私は知らない。

物心ついた時から幼い私を連れて住まいを転々として、働きに出ていたそぶりもないんだから怪しすぎる。

子供の頃に聞いたら「お父さんの遺してくれたお金があるから」と言われたけど、その割にはお父さんの写真一枚も見せてもらってないから眉唾ものだと思ってる。

というかお父さんの話も一度も教えてもらったことはない。

どこの誰なのか、名前すら知らない。

以前はぐらかされたから、この先も言うつもりがないだろうな。

この人が誰かを愛したというのも想像つかない。

どちらにしても父親のことを娘にも明かせないだなんて、自分の出自もロクなもんじゃないんだろうな。


そして渡されるこのお金も、たぶんまっとうな手段で稼いだお金じゃないんだろうな、とは薄々思うけど。

なるべくそれを表情に出さずに「ありがとう」と目の前で札を数えて受け取る。


「それで、なにか暮らしに変わったことは?」

「進路指導の先生に進学するのか就職するのかどうするのかハッキリ決めろって言われた。もう9月だし、これが最後の機会じゃないかな。親御さんとよく話し合えって言われた」

この生活を始める前にはお母さんとの約束を破り大学に進学も考えていたんだけど、流石にあと4年あの生活を続けるとなったらキツイ。

かといってこれ以上この人に甘える気もない。

そして多分許してくれないだろう。

むしろよく高校3年間を許してくれたものだ。

もう一つの選択肢として専門学校への進学も考えてたけど先生と色々相談した結果、やめた。

明確にどの職業に就きたいのか目標もないままだと学費がもったいないだけだと言われた。

この家から少しでも遠ざかりたかっただけだったのが見抜かれていた。


「そう。元々家に戻るって約束だったから特に問題ないわよね。忘れたの?」

「・・・忘れては無いけど」

1人暮らしを認めてもらう条件の一つ。


3年経ったら進学も就職もせずに家に戻る事。


「それとも破る気だった?」

眼光が鋭くなる。

「・・・うぅん」

ハッキリしない返事を、麦茶を飲んで誤魔化す。

この人は私をどうしたいんだろうか。

就職も許さず、私をこの家に縛り付けたいんだろうか。

この空っぽの家に。


ナギにはこの約束の事は話していない。

自分でもどうしたいのかよくわからない。

全てを、お母さんをも捨ててナギの元へ逃げたい思いに駆られることもあるけど、これまで育ててくれたお母さんへの情もある。

それにそれを実行したらナギにも迷惑がかかる。

約束の時まであと半年もない。

いずれ答えを出さなきゃいけないけど、怖い、色々と。

求婚された時、ナギの気持ちをハッキリと言葉にされて嬉しかったけど、この話は打ち明けられなかった。

まだ自分の気持ちがハッキリ固まってないし。


「あとは他に特にないかな。優待生もそのまま維持できてるし、バイトも続けられてるし」と言いながら、この家に入る前に指輪を外したせいで若干の寂しさを覚えてる左手をさする。

一瞬忍さんの目が細まったかと思うけど、世俗に疎いこの人はたぶん番いの事は知らない。

私の本能が「言ってはいけない」と警告を鳴らす。

この人はこの人なりに多分私を案じてくれてるんだろうけど、番いの事を話したらどう動くか未知数だ。

保護者の権限で私に断りもなくアパートを解約して無理に実家に戻すくらいはしそう。


約束事の一つが「恋人を作らない」だし。


元々色恋沙汰に興味なかったから了承したけど、受け入れなきゃ一人暮らしも出来てなかっただろう。

戻されたとしたらここから学校へ通うのもバイトを続けるのも不可能だし、そうなったら実質人生積んだ。

折角ここから抜け出せたのに。

「そう」

何かを思案しながら忍さんは品よく麦茶を口に運ぶ。

「たまにバイト先に変な汚客(おきゃく)さんは来るから困るけどね」

少しの真実を混ぜる。

嘘ばかりの会話はどこかでほころびかねない、ありえないと思うけど店の情報をどこかから聞いてるかもしれない。

ホラ、狂犬メイド騒動とかね。

「今のところそういうのは全部往(い)なせてるけど」

「ではあとで着替えて庭にいらっしゃい。ちょっと稽古をつけましょうか」

「そうだね。対多人数での立ち回りを重点的に教えてくれると助かる」

私が生きるための術は全てこの人から教わった。

自分より体格のいい人間の倒し方とか、人体の急所とか。

一見、華奢なこの人の人生になにがあったのかは知らないけど、女性一人で身を守らなきゃいけない生き方だったんだろう。

それが彼女が望んだのか、それともそうせざるを得なかったのかはわからないけど。


嫌な生き方だな、と思う。

私はこの人みたいに生きたくはない。



そしてそんなことを思う自分自身にも嫌悪感を抱く。


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