「こ、ここは……?」
バリィが目を開くと、そこは壁も天井も真っ赤な部屋だった。
先ほどまで【遺物の工場】にいて、カインにボコボコにされ、泣いていた。
そして、バリィの影に潜んでいたティナスがカインの身体を乗っ取ったと思ったら声が聞こえ、バリィ以外の人間がすべて消えたのだ。
いや、バリィだけではなかった。
火傷顔の女も残っていた。
そして、女が言ったのだ。
「ひとまず物語第一章は終わりってところかな」
女にバリィが話しかけようとすると、急に意識を失った。
そして、気づけば此処にいた。
「やあ、お目覚めだね」
振り返ると、火傷顔の女がいた。
ただし、火傷は、治っていた。
「お前……あの火傷は……?」
「ああ、治したよ。そこまで不便はないけど、わたしも女の子だから☆ なーんてね」
女は明るくふざけた様子で笑っているが、バリィはさっきから起こり続ける異常事態に気が気ではなかった。
「此処、どこだよ!」
「んー、ある意味、地獄かな」
「は?」
「ああ、死んではいないよ。よかったね」
「ふざけるな」
「でも、君、さっき光に包まれるときに『しにだぐなぁあい』って叫んでたよ」
「言ってねえ」
「まあ、どっちでもいいよ。興味ないし。わたしが興味あるのは彼だから」
彼、というだけですぐに思い当たった。
きっとバリィの最も憎むあの男だろう。
自分を陥れ、ステータスを全て1にしたあの男。
しかも、火傷顔の女の顔が想像以上に美人であったこともバリィの嫉妬心を煽った。
「くそ! なんでアイツばっかり! ふざけんな! 俺のステータスを返せ!」
「ははは、ステータスが1になったのは自分自身が原因でしょ」
「煩い!」
「でも、本当に君は良い仕事をしたよ。彼の物語の憎い敵役として」
「は?」
「きらわれものは必要だからね。しかしまあ、君が小さい頃にも思ったけど、よっぽど彼に消し去りたいんだね」
消し去りたい
その言葉がバリィの中にぬるりと入り込む。
そして、それを呼び水に色んなものが流れ込んでくるのを感じた。
「お前は……!」
「バリィ様、お久しぶりですね」
「何故だ! 何故お前が……! お前は俺の」
「婚約者、ですか……? ふふ……違うよ、ばーか」
清楚な令嬢のように見えたその顔は一瞬で砕け、いたずらっ子のような笑みでバリィを見下していた。
本当はわたしは彼の婚約者だったのさ。けれど、運命の悪戯ってやつだね。わたしは彼に気づかず、ただ君に種を蒔くだけで満足してしまった。まさか、彼の名がカイン、だったなんてね」
「さっきから、何を、言ってる?」
「まあ、わからない話さ。それに君には関係ない。ただ、君が分かることは、君はわたしに利用され、偶然にも見事に役割を果たしたということさ。そして、これからも」
「は?」
赤い部屋が一瞬歪んだ気がした。
「ご苦労だったね」
男の声がする。
低くて冷たい、腹の底から底冷えするような声。
振り返る。
戦盤を前に足を組んで座る。
肌が恐ろしいほどに白い黒髪の男がいた。
「こいつが例の男だよ」
「ああ、助かるよ」
「報酬は?」
「捨ててもいい駒をいくつか用意してある。私の為なら死ねる連中だ。好きに使えばいい」
「ありがとう」
「お前も悪趣味だな」
「君もね」
女と男がバリィを無視して話を進める。
だが、声が出ない。
出したら、何かが無くなる。腕か脚か、それとも。
そんな確信があった。
「じゃあ、行くよ」
女が部屋を出ていこうとする。
「ま、待て!」
女はまだバリィを揶揄う隙間のようなものがあった。
男にはない。ただ、憎しみだけがバリィに向いていた。
置いて行かれたくない。
バリィは女をとどめようと叫んだ。
「待たないよ。待てないんだ。もう何度も死ぬほど彼を待ったから。じゃあね、元婚約者さん」
女は手を振りながら去っていく。
こんな時なのに、手に巻いた組紐が美しいと思ってしまった。
「さて」
バリィの身体が震える。
「お前は、戦盤を嗜むか?」
男が無表情のまま問いかける。
「や、やったことない……! あぎゃあああ!」
指がとんだ。
バリィは思った。
死んだ。いや、死ねる。
だが、そんな思いとは裏腹に指は痒みと痛みを伴いながら生えてくる。
「は?」
「安心しろ。『死なないように』した」
「どういうことだ、ぎゃあああああ!」
指がとんだ。生えた。
「主に向かっての口の利き方ではないな」
「あ、るじ……?」
「ああ、お前は私に買われたのだ。魔人5人という破格でな。喜ぶといい」
「ふざけっ……いぎぃいいいい!」
指が飛ぶ。生える。
痛みと混乱、異常事態に頭が狂いそうになる。
「そこそこ只人の中では、身分の生まれときいたが……勘違いだったか」
「も、もおうしわげございまぜん……」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながらバリィは頭を地面につける。
「ふむ、マシになったか。では、戦盤をやろうか」
「だから、やったことないって……うぎぃいいい! や、やったことがないのです」
「覚えろ。痛みを伴いながらなら早いだろ」
「ふざっ……御冗談を」
「冗談は嫌いだ」
バリィは真っ青で震えている。
ルールを知らない。でも、間違えたら指が飛ぶ。
めちゃくちゃだ。でも、男は本気だ。
「まあ、幸い私には時間があるし、お前が苦しむのは私の望むところだ。やるとしよう」
「ま! 待って、くだ、さい……なぜ?」
男は剣兵を戦盤の上で動かす。
「何故、か……お前は、私の娘を誑かした」
「む、娘?」
「動かせ」
バリィが駒を動かさない以上話してくれないようで、バリィは剣兵を斜めに進める。
「それは出来ない」
「あがあああああああ! ……はあはあ」
「それも出来ない」
「うわあああああああ!」
「ふむ、よいだろう」
バリィは運よく三度目の打ち直しで正しく駒を動かす。
「ピコ、という娘だ」
「ピコ? いでぇあああああ!」
「様をつけろ、糞餓鬼」
「ピ、ピコ様……」
「そうだ。記憶は取り戻しているはず、なら、わかるだろう」
ピコといえばバリィに惚れていたレイルの冒険者ギルドの元受付嬢だ。
カインを陥れるよう唆したが、シアとグレンの登場で旗色悪くなったと考えたバリィはピコを切り捨てた。
「あの娘は、お前に惚れていた。だが、お前は捨てた」
「いや、あれは、あれ、ばぁああああああ!」
「言い訳をするな……あの娘はお前に捨てられ、心に深い傷を負った。そして、犯罪奴隷に身を落とし、娼館で働いている」
「あぎゃあああああ!」
「お前を忘れるために、仕事に励んでいるそうだ」
「うぎゃああああ!」
「ああ、そうそう。最近別のはけ口が見つかったそうだ。確か、メエナとかいうお前の恋人だったか」
「はあはあ……メ、メエナ?」
「あの娘は、もうお前のことはなんとも思ってないようだが、私は別だ。娘に恥をかかせた罪を償ってもらおう。さあ、打て」
バリィはもういろんなところから垂れ流していた。
ふーふーと息を切らしながら、打つ。痛みが走る。打つ。痛む。打つ。痛む。打つ。
「な、なんで俺がこんな目に……!」
「……聞いてみるといい。お前が来ると知り、ゲストが沢山来ている」
そう男が言うと、バリィの周りにぼんやりとした顔が浮かぶ。
「ひ!」
「彼らは、お前に恨みを持ったまま死んだ者たちだそうだ。中々恨みを買ったな」
耳元で男が、自分の恋人を奪ったと恨み言を呟いている。
女が捨てられたと泣いている。
騙されたと老人が怒りに震えている。
「皆の者、落ち着け。幸い、悪霊となった君たちにも、半アンデッドになったこいつにも時間はたくさんある。ゆっくりと、愉しもう」
バリィは目を見開く。
半アンデッド?
俺が?
何故?
「ああ、期待はするなよ。此処に人なんて訪れない。どこかの化け物じみた勇者以外数百年来たものはいない。お前のように私を不快にさせたものを連れてきたことは何十とあるがね。さあ、罪を、痛みを、噛みしめたまえ」
「い、い、いやだぁああああああああ!」
再び指が飛び、血が舞う。
しかし、部屋は元より真っ赤。
血が塗り重ねられただけ。
ただ、それだけ。
戦盤の駒の音と男の悲鳴が響き渡る。
ただ、それだけ。
男は地獄に落とされた。
ただ、それだけの話だ。