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美香へのいじめが収束してから二週間。
クラスの雰囲気は大きく変わっていた。
絵梨香の影響力は完全に失墜し、彼女自身も大人しくなった。
そして春斗は──
「坂登って、実はいい奴なんじゃね?」
そんな噂がひそかに広がり始めていた。
「山田にも逆らってたし」
「佐伯さんも助けたし」
「ただの変人だと思ってたけど……」
春斗にとって、これは最悪の展開だった。
──冗談じゃない。俺は『いい奴』なんかじゃない
実際、春斗の行動原理は単純だった。
調子に乗っている奴が気に食わない。
だから逆張りをする。
それだけだ。
正義感なんてものは、これっぽっちも持ち合わせていない。
だが、周囲の認識は違った。
特に美香は春斗を心から信頼するようになっていた。
「坂登君、今日も一緒に勉強しない?」
放課後、美香が春斗の席にやってきた。
以前の大人しい雰囲気は残しつつも、表情は明るくなっている。
「……別にいいけど」
春斗は渋々といった様子で承諾した。
本当は、もう美香に構う理由はない。
いじめは終わった。
絵梨香も牙を抜かれた。
でも、なぜか断れない自分がいた。
図書室で二人は向かい合って座った。
「坂登君って、本当に頭いいよね」
美香が感心したように言う。
春斗は鼻を鳴らした。
「別に。予習復習すれば誰にでもできるでしょ」
「また、そんな言い方……」
美香は苦笑する。
でも、その表情には親しみが込められていた。
「それに、優しい」
「何言ってんの?」
「坂登君が、本当は優しいって言ってるの」
春斗の手が止まった。
「はあ? 何言ってんの」
「だって、私を助けてくれたじゃない」
「あれは……」
春斗は言葉に詰まった。
そう、あれはただの逆張りで、正義感なんかじゃなくて──
「ありがとう」
美香の真っ直ぐな笑顔に、春斗は目を逸らした。
胸の奥で何かがざわついている。
──なんだよ、この感じ……
その日から、春斗の中で何かが変わり始めていた。
美香と過ごす時間が苦痛ではなくなった。
彼女の笑顔を見るとなぜか落ち着く。
勉強を教える時、彼女との距離が近くなると鼓動が早くなる。
──まさか……
春斗は必死にその感情を否定しようとした。
だが──
「坂登君? 大丈夫?」
心配そうに覗き込んでくる美香の顔を見て、春斗は確信してしまった。
──俺、こいつのことが……
青春の波がひねくれ者の心にも押し寄せていた。