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第3話 当たり前の儀式

 あざやかなオレンジ色の空の下を、聖子は柳崎は並んで歩く。

 アスファルトにくっきりと浮かび上がる影を見つめると、ふたりの影の長さは実際以上に違って見えた。


「ねえ、ダン。今は何センチあるの?」

「ん? 身長か? この前測ったら185になってたな」

「伸びに伸びたねえ」


 呆れたように告げる聖子。


「あの時の種目に身長勝負も入れておけば良かったよな」


 冗談めかした柳崎の言葉に聖子はくすくす笑った。


「わざと転んだクセして、何を言ってるんだか」

「い、いや、俺は……」


 柳崎は聖子の言葉を慌てて否定しようとしたようだが、それよりも早く聖子が次の言葉を発する。


「いいのよ。手心を加えられたのは、ちょっとばかり悔しかったけど、それって結局はわたしが弱かったせいだもの」


 自分が強ければ、そもそも相手もわざと負けようとは考えない。手心を加えられて相手にくってかかるのは筋違いの負け惜しみだ。聖子はそう信じている。


「まあ……確かにあれはわざとだったけど、やっぱり俺はお前がレッドで良かったと思ってるよ」

「どうして?」

「それはもちろん、お前が俺たちの中で一番真っ直ぐだったからさ」

「そうかしら?」

「ああ。先生も言ってたろ? 俺は単純で直情的だから、やっぱりお前みたいな奴が締めてくれねえとまとまらねえんだよ」

「ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」

「いや、世辞じゃねえし」


 どこか照れくさそうに鼻の頭をかく柳崎。


「でも、わたし、本当は知ってるの」

「何を?」

「ダンがわたしたちみんなのヒーローだってことを」

「俺が?」

「うん」


 聖子は柳崎の前に回り込むと、後ろ向きに歩き続けながら、真っ直ぐにその瞳を見つめる。


「わたしは初めて出会ったその日に、あなたに救われたわ」

「いや、俺はそんな大層なことをした覚えは……」

「してくれたのよ」


 明るい声で遮ると、聖子はそのままの調子で続けた。


「もちろんそれはわたしだけじゃないわ。緑野くんは不正を許さない生真面目さゆえに周囲から煙たがられ、黄色くんは悪ガキを返り討ちにしたことで逆に乱暴者扱いされて、明海は級友たちのいじめに荷担しなかったことで、自分がいじめられる羽目になっていた」


 それぞれに仲間たちから聞かされた話だ。


「そんな昏い日々を吹き飛ばして、みんなを光の中に連れ出してくれたのは、ダン――あなたなんだよ」

「…………」


 柳崎は笑みを消して神妙な顔で聖子を見つめる。何かを言いたげな顔だが、それを口にするのを躊躇っているようだった。

 構わず聖子は自分が言いたいことを伝える。


「みんな口にはしないけど、ダンには本当に感謝しているの」

「それは……」


 言いかけたところで言葉を切ると、彼はしばしうつむいた。

 しかし、すぐに顔を上げると、いつもどおりの頼もしい笑みを浮かべる。


「それはまあ、お互い様ってもんだぜ。なんてったってヒーローをヒーローたらしめるのは、頼もしい仲間たちなんだからよ」

「つまり、わたしたちはダンの仲間として合格ってことかしら?」

「合格も何も俺たちは五人でひとつのアークヒーローズだろ。これまでも、そしてこれからもずっとな」


 柳崎の言葉に今度は聖子がうつむいた。熱い想いが込み上げて思わず涙がこぼれそうになる。それでも拳を握りしめて、なんとか堪えると、聖子は顔を上げてわずかに潤んだ瞳を大好きなヒーローに向けた。


「うん、そうだよね。わたしたちって無敵だし!」


 過去最高だと信じられるような笑顔を浮かべて告げる。


「おうよ」


 力強くうなずく柳崎。その笑顔もまた聖子にとって最高の贈り物だった。

 ふたりはそのまま、しばらくの間声を立てて笑い合った。

 駅が近いのか、どこかで警笛の音が響き、踏切の音が響いてくる。遠くの空でカラスが鳴いて、傍らを車がゆっくりと通り抜けると、自然と笑い声が途切れた。

 それでも笑みは消さないまま、聖子は肩の力を抜いて、自然な動作で柳崎の横を歩く。

 すれ違うようにしてそのまま背を向けると、柳崎もふり返ることなく、声のトーンを落として名前を呼んだ。


「聖子……」

「そろそろ行くわ。わたしはこっちだから」


 聖子は背中合わせのまま穏やかな声で告げた。


「ああ」


 応える柳崎の声は少しだけ強ばっていたが、それでも呼び止めようとはしてこない。

 その気づかいが素直に嬉しかった。

 涙腺が決壊し、涙が溢れて止まらなくなる。街の風景が涙と西日で滲む中、聖子はかつては毎日のように別れ際に交わした言葉を口にした。


「さようなら、ダン」


 どうしても声が震えるのを抑えきれない。それは明日の朝「おはようと」言い合うための当たり前の儀式に過ぎず、聖子たちにとっては決して寂しい言葉ではなかったはずなのに……少なくとも、あの頃はまだ。


「さようなら、聖子」


 返ってきた柳崎の言葉は以前と変わることがなかった。お互いに背中合わせでは、どんな顔をしているのか分かるはずもないが、その言葉はじゅうぶんすぎるほどにやさしく響いた。

 だからこそ、聖子も立ち止まることなく、いつものように歩き出せる。

 背後では柳崎の足音もまた、ゆっくりと遠ざかっていた。彼もまた自分が進むべき道へと歩き出したのだ。


(本当に……バカみたいにタフな奴)


 一抹の切なさが聖子の胸を締めつける。

 結局、胸に秘めた想いは最後まで口にしなかった。

 これが最後の機会だと分かりきっていたが、だからこそ今さら彼の心を煩わせたくはない。

 いや、それは嘘だ。

 本当はただ自分が臆病なだけだと聖子は静かに認めた。

 女だてらにヒーローを気取ったところで、やはり色恋沙汰は勝手が違う。


(でも、これでいい。この未練がある限り、わたしはきっと忘れない。忘れずにいられるはずだから)


 ゆっくりと世界が白み始める中、聖子は声に出すことなくひとりごちる。


(たとえ、生まれ変わったとしても)


 その想いを最後にすべてが黄昏の光に包まれて、誰にも気づかれることなく消えていった。


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