「そんなんでけへんで」
紅雨は首をこてんと傾げた。
『え?入学したんやろ?』
黒蛇も、首を大きく傾げた。
この大きさなのに、なんというか少し可愛らしい。
「うん。編入してん、今日」
『今日』
紅雨の言葉に、黒蛇はガパッと口を開けた。
多分、ポカンとした表情なのだろう。
丸見えの牙も立派で、見ただけなら凶悪だ。
しかしなぜか、危機感や恐怖感は一切ない。
「せやから、魔法的なやつとかなーんも知らんし。そもそも、術?関係の説明は入学後って言われてたのに、説明する暇もなく連れてこられたんやもん」
『そらそら……色々行きちごたんやろな。ご愁傷さん』
黒蛇は、舌をピロピロと左右に動かした。
確か、蛇が舌を動かすのは周囲の匂いを感じ取るためだったと思う。
コミカルで面白い。
「ないわー、ほんまないわー」
昼食は食べ終わったが、もはや動くのもおっくうだ。
木々の隙間から零れ落ちてくる日差しも暖かいので、いっそのことここで昼寝をしてしまいたい。
『この時期に学園から高校生が来るんは、物の怪と契約するためやで』
憮然とする紅雨をかわいそうに思ったのか、単に面白がっているのか、黒蛇はこのサバイバルキャンプの目的を説明してくれた。
「契約?」
『せや。弥魔術師は、まぁ色々便利やし物の怪と契約すんねん。そこそこ意志疎通できて動物の形しとるやつがほとんどや。天狗とか鬼とかも物の怪の一種やけど、あいつらは集落作ってて別の文化がある種族やから、契約することはまずないわ』
黒蛇は、面倒だったのか途中の説明を省略した。
特に大切なところでもなさそうなので、紅雨は聞き流した。
それよりも、気になるキーワードがあった。
「鬼もおるんや……って、動物?犬とか猫とか鳥とか?」
『そういう形を取っとるもんやな。存在としては生き物とは別もんやで?あとワシみたいな蛇とか爬虫類・両生類もおるし、変わったとこやと虫とか花もあるなぁ』
「へぇー。でもここまで全然会わへんかったけど」
『それはまぁ、様子見やろうな。ほかの生徒もいっぱい来とるやろ?自分らも物の怪を見極めるけど、物の怪も自分らを見極めてんねん』
尻尾をゆらゆらとさせながら、黒蛇は少し向こうを見た。
きっと、ほかの物の怪や生徒がいる気配でも感じているのだろう。
「うぅ、もうすでにめんどくさい」
『まぁ、毎年何とかなってるみたいやし、自分も何とかなるやろ』
「えー。何したらいいかもわからへんのに」
紅雨は、一つため息をついた。
さきほどから、地面に座って黒蛇を背もたれにしたままである。
彼(彼女?)も、特に何も言わないのでそのままくっついていた。
不思議と忌避感はわかないし、そんなに温かいわけでもないのに妙な安心感があるのだ。
絶妙に弾力があって、サラサラした鱗が気持ちいい。
『とりあえず、この時期に三輪山の奥の混ざったとこに入ってくるんは学園の学生だけやし、ここにおる物の怪は契約するんを面白がっとるヤツだけや』
「黒蛇さんも?」
だらりともたれかかったまま頭を上に向ければ、これまたリラックスして木に頭をもたれさせた黒蛇が、しゅるりと舌を出した。
ちょっと木がしなっている気がする。
『せやな、まぁワシは見物に来ただけやけど』
「あー、そういう。あるよね、興味はあるけど関わるのは違うっていう」
『それそれ。高みの見物や』
黒蛇は、赤い目を細めた。
多分、微笑んだのだと思う。
爬虫類が笑うのかどうかはわからないが、物の怪なのできっと表情も豊かなのだ。
「わかるわー。うちもできるんやったら誰かが契約してるとこ見てみたいもん」
『他人ごとかいな』
「ぜんっぜん、一ミリも実感あらへん。父方の賀茂の血筋の先祖返りとか言われても、何のことか分かれへんし」
祖母から、少しだけそんな話を聞いた。
しかし、紅雨の知識にはそのあたりのことは何もなかったので、その人がすごいのかどうかもまったくわからない。
『賀茂……あぁ、あの賀茂か?それやったらワシも知っとるで。今の陰陽術のあり方をうまいこと考えたやつやな。そこらへんに、賀茂関連の術式を使ったやついっぱいあるで』
「へぇー。詳しく知らんねん。どういう人やったん?」
意外なところから情報が出てきた。
ちょっと興味が出た紅雨は、座っていた向きを変えて、正面から黒蛇の顔を見た。
『ワシもそこまで詳しくはないねん。まだせいぜい五百年やから若手やし。有名なとこやったらアレや、安倍晴明の師匠やったのも賀茂のやつや』
どうやら、物の怪というものは長生きらしい。
「安倍晴明!その人やったら知ってる。陰陽師って感じやんね」
『そうそう、弥魔術って呼ぶのがあかんゆうてケッタイな名前つけたんやな。ほんでな、それくらいの時期に、弥魔術をうまいことまとめたんやって。せやから、今の術式とかその辺の基礎やな。ほんで、そのあと何代かの間にうまいことフェードアウトして、表的には暦とか天文とか方だけに関わる感じにしたんや』
「あぁ、それで裏社会的な感じになったんや」
手紙が来るまで、紅雨の家族もそういった魔法的な世界がまさか現実に存在するとは思ってもいなかった。
『せやな。まぁ、日本の政治のトップなんかとは今でも繋がりがあって、色々協力してるみたいやけど』
「へぇー」
完全に隠れているのかと思ったら、まったくの没交渉というわけでもないらしい。
『海外にも、魔法使いとか術師みたいなんいてるんやて。こないだの戦争でも裏でそっち方面もドンパチやっとったみたいやわ。今はその戦争で色々あったから、お互いにちょっと距離置いてるらしいな』
「こないだの戦争?」
現代の高校生にとって、『この間』とはせいぜい二ヶ月前だ。
年を取ると『この間』の幅が広がるとは言うが、第二次世界大戦ですらもう八十年は前だ。
その単位の年月を『この間』とは言わないと思う。
『何やったかな……世界戦争、か?そんな感じやったやろ』
「あぁ、それがこないだの感じなんやね。ほんで、やっぱり魔法使いもいてるんや?」
五百年という年月を生きる相手をそう言っていいのかはわからないが、ようするにおじいちゃんなのだろう。
そう理解した紅雨は、もう一つの疑問を口にした。
『おうよ。せやけど、お話みたいに箒で空飛んだりはせえへんって聞いたわ。まぁ、今は飛行機やら人工衛星やら発達してるからな。そのあたりとも折り合いつけてうまいこと住み分けてるらしいで。それはまぁ弥魔術師もいっしょやな』
「そういうもんなんや」
だらだらと色んなことを聞いたり話したりしているうちに、夕方になってきた。