「っくしゅ!ぁあ゙~、ちょっと冷えてきたわ」
完全に日が落ちて、空が暗くなってきた。
やはり春なので、夜は気温が下がる。
『上着とかないんかいな』
「うわぎ……?そういや鞄に入れてたな」
紅雨は、腕をさすっていた手を下ろした。
『着とき、さすがに風邪ひくで』
「うん」
食事などを入れていた鞄に、既定の上着も入れていたのをすっかり忘れていた。
袴にも合うデザインの羽織のようなそれを着ると、ふわっと温かくなった。
「っはー、あったか」
『おぉ、一応ちょっと術使ってるやんそれ』
「そうなん?」
紅雨は袖を見たが、ただの布にしか見えない。
『気温調整系のやつやな。良かったな、それあったら凍えることはないで』
「マジか。嬉しい誤算」
そして、そろそろお腹が空いてきたので夕食の弁当を食べることにした。
「そういや、蛇さんなんで大阪弁なん?物の怪ってそういうもんなん?」
『ワシは、この辺出身やからやな。せやけど、定住しとるヤツらは結構大阪弁うつっとるんちゃうか?なんぼ言うても、人から離れて居られるもんちゃうからな』
もぐもぐ、と咀嚼しながら紅雨は首を傾げた。
「……ん?物の怪って、人里離れた自然溢れるところにいてるイメージなんやけど」
『そういうヤツもおらんでもないけど、わりと特殊やな。基本的にワシらは、そもそも人がおるから存在してるねん』
ただのイメージだったが、実はそうでもないらしい。
「急に哲学的。ほな、意外と街中にいっぱいいてるってこと?」
『せやで。まぁ、それでも公園とか川とかの近くが多いかな。自然のエネルギー的なもんも必要やから』
「ふぅん……あ、これ美味しい」
ぱくり、と口に入れたのはフキの煮物。
この和食弁当は、冷えていても美味しい。
『しっかり食べや。あと、街が近い山も多いで。このへんやと、生駒とか。神社にも多いけど、石切さんよりは枚岡さんの方が多いなぁ。石切さんはさすがに人が多すぎるねん』
「そうなん?人に見つかったりせえへんの?」
『物の怪は普段は擬態しとるし、そもそもそこらへんの動物と同じ形のやつらが多いからな。見分けつかへんで。
「やまびと?」
『あー、弥魔国の弥魔に、人で弥魔人。まぁ、術師のことや。古いスラングみたいなもんやな』
古い、ということは今は言わないのかもしれない。
いわゆる死語だと紅雨は理解した。
「そういうやつか。術師やったら分かるってこと?」
『術力持っとるからな。もちろん、人にもよるやろうけど』
「なるほど」
弁当を食べ終わり、片付けてまたひと心地ついた。
ちなみに、トイレはないので草陰で済ませた。
羞恥心は尿意に負けた。
元の位置に戻って座って、ふと気づいて口を開いた。
「あ、今さらやけど、うちは星無紅雨っていうねん。黒蛇さんの名前は?」
『……』
それまで、何を質問してもすぐに返ってきた返事が、名前を聞くと突然なくなった。
聞いてはいけないことだったか、と質問しようとすると、先に黒蛇が答えた。
『
「え、なにそれ突然変異のキリン?それともビール?面白い名前?」
『アホか、ちゃうわい』
ぺちり、と尻尾の先で軽く肩を
聞けば、麒麟とは幻獣の一種のことだそうだ。
「ん?それってあれやん、うちが【哺乳類】って答えるようなもんちゃうん?」
『まぁな。でもそういうもんや』
「へぇー」
『……いやいやいや、そこで納得すな。どう見てもワシは蛇やろが』
「えぇ?」
若干眠くて、紅雨はツッコミが追いつかない。
『はあ、しゃーないなぁ』
渋々、といった体で嬉々として黒蛇が語ることろによると、物の怪を使役するための条件が「名前を知ること」なんだそうだ。
物の怪の名前を知って、呼ぶことで契約できるらしい。
『せやから、あの手この手で言葉巧みに名前を聞き出すやつもおるで』
「そうなんや。意外と力技?」
『名前を知ったもん勝ち、みたいなとこはあるな。一応、物の怪側の了承はいるけど、名前知られたらたいがいはOKしとるで』
「ほな、今頃みんな物の怪の名前を聞き出そうとしてるんや」
想像したら、何となく楽しい。
『多分な。あと、物の怪やったら何でもええわけちゃうで。一応強さとかもあるからな。身体の色で分かるんやけど、黒が一番強くて、次が白、その次が赤、青、黄、灰、緑、紫、茶色の順番や』
紅雨は、思わず黒蛇を見上げた。
そのうろこは、夜空よりも真っ黒である。
「そんな序列みたいなんがあるんやね。っていうか、赤い動物とか目立ちそうやなぁ」
『うまいこと術で誤魔化すことが多いねん。よく見たら赤やけど、パッと見は茶色とかな。よく見たら青やけど、遠目に見たら黒とか』
「強い物の怪と契約したかったら、そういうのを見分けるんが大事なんか」
『せやな』
ふむふむ、と頷いた紅雨は、改めて目の前の黒蛇の身体をじっと見た。
「ほんなら、クロは強いんやね」
『クロ?』
「名前ないと不便やん。あんたとか呼ぶんもアレやし。黒蛇って微妙に長いし。黒いからクロで」
紅雨は、黒蛇を指さして言った。
『適当!いや指さすなって!』
「だって簡単に聞いたらあかんもんやろ?ほんなら、あだ名でクロでええやん」
『ひねりもなんもない!やめれ』
楽しくなってきて、紅雨は声を上げて笑った。
「物の怪の年って分からへんねんけど、クロって何歳なん?」
『知らんで』
「へ?大体しか分からへんの?」
『途中で数えんのやめたからな。多分五百年くらいやと思う。先の戦争は二回とも知っとるし、日本が小さい国に分かれて戦っとったんも知っとる。多分、四百は超えてるな。六百は超えてへんのんとちゃうか』
黒蛇は、自分で言いながらうなずいた。
「四捨五入の桁が違う」
『いや、よく考えたら六百年超えてるんか?』
「それをうちに聞かれても」
まったりと黒蛇にもたれつつ、二人は会話を弾ませた。