「ただいまぁ!」
紅雨は、数カ月ぶりに実家の玄関をくぐった。
さすがに大っぴらに連れ歩けないので、黒朱と夜天は別行動で実家に来てもらうことになっていたから、今は一人である。
「あぁ紅、おかえりぃ。暑かったやろ。中入り。そろそろスイカ切ろう思ててん。食べる?」
出迎えてくれた母は、特に何も変わっていなかった。
お盆休みにはまだ入っていないので、父は仕事で留守にしていた。
妹の
「食べるー!あ、もうちょいしたらうちの物の怪も来るけど、基本的には何も食べへんから。お菓子とか甘いやつは好きみたいやけど」
「物の怪?あぁ、手紙に書いてた契約した子ら?」
キッチンの方から聞こえる声は、いつも通りののんびりしたものだ。
「そう、黒朱と夜天。黒朱は小さくなれるし、夜天も普通の烏より小さいからそんな邪魔にもならんと思うわ。あ、お父さんもお母さんも青天も、爬虫類と鳥類大丈夫やんな?」
紅雨は靴を揃えて上がり、キッチンを覗き込んだ。
「あははは!確認が後かいな。まぁ、蛇と烏っていうても普通のんとちゃうんやろ?会話できるんやったら大丈夫ちゃうか」
母は、八等分にされたスイカをサクサクと切りながら言った。
荷物を自分の部屋に置いて、手を洗ってキッチンに戻ると、タイミングよく声が聞こえた。
『おじゃましてよろしいかぁ』
『ここの窓開けたってぇな』
紅雨は、リビングの大きな窓に向かった。
南向きの窓の外は、庭を半分使ったポーチである。
数年前に父が頑張ってDIYしたもので、春や秋などの気持ちのいい季節には外でよくBBQなどをするのだ。
鍵を開けてガラリと窓を開けると、バサバサと夜天が入ってきた。
ちなみに、黒朱はさらにミニサイズになって夜天の足に絡みついている。
そのまま、夜天はダイニングの椅子の背に停まり、黒朱はいつもの大きさになって椅子の上でとぐろを巻き、机から顔を覗かせた。
『おじゃましますぅ』
『おじゃまするでぇ』
「邪魔するんやったら帰りぃ」
母は、振り返りもせずにそう言った。
『ほな失礼しますぅ』
『いや帰るかいな!こんなに必死こいて飛んできたのに!』
「あっはっは!テレビも見てるん?面白い子ぉらやねぇ。ホンマに目の赤い黒蛇と、目の青い烏。でもしゃべれるんやねぇ。紅雨は迷惑かけとらへん?」
顔だけ振り向いた母は、楽しそうに笑った。
『子ぉゆう年やないけどな。ワシは黒朱。紅雨はよう頑張っとるし、毎日楽しいで』
『アタシは夜天いいます。アタシが二百年くらいで、それで若手やからなぁ。紅さんにも言うたけど、わりと自由にやってるからウィンウィンや』
「そうなん?見た目だけやったら年とかわからへんもんやねぇ。ようやってるなら良かったわ。スイカ食べる?」
母は、紅雨と自分の皿にスイカを盛ったところでそう言った。
残りのスイカは、大皿に並べて冷蔵庫に入れていた。
『紅雨のお母はん、ワシらはいわゆる食べ物はいらんからええわ。ありがとう』
『物の怪やからなぁ。アタシはチョコレートは好きやで!でもあえて言うんやったら紅さんの術力がご飯やね。いっつも貰ってるから、大概おなか一杯になっとるで』
「そうなんやねぇ」
母は夜天の言葉を聞いて、カウンターに置いてあるお菓子の籠を持ってきてチョコレートを取り出した。
『いやぁ、嬉しいわ。ありがとう』
「どういたしまして。ほんで、紅の術力?って美味しいん?」
紅雨もそれは気になったので、スイカの前に座りながらふたりを見た。
『美味しい?っていうか、気分が良い?ホンマに食べるわけやないから言い方難しいねんけど。黒朱はどうなん?』
先に答えた夜天が黒朱に聞いた。
黒朱は首をこてんと傾け、ぴろぴろと尻尾を振った。
『分けてもらう感じやからなぁ。ちょうどええ温度の風呂みたいな感覚やな』
『ほかの子ぉも悪くはないけど、紅さんのはちょうどやわ』
『紅雨は割と物の怪に好かれる術力持っとると思うで』
『確かに!三輪さんのとこでも、
それは初耳だったので、紅雨はスイカの種をプッと出してから言った。
「あのとき?ほかにも物の怪おったんや。全然知らんかったわ」
『アタシは平気やったから近づけたで。黒朱はでかすぎるねん。そら普通の物の怪はビビるわ』
『ワシらは術力の塊みたいなもんやからな。強さが序列やからそんなもんやろ』
「細かいことはよぅわからんけど、蛇さんは強いんやね。そんで怯まへん烏さんもまぁ強いと。紅、えらい強い子ぉと仲良ぉなったんやなぁ」
母は嬉しそうにうなずいた。
「仲良くってゆうよりは契約な。いや仲良くできそうやから契約したんか。まぁどっちでもええわ。とりあえず、こっちにおる間は黒朱と夜天も一緒やから。あ、でも夜天はちょくちょく外に出るから、べったりってわけでもないなぁ」
紅雨が聞くと、夜天は片羽を広げてひらひらと振ってみせた。
『せや、せっかくやから、夜にでもこのへん色々見てくるわ。隠れとるお仲間を見つけるのんおもろいし』
『脅かさんとけよ?なんぼいうても夜天も黒や。突然来られたら向こうもびっくりするで』
『なるべくそうするわぁ』
そういった方面にやる気がなさそうな夜天に、黒朱は重ねて注意した。
『気難しいやつも中にはおるんやで。下手にして迷惑かかるんは紅雨の家族や。せやから遊ばんときって言うとんねん』
『んもぉ。わかった!こっそり遠くから覗くだけにしとくから大丈夫』
『絶対やで?』
『絶対!アタシかて別に紅さん困らせたいわけちゃうもん。それくらいでけるわ』
プイ、と顔を横に向けた夜天は可愛らしい。
紅雨は母と顔を見合わせて目を細めた。
夕方に青天が、夜には父が帰ってきた。
会社で働く父は、明日の十三日まで仕事があるらしい。
青天は、今年高校受験のため塾で勉強していたという。
「青、結局どこ受験するん?旭ヶ岡?」
夕食で、紅雨が聞いた。
春の時点ではまだ決めかねていたが、そろそろ決定しているだろうと思ったのだ。
青天は、咀嚼しながら首を左右に振った。
「ううん。見学したけどちょっとちゃうなって。でもあんまり遠いのも嫌やし、色々考えて星の影高校にしてん。友達も行くって言うてたし、進学率も高いし」
「うぐぅっ!妹がナチュラルに姉を超えてくる」
『将来のことちゃんと考えてる、ええ妹さんやん』
黒朱は、紅雨の椅子の背にくるりと巻き付いていた。
「そうやんな!あ、そういえば聞きたかってん。お姉ちゃんは術師やったけど、あたしはどう?あたしも術師になれそう?」
『あー……。いや、ちゃんと将来考えてたらそれで十分ちゃうか』
黒朱は、キラキラした青天の瞳を直視できずにふいっと顔を逸らした。
誤魔化された青天は、今度は夜天を見た。
ちなみに、紅雨も見られたがにっこり笑ったらスルーされた。
『もう!こういうことはちゃんと教えるのが親切ってもんやで?あのな、青天ちゃん。あんたには術力ほとんどないわ。残念やけど、ごく普通の一般人やね』
「はぁあ。やっぱりそうかぁ。お姉ちゃんみたいに運が悪いってこともなかったし、突然良くなったりもせぇへんかったもん。違うんやろなって思ってた。あぁあ。残念」
青天は、机に肘をついて両手に顔を伏せた。
それを見た母は、首をひねった。
「何言うてんのん。紅が書いて寄こした術の勉強の内容チラッと見て、『めっちゃ理系っぽいから無理』って速攻投げとったがな。残念っていうよりはほっとしたんやろ」
「それな。いやほんま、万が一あたしも術が使えるから学校に、ってなったらどうしようかって思ってた。あたしは理系ちゃうねん。でけへんことはないけど、論理で殴る系の学問は好きちゃうねん」
青天は文系なのだ。