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16 不可思議と夏休み後半

お盆休みを実家でのんびりと過ごして、以前と同じように近鉄の奈良駅から学校の敷地へと戻った紅雨は、寮のクローゼットに荷物を片付けた。

敷地内を歩いた限りでは、まだまだ生徒たちは帰ってきていない。


ふと思い立って、紅雨は校舎に向かった。


「あ、いてた。涼介くん、宿題は終わってるん?」

屋上の扉を開けると、以前のように日陰になったところに涼介が寝転んでいた。

今日は珍しく、彼の契約している物の怪、大河がお腹の上に乗っている。


『やらせたにゃあ』

「うっせえよ。やらないと先公がごちゃごちゃ言うからな。暇だったし、三日で終わらせた」


それを聞いた紅雨は、目をむいた。

国語や数学は問題集の指定部分をすべてやらないといけないし、化学や英語、世界史などもプリントが結構な枚数渡されたはずだ。

それから、読書感想文も必須である。


「え?三日で終わらせたん?それ一日中宿題やってたんちゃう?」

「そーだよ。暇だったからな」

『みゃあがやらせたからにゃあ』


「あぁもう。終わったっつーの!だからいいだろ?」

『みゃあがちょっとした餌で釣ったにゃむむぅぅう』

大河が何か言おうとした口を、涼介は片手で覆った。


『むむぅむんむうむむむむむむぅうむうむうむむ』

「何言うてるかわからへんけど、とりあえず宿題終わってるんやったら過程はわりとどうでもええと思うよ。うちの実践練習、遠慮なく手伝ってもらえるし!」


「まだやんのかよ。そろそろ中学二年の範囲終わるんじゃねぇか?」

「そう!夏休みの間に終わらせたかってん。ってことで、ご協力お願い。あ、これお土産」


手渡したのは、星無家御用達のケーキ屋さんで売られているパウンドケーキだ。

紅雨のお気に入りは抹茶。

ちなみに、友人たちにはクッキーなどの長持ちするものを買ってきてある。


「あぁ、さんきゅな。別に土産なんかなくても手伝ってやるよ。俺も改めて見直しになって精度が上がってるからちょうどいい」

涼介は、ひょいと起き上がってケーキを受け取った。

大河は涼介の膝にスライドした。


「そうなん?あ、そういえば涼介くんは結局ずっと学園にいてたん?」

「帰る場所も特にないからな」

「前に言うてた施設って、帰る場所ちゃうん?」


「居場所ではあるけどな。家って感じじゃない。あそこにいるやつらは、ほとんどが術師であることを親に受け入れてもらえなくて捨てられてるんだ。たまに死別で引き取り手がないっていう場合もあるが、ごく少数だ。だから、同族意識みたいなもんはあるが、仲間とか家族じゃない」

涼介は、大河の背中をそっと撫でて続けた。

「先生たちは親切だったけど、やっぱり他人なんだ。仕事で子どもを見てるだけ。そういうのは、子どもでも感じ取れる。根本的な温かさのない場所だから、帰りたいというやつはほとんどいない。俺は名前ごと知られているから隠していないが、ほかのやつらはあの施設育ちってのは隠してるぞ。いい目で見られないからな」


それは、紅雨に気を許しているからこそ出てきた言葉なのだろう。

楽しい家族に囲まれてぬくぬくと育ってきた自覚のある紅雨には、何も言うことができなかった。

涼介が小さな子どもだったら、ぎゅうぎゅうに抱きしめているところだ。


しかし涼介は一つ後輩なだけの高校生なので、紅雨はすぐ隣に座るだけにした。

「じゃあ、高校卒業したら涼介くんは完全に自由やね」

「自由……かな」


「少なくとも、何をして何をせえへんか、自分で選んで決められるで。まぁ、弥魔国の範囲内ってことにはなるんやろうけど。涼介くん、弥魔術もりもり使えるからなぁ」

「それはそうだな。許される範囲は決まってるだろうが、その中で自由に選べるはずだ」

ひたりと触れている腕は、温かい。


「うちは、とりあえず大学行きたいなぁ。もうちょっと色々勉強して、面白いことしたい」

「面白いこと?どんなことをするつもりなんだよ」

「えー?まだわからへん。それを探すのに、まずは勉強してんの。ほんで、大学で専門的なこと勉強してみて、面白そうなこと見つけるんやわ」

涼介が大河を撫でる手を見ながら、紅雨はそう言った。


「そういうもんなのか?先延ばししてるだけじゃねぇか」

「ええねんって。専門的なことを学べて、先延ばしもできて、面白いことも探せる。素晴らしい期間やで!しかも世間的にも保証された身分」

「ふぅん。……俺も進学考えてみるかな」


どうやら、涼介は進学するつもりがなかったらしい。

紅雨は、自分の言ったことに涼介が興味を持ってくれたことが嬉しくなり、調べた知識を思い出して色々と言いつのった。


「ええと思うよ。いろんな研究してはるから、面白そうなことしてる教授を選んで学科決めてもいいし。そもそも実践応用的なのがええんやったらそういう学科もあるし。何ができるか確認してみて、やりたいことがないんやったらもう就職してもうてもええし。うちは、弥魔術と科学の融合系が気になってるわ」

「そうか。いろいろあるなら、調べてみる」


「ええと思うで。あ、そろそろ夕食の時間やわ。一緒に行こう」

「あぁ」

涼介の目から暗い色が消えたことに安心した紅雨は、にこりと笑顔になった。



食事中に、手を止めた涼介が唐突に聞いた。

「なぁ」

「ん?」

口に入れた締め鯖がさわやかでおいしい。

もぐもぐしながら先を促すと、向かい側に座った涼介は視線を逸らしながら言った。


「その……施設に入った理由とか、聞かないのか?」

紅雨は、実のところそこに興味はなかったので目をぱちくりとさせた。

確かに、普通はそこが気になるのかもしれない。


返事をするため、程よい酸味の締め鯖を喉に押し込んだ。

「言いたいんやったら聞くけど、でもそういうのってなんていうか、目の前の本人のオプションやん?オプションって、あってもなくてもええやんか。まぁ、育った背景はわかるで。でもそれを知ったところで涼介くんが色々手助けしてくれる涼介くんなんは変わらへんっていうか。……うん、ごめん、ぶっちゃけるとあんまそのへんは興味なかった」


そう言われた涼介は、目を丸くして数秒後、噴き出した。

「ぶっ!ははは、はははは!そうか、オプションか。いや、それならいいんだ。俺もまだ呑み込めてないし、言えるときに言いたいから。でも興味くらいは持ってもいいと思う」


少し緊張していたらしい涼介の表情が柔らかくなり、紅雨も微笑んだ。

「んー、ごめん。あれや、『実は一カ月で髪の毛が二センチ伸びるねん』っていう情報と同じくらいの感じ。そういうのって、聞いて、ほんで終わりやん。誕生日やったらお祝いっていう目的があるけど、髪の毛が伸びる速さ聞いたところで『へーそうなんや』って受け止めてそれだけっていうか」


「くくくく!髪が伸びる速さっ……!ふはぁ、っははは!まぁ、面白く聞くくらいの興味は持っててほしい」

「興味ないわけやないんやで?涼介くん本人は大事や。ただその、付随情報そのものに根掘り葉掘り聞きたいほどの興味はないねん。髪が伸びる速さと一緒で」

「はは、っふ。はぁ。そうか。わかった」


どうにか笑いを収めた涼介は、明日から紅雨が勉強する弥魔術について聞いてきた。

紅雨もそれに答え、楽しく夕食を味わった。




次の日からの練習でも、また涼介にひっついて見本を見せてもらい、紅雨が試すという方法でどんどん弥魔術を習得していった。

おかげで、中学二年の範囲が終わった。


二人きりで過ごす時間は楽しく過ぎ、少しずつ友人たちが学園に戻ってきた。

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