侯爵家で行われた婚約発表パーティーは盛大で、数多くの貴族たちが招かれていた。エリナとカイルは肩を並べて会場の中央に立ち、招待客たちと挨拶を交わしていた。エリナの胸には、これまでの困難を乗り越えた安堵感と、新しい人生への期待が入り混じっていた。
彼女の微笑みは穏やかで、久しぶりに心からの安らぎを感じられる瞬間だった。隣にはカイルがいて、その温かな存在がさらに彼女を支えていた。
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会場の中央に飾られた大きなシャンデリアが輝きを放つ中、エリナはふと視線を人混みの向こう側に向けた。その瞬間、目に入ったのは――自分と同じ髪型、同じ背丈を持つ誰かの背中だった。
「……え?」
エリナは一瞬言葉を失い、胸が高鳴るのを感じた。その人物は人混みの中に紛れ、ゆっくりと遠ざかっていく。
「カイル様……あれを見ましたか?」
彼女は隣のカイルに声をかけたが、彼は不思議そうな表情を浮かべた。
「どうした?」
「私とそっくりな背中が……。」
エリナの声には動揺が混じっていた。
その人物を追おうと一歩踏み出そうとした瞬間、カイルが彼女の手をしっかりと握り止めた。
「エリナ、落ち着いて。君が見たのは、きっと幻だよ。」
カイルの声は穏やかで、それでいて断固たるものだった。だが、エリナの心の中には、どこか拭い去れない不安が残っていた。
「でも……もし、本当にもう一人の私だったら……?」
彼女は小さな声で呟いた。
カイルは彼女の手を握り直し、優しい微笑みを浮かべた。
「エリナ、君は君自身だ。それが全ての真実だ。たとえ何が起きても、僕はそう信じている。」
その言葉に、エリナの胸に少しずつ安らぎが広がっていった。カイルの言葉は、彼女がずっと探し求めていた答えのように感じられた。
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その後、パーティーは何事もなく進行し、エリナとカイルは来客たちの祝福を受けた。けれど、エリナの心にはあの背中の記憶が静かに残っていた。
夜が更け、パーティーが終わった後、エリナはカイルと庭園に出た。夜風が心地よく、月明かりが二人を包んでいた。
「エリナ、まだ気にしているのか?」
カイルが静かに問いかけた。
「ええ……あの背中が何だったのか、どうしても考えてしまうの。」
エリナは月を見上げながら答えた。
カイルは少し考え込み、彼女の肩に手を置いた。
「たとえそれが何であれ、君がそれに振り回される必要はない。君が選んだ道を進むことが大切なんだ。それが君を君たらしめるんだよ。」
その言葉に、エリナは目を閉じ、深呼吸をした。そして、目を開けた時には微笑みを浮かべていた。
「ありがとう、カイル様。私、もう過去に囚われないわ。」
カイルは彼女の言葉に頷き、彼女の手を取った。
「一緒に未来を歩んでいこう。」
エリナはその手を強く握り返し、心の中で新たな決意を固めた。影に怯える自分はもういない。これからは、彼と共に前を向いて進むのだと。
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だが、エリナの胸の奥底には、あの背中の記憶が静かに残っていた。それが「影」の残滓なのか、それとも別の何かであるのか――その答えは、まだ誰にも分からない。
こうしてエリナは、カイルと共に新たな人生の第一歩を踏み出した。その道がどんなものであれ、彼女はもう恐れず進むことを選んだのだった。