鏡に映る自分の姿を見つめながら、レアリナ・ルヴェルティエは息を飲んだ。今日が彼女にとって人生の転機となる日であることを、嫌というほど理解していた。純白のドレスを身にまとい、完璧にセットされた髪型に王家の宝石が輝いている。外見だけを見れば、誰もが羨む華やかな花嫁だ。しかし、胸の内では嵐が吹き荒れていた。
「これでよかったのかしら……」
小さく呟いた声は、化粧台の前に立つ侍女には届かない。彼女たちはその手を止めることなく、レアリナの髪や装飾を最後の仕上げに取り掛かっている。すべては完璧でなければならないのだ。ルヴェルティエ家の名誉のために。
レアリナの父、ダリオ公爵は一流の貴族であり、その名声は王国中に知れ渡っている。しかしその裏では、家計の悪化や政治的な立場の弱体化に苦しんでいた。そんな中、伯爵家の嫡男であるカイゼル・アルトリウスから縁談が舞い込んだ。カイゼルの家系は財政的に恵まれており、彼との結婚はレアリナの家にとって大きな助けとなる。
「レアリナ、この結婚は家の未来を救うためだ。お前なら分かるだろう?」
数日前、父のその言葉を聞いたとき、彼女は答えを出すまでの時間すら許されなかった。ただ、深々と頭を下げる母の姿と、冷たい表情で命じる父の顔が目に焼き付いている。
レアリナには、自分の意見や感情を挟む余地などなかった。幼い頃から、家名のために生きることが自分の使命だと教え込まれてきたのだ。ルヴェルティエ家の娘として、名誉を守るためにどんな犠牲を払うことも当然だと信じていた。だが、心の奥底で小さな声が囁く。「本当にこれでいいのか」と。
扉が軽くノックされ、侍女の一人が言った。
「お嬢様、そろそろお時間です。」
レアリナは静かに頷き、ドレスの裾を持ち上げながら立ち上がる。歩くたびに裾が柔らかく揺れ、宝石が微かに音を立てる。まるで自分が機械仕掛けの人形になったかのような感覚に襲われた。
広間に入ると、豪華な装飾が目に飛び込んできた。多くの貴族たちが集まり、彼女の登場を待ち望んでいるかのように注目している。輝くシャンデリア、きらびやかな衣装を纏った人々、そして花嫁を称えるために用意された美しいアーチ。だが、レアリナの目はただ一人の男性を探していた。
――カイゼル。
祭壇の前に立つ彼は、整った顔立ちで堂々とした佇まいだった。黒髪と鋭い青い瞳が彼の冷徹さを物語っているように見えた。その目に一瞬だけ視線を合わせたが、すぐに逸らされる。冷たい空気が二人の間に漂う。
誓いの儀式が始まると、レアリナの緊張は頂点に達した。神父の言葉をただ淡々と聞きながら、自分が何をしているのか理解しようと努めた。しかし、カイゼルの手に触れた瞬間、冷たさに息を飲む。それは彼の手だけではなく、その存在全体から放たれる冷ややかさの象徴だった。
「誓います。」
カイゼルが短く言ったその声には、感情が一切含まれていなかった。続くレアリナの番になり、彼女は一瞬だけ躊躇した。しかし、視線を感じ、振り向くと父の厳しい目が彼女を見つめている。まるで「迷うな」と命じるようなその眼差しに、レアリナは観念した。
「誓います。」
その言葉が、彼女の人生を変える合図となった。
式が終わり、客たちの拍手が響く中で、レアリナは冷たい現実に囚われていることを痛感した。彼女の自由は失われ、名誉のために生きるという鎖がさらに重く締め付けられていくようだった。
夜になり、新居へと移動したが、カイゼルは部屋を別にすると告げただけで、早々に去っていった。レアリナは一人、広すぎる寝室でベッドに腰を下ろし、自分の運命を呪いたくなる衝動を必死に抑えた。
「これが私の新しい人生……。」
そう呟きながら、レアリナは涙を拭い、必死に眠ろうと目を閉じた。しかし、冷たい夜の空気が彼女の心をさらに締め付けるのだった。