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第22話 四者四様

 一年と少し前。集落の近くの森で遊んでいたソニアは、いきなり後ろから目隠しをされ、口も塞がれ袋に詰められた。

 拉致だ。そしてそうと気付く頃にはどこかへと運ばれ始めていた。拉致行為は極めて電撃的に行われ、抵抗をしようと思った時には既に手遅れだった。袋の中でもがいても、外側から強い力で押さえつけられる。

 そうして呆気なく、ソニアの十二年と数か月続いた日常は木端微塵に砕かれた。


 運搬には馬車や道具は使われず、終始何者かに担がれたままだった。袋の麻の生地からは、表面から日光がわずかに透けている。その明るさがふっと消失し、同時に土の上を走っていた足音が硬い、おそらくは石を踏む音へと変わった時、ソニアは屋内に入ったのだと理解した。

 集落からはさほど離れていないように思われたが、動転していたせいで時間の感覚には自信がない。ともかくそれからすぐ、音の反射からして狭い部屋へと通されると、目と口を塞がれた状態のまま冷たいベッドに寝かされ、今度は手足まで縄かなにかで固定された。

 そして腹を開けられた。


「……腹を、開ける? そう言いましたか、今?」


 淡々と自身の身に起きた惨劇——その始まり——を語るソニアに、ミロウは耳を疑う様子で訊き返した。それに対し、ソニアは痛みを反芻はんすうするかのように苦しげに頷く。


「はい。服をまくられて、刃物——メスかなにかで、お腹を切られて。あまりの痛みに叫んで、暴れて……そこでわたしの意識は途切れます」


 昨夜イドラが聞いた、『お腹を破って』というのとも一致する。

 察するに、皮膚やその下を軽く切るだとかそういう程度ではない。夥しい流血を伴う、切開だ。臓腑を剥き出しにする開腹だ。

 気を失うには余りある痛みだろう。そのまま命を落としてもおかしくない。だがそうはならず、それどころか——


「起きた時には、牢屋の中にいました。お腹には包帯が巻かれてて、血もにじんでなくて。傷の表面は塞がってたみたいでした」

「えー? お腹を開けられたんだよね? 気絶はわかるけど、それで起きた時には傷が塞がってるって、一体何か月寝てればそうなるの?」

「いえ、わたしが寝てたのはたぶん二日とか三日とか、その程度だと思います」

「えぇー?? あ、ギフトで治ったとか? ベルちゃんのコレも治癒系なんだけど、同じ感じかな?」


 ぴんっ、とベルチャーナが自身のふくよかな胸の元に垂れる銀色のリングを指先ではじく。チェーンでつながれた指輪。清貧を是とするロトコル教会の人間にしては珍しいと思っていたがギフトだったのか、とイドラは密かに得心した。


「いえ、おそらくそうではなく……回復力、自然治癒力が増した。違いますか、ソニア?」

「ぉ、おっしゃる通りです。病気がちだった体が軽くなって、ご飯も食べてないのに体調はすごくよくなってて、怪我なんかもすぐ治るみたいです」

「それはすごいねー、ベルちゃんのギフトの存在意義が危うくなっちゃうよ」

「ちょっと待ってくれソニア。情報が多くて、えっと、話が戻るが起きた時には牢にいたんだよな? そこってあの洞窟か?」

「あ、そうじゃないです……なんかわたし、そう考えると牢屋入ってばっかりですね」


 先の集落のあそことは別らしい。悪いことなどしてないだろうに、不憫な少女だ。


「それで牢屋の中で、何日か——二週間か三週間は過ごしたと思います。その間、わたしを攫ったと思しい男の人が来て、食事なんかは世話してくれました。あっ、この時にはもう目隠しも外されてて、手錠とかもなかったんですけど……自分の髪の毛がちょっとずつ白くなってることに気付いて」

「それ、って——男の顔を見ましたかっ? 男だと判断できたのなら、顔を見たということ——」

「ひぅっ、み、見てないですっ。顔は袋で隠されてて、体格もわかりづらい服で……でも声は聞きました」


 どこか気になる点でもあったのか、ミロウは食い気味に訊いた。しかしソニアの返答を聞くと、「そうですか……」と言って残念なようなそうでないような、付き合いの浅いイドラには読めない無表情で軽くうつむき始めた。

 その隣で、ベルチャーナは小さく笑う。


「ぷぷ、顔に袋って。想像したらシュールだねー、ソニアちゃんを攫った時のやつをそのまま使ったのかもしれないけど、それ前見えてたの?」

「そ、そうなんです。わたしもずっとそれが気になってて……!」

「気にするとこそこなのか……。ていうか声を聞いたって、話したのか?」

「はい、何日か経って……わたしの髪のおそらくはほとんどと、肌が白くなった頃です。牢屋越しに色んな質問をされました」

「質問。例えば?」

「ふつうの質問です。好きな色は、嫌いな食べ物は、初めてギフトを手にした時どう思ったか……そんな当たり障りのない、ただの。でも、その声色がぞっとするくらい冷たくて、わたしは毎日怯えてました」


 イドラにも、その質問には意味がないように思えた。少なくとも内容は、知ったところでなんの役にも立たないだろうし、本当かどうかもわからない。

 だとすれば目的は、問いを投げかけることそれ自体ではないだろうか?


「そんな風に過ごして、夜になると起こるあの発作が始まって、日の半分くらいしかまともな意識を保てなくなった頃……地震が起きたんです」

「地震——ああ、一年前っていうと、あった気がするな。あの時は確か、大陸の北側にいたからあまり気にも留めてなかったけど、後から聞くと結構大きかったんだっけ。この前もあったよな?」

「……近頃、少々多いですものね」

「そーだねえ。やだやだ」


 エクソシストたちが頷く。なぜだかイドラには、二人があまり地震の話題には触れてほしくないように見えた。

 そんな風にはソニアはまるで思わなかったようで、疑問を抱いた様子もなく続きを語り始める。


「そうなんです。それで、これは出た後に気付いたんですが、わたしのいた牢屋は山壁の中の広い洞窟の中にあって、地震でそれが崩れ始めたんです」

「また似たような造りだな……って、閉じ込められてたところが崩れたのか? 大丈夫なのか、それ」

「むしろ崩落に助けられたんです、あそこは鉄格子があるだけで、わたし自身は拘束されてませんでしたから。崩落の影響で壁や天井が崩れると、固定されてた鉄格子自体が外れて——」

「なんとか抜け出せた、ってことですね。なんとも……壮絶な話ですが」

「はい。昼間は、わたしを閉じ込めてた男の人はいないみたいでしたので、そのまま朦朧とする意識で集落に戻りました。でも、その……今度はわたしの様子を見たみんなに、不死憑きって呼ばれて岩屋に閉じ込められちゃったんですけど。あははっ、は……わ、笑ってくださいよぉ」

「……笑えませんわよ、流石に」

「うん。ベルちゃん興味なかったから集落の人たちと話してなかったけど、あの人たちそんなことしてたんだ。アトラクタでも投げつけとけばよかった」

「それはいけませんよベルチャーナ。……せめて傷を治す作用のある、害のない聖水にしておきなさい」

「わっ、聖水ぶん投げ自体はオッケーとか、ミロウちゃん珍しく怒ってるね」


 やっとの思いで集落に戻ったのにあの仕打ちだ。ミロウとベルチャーナが話すのを聞いて、既に集落を離れているのに、改めてイドラも憤懣ふんまんやるかたない思いが蘇ってくる。

 漁村の村長に聞いた、一年前にイモータルが現れたという噂は、ソニアが自力で集落に戻った際のものに違いない。それから一年、あの岩屋で牢に閉じ込められていた。今度は手足さえ鎖につながれて。

 その苦悩は、想像さえできない。


「ありがとうございます、わたしのために怒ってくれて。でも、もういいんです。イドラさんがこうして助け出してくれましたから」

「ん、なるほど。そういうことだったのですね」

「そっか、イドラちゃんが助けてあげたんだー。いいことするね。ベルちゃんが褒めちゃう!」

「……いきなり頭を撫でないでくれ。たぶん歳、そう変わんないだろ」

「ふっふ~、男なんてこの魔性にして妖艶なる女ベルちゃんからすればみぃんな子どもみたいなものさね」

「本当になに?」


 口調の安定しない女だった。なでなでというよりぐちゃぐちゃといった具合に頭頂部の毛髪をかき乱す手を払うと、ソニアと目が合う。ベルチャーナにからかわれている様が面白かったのか、くすりと笑っている。

 これまでの境遇や、昨晩の狂騒を思えば、こうして笑顔でいられるのは奇跡のようなことではないかと、イドラはなんとなく感じた。大切にすべき、守るべき偶然だ。そのためならば、頭など禿げ上がるくらいに撫でられたっていい。故郷の村長みたいに。


「うぅーん、でも結局、ソニアちゃんの体をヘンにしたやつの正体はわからないよね? ベルちゃんも許せない、そいつ。見つけ次第ボコだよ、ボコ!」

「そうなんだよな……一体何者なんだ? せめて顔でもわかればいいんだが」

「あ、そ、そうですよね。わたし自分のことばっかり考えてました……わたしみたいに不死憑きにされる子がほかにもいるかもしれないんですよね」


 あるいは、既にいてもおかしくない。

 全員がその想像を頭に浮かべ、苦い顔をする。

 だが浮かべる危惧としてはイドラとソニアの方が深刻だ。ソニアは、イドラのマイナスナイフがイモータル化の発作を抑えたことをエクソシスト二人に話していない。

 だから、この謎の男による人体改造の症状を止められるのがイドラしかいないこと、そしてそれをしなければおそらくは死に至ることを知らないはずだった。


「でもそこは、おいおいでもいいだろう。ソニアは今は自分のことだけ考えるくらいでいい。そのくらい許されるはずだ」

「そうでしょうか……ってそうだ、話題が逸れちゃいました! わたしが言いたいのは、そう、イドラさんはわたしを助けてくれたんです! わたし、荷物持ちでもないですし、イドラさんに無理やりこき使われたりもしてませんっ」

「あー。そういえば、そーいう話だったねーこれ」

「ええ、すっかり忘れてました」

「忘れないでくれ。いや、誤解の方は忘れてくれ。聞いた通り明確に間違いだ」

「そのようですね」

「ぬけぬけとこいつ……」


 悪びれもせず澄ました顔のミロウに食って掛かりかけたものの、なんとかイドラは自制した。さっき喧嘩になりかけたのをせっかくソニアが止めてくれたのに、舌の根の乾かぬ内に同じ轍を踏むわけにはいかない。


「誤解と言えばさー? 昨日、なんでイドラちゃんたちってば逃げてっちゃったの? おかげで丸一日なんにもできなかったんだから」

「一日で済んだだけマシ、ではありますが。そういえばあれについて詳しく聞いていませんでしたね。そう、誤解とだけ言っていましたが」

「え? あ……まあ、なんだ。今さら掘り返すこともない、本当に僕の早とちりなんだけど」

「そんな言い方されると余計に気になるよぉ。ベルちゃんは中にいたから見てないけど、あのあとミロウちゃんちょっぴり落ち込んでたんだよ? お仕事進まなくなっちゃったーって」

「悪かったよそりゃあ。ただちょっと、昔ってほど前でもないけど、協会の人とトラブルがあったんだ。それでいいイメージがなかった。だから反射的に逃げてしまっただけだ」


 トラブルと呼ぶには、いささか重すぎる記憶だ。とはいえあの三年前の顛末を端から端まで語り聞かせる気にもならない。きつい話の連続になってしまうし、聞かされる方も疲れてしまうだろう。


「いいイメージがなかった……。もしかして、ベルちゃんたちがソニアちゃんを狙ってるとでも思ったの?」

「言いにくいけど、そうだ。悪かったよ、完全に誤解だ」

「失礼な……と言いたいところですが、他大陸の教会ならともかく、葬送協会のエクソシストは信仰や人間性よりも戦闘の腕を重視するのが暗黙の了解。主義や性格は人それぞれですから、面倒ごとになることがないとも言い切れません。もちろんわたくしがいる前では、そんなことは起こさせませんが」

「かも、ねー。ヒトのイモータルなんてベルちゃんは認めないけど、色味が似てるってだけで難癖付けてくる輩はいるかも。協会のエクソシストなんてのはある意味、ただの体のいい傭兵だからねえ」


 そう、傭兵。

 イドラも直接会うのは初めてだが、旅をする中で噂を聞くことは多々ある。既にエクソシストが葬送したイモータルに止めを刺す時なんかは、人がいれば自然とそのエクソシストの話も耳に入る。

 戦力的な適正さえあれば、誰しもがその門を叩くことができる、聖職とは名ばかりの戦闘員——

 そんな戦闘部隊を擁する協会が、わざわざその外側にいる言わば一匹狼のイドラ個人に依頼というのは、どうにもしっくりこないものがある。


「やっぱりそうですよね……髪もこんなに真っ白で、肌も、まるで血が通ってないみたいで。奇妙に映って当然です」

「ないよ、そんなこと。人とイモータルは違う。そうでしょ、ミロウちゃん?」

「ベルチャーナ……ええ、もちろんです。どんな理由があれ、小さな子は守られねばなりません。人は、社会はそうあるべきです」


 一瞬、そこから先を言うべきかどうか迷ったように間が空き、ミロウは結局口にした。


「ちょうど、ソニアと年が近いくらいの弟がいます。わたくしはあの子を守るためならなんでもする。……なんだって、してみせます」


 その横顔からイドラは、どこか切迫した決意を感じ取る。しかしその正体まではわからない。

 ふと小窓の外を見ると、流れる風景の様子は変わりつつあった。道は平坦になり、点々と木は立ち並ぶものの、地形的には見晴らしもいい。山から離れたのだ。

 イドラの視線に釣られたのか、ミロウも窓の外を見る。それからやおら立ち上がり、御者席の方へと戻っていった。あまり長く席を立つと馬がひとりでに道を逸れてしまうのだそうだ。

 外は昼を過ぎ、あと少しで夕方といった具合だった。


「そろそろ着くねー、準備は大丈夫?」

「もちろん。……尻がちょっと痛いくらいだ」

「あはは、そこは慣れてもらうしかないね」


 随分と長旅を経た気がする。とはいえこの三年、朝から夜まで歩きっぱなしだったことも珍しくないのにどうしてそう思ったのかとイドラは考え、そして、その道程のほぼすべてをひとりきりで過ごしてきたからだと思い至った。

 誰かといる時間は、過ぎ去るのが早いのに、情報が多くて脳が疲れる。

 そんなことも忘れていたのかと、イドラは自嘲的に口元を緩めた。


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