ライトニング邸、執務室。ここでは今日も、ジークリンデが父アレックスに代わって領主としての職務に励んでいた。
「お嬢様、次はこちらの書類を」
「ああ、ありがとう。すっかり仕事を覚えてくれて助かるよ、
「元々、傭兵団では団長の補佐をしておりましたので。書類仕事などもある程度なら対応可能です。それに、メイド長というのは中々やり甲斐のある仕事ですし。雇って頂いた以上、全力でこなさなければ」
ジークリンデの傍らで、拳を握ってやる気をみせているのはロスヴァイセである。彼女を雇うか試す為の戦いから早三週間。ロスヴァイセはライトニング家で使用人として働くことになった。もちろん、彼女の同僚達も傷が癒え次第まとめて雇うつもりである。
狂戦士のスキルにより暴走してしまったロスヴァイセだったが、彼女が見せた力はジークリンデにその腕前を認めさせるに足るものであった。いくら無明にはほとんど手も足も出なかったとはいえ、そもそも相手があの無明ではどうしようもなさすぎる。むしろ、あそこまで善戦出来た事が大したものだ。無明という男はそれだけ規格外で、常識はずれな怪物だと、ジークリンデ達に認識されているのだった。
「今日の分の仕事が片付いたら、また後で稽古に付き合ってくれ。君と剣を交えるのは、とても実になるからな」
「ええ、いくらでもお相手致しましょう。私としても、お嬢様との稽古は強くなれる実感があります」
そう言って、ロスヴァイセは僅かに口角を上げた。この二人、性格的にも相性がよかったのか、たった三週間ですっかり打ち解けて今では親友のような関係になっている。互いに戦闘系のスキルを持ち、常人よりも優れた能力を誇る二人だからこそ通じるものがあるのかもしれない。無明のように桁が違う存在ではダメなのだ。二人に必要だったのは切磋琢磨し合える人間だったということだろう。
「いつか、あの無明様にも負けない力を手にしてみせます……!」
「あー、それはどうだろう……うん。まぁがんばってくれ」
剣神も狂戦士のスキルも、戦いの中で飛躍的に成長するという特性を持ったスキルだ。言うなれば、二人は戦えば戦うほど強くなると言ってもいい。そういう意味では、ロスヴァイセの目標は間違っていないように聞こえるが、それでも無明に勝てるようになるのはいつの日かと、ジークリンデは少し遠い目をして思った。
「失礼します。お姉様、入ってもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わないよ。どうぞ」
そんな時、執務室のドアをノックしたのはエスメラルダだった。いつものように見事な所作で室内に入ると、軽い足取りで傍まで歩いて来る。十二歳とは思えない雰囲気と身のこなしを見ていると、無明が彼女を大人だと勘違いしていたのがよく解るようだ。幼い頃から彼女を見ているジークリンデにとっては、まだまだかわいい盛りの愛らしい妹なのだが。
「エスメラルダ、お父様の具合はどうだい?」
「はい、だいぶ良いようです。あの調子なら、もうすぐ執務にも復帰できると思いますわ」
「そうか、ようやくだな。……まったく、復帰に一ヵ月以上もかかるなんて、お父様は頑丈が取り柄だったはずなんだがな。まだ歳を理由にするには早すぎるし」
「うふふ、お父様自身も、まだ引退するには早すぎると言っていましたよ。でも、今日は何だか妙な事を言ってらっしゃいましたけど」
「妙なこと?」
「ええ、懐かしくて怖い気配がするとかなんとか……」
「はぁ?……まだ復帰させるのは速いのかも知れないな」
アレックスの言っていることの意味が解らず、ジークリンデは父がまだ不調なのではないかと疑っているようだ。今の時点で執務は上手く回っているのだし、無理をさせる必要はないという事もあるのだが。
「旦那様とは一度お会いしただけですが、変わった感覚をお持ちなのですね」
「いや、別にそんな事もない……と思うんだが」
ロスヴァイセを雇うと決めた時、念の為に一度アレックスとロスヴァイセの顔合わせをさせたのだが、その時はまだ今ほどアレックスが回復していなかったのでろくに会話もできなかった。なので、ロスヴァイセの中ではアレックスがどういう人物なのかがまだ定まっていないらしい。身近に変人代表の無明のような例がいるので、あまり父親が変わっていると思われるのもどうかと言いたい所だが、世の中には身贔屓という言葉もあるし、実際アレックスが意味の解らない事を言っているのだから否定しづらい所であった。
「変わってると言えば、無明はどうしたんだ?朝食を食べてすぐに姿が見えなくなったが」
「それで思い出すのも無明さんに失礼だと思うんですけど……たぶん、ロイド叔父様の所ですよ。いい依頼がないか、見に行くと仰っていましたから」
「そうか、今日もか。彼は冒険者としては勤勉過ぎるな」
「ふふ、そうですね」
冒険者というものは、そもそも自由が売りの職業である。大概の依頼はハードで、身体が資本である冒険者達は休息も仕事の内と言われる為、よほど金に困っている生活をしているのでなければ連日仕事をする冒険者など滅多にいない。無明のように、暇さえあれば依頼を引き受けて仕事をこなす人間は稀なのだ。しかも、無明は他の人間があまりやりたがらない仕事ばかりを引き受けてこなすので、ギルドとしてはとても助かっているらしい。各領地毎で比較されるギルドの依頼消化率が、今期はこのライトニング領がトップになりそうだとロイドが喜んでいた。
「まぁ、最近では無明が宿代として入れてくれる金額もバカにならないから、うちも助かるんだが……ん?これは、
喋りながら手を動かしていたジークリンデが何かに気付き、手を止めた。何かあったのかとエスメラルダとロスヴァイセが顔を見合わせている。
「その書類がどうかなさったのですか?」
「いや、ちょっとな。見てみるか?」
「ありがとうございます、ええと……ロレッタ村付近で、謎の影と物音?」
「ああ、ロヴァは知らないだろうが、ロレッタ村はうちの領地の北部に位置する小さな農村でね。少し前から何度も、怪しい物音を聞いたとか、妙な影を見たという報告が相次いでいるんだ。それを何とかして欲しいと、こうして嘆願が来ているんだが……」
「何か問題が?」
「問題というか……実はこの嘆願が来てから、私は何度も騎士や衛兵を送り込んでいるんだよ。しかし、その度に問題なし、異常なしと結論が出て終わっている。とはいえ、個人ではなく村全体からの要望なので、嘘やいたずらとも考えにくい。はっきり言って手詰まりなんだ。どうしたものかと思ってね」
ジークリンデは顔をしかめ、溜め息を吐いている。ジークリンデはこれで真面目な所があるので、困っている民の問題を解決してやれないことが心苦しくもあるのだろう。領主に仕える軍隊である騎士や衛兵達を動かしているのも、本気で対応をしている事の証明だ。それでも解決に至らないというのであれば、手詰まりと嘆く気持ちもよく解るというものだ。
「お姉様、こういう時こそ無明さんの出番なのでは?」
「無明の?いや、しかし……」
エスメラルダの申し出に、ジークリンデは更に渋い顔になってしまった。無明の実力は痛いほどよく解っているが、正直な所、彼に任せるとどんな無茶をしでかすか解らないのが厄介だった。確かにエスメラルダの言う通り、無明ならば解決してくれるだろうとは思えるのだが、もしもこれで無明が解決してしまったとなると騎士達の面目も丸潰れなのである。彼らを率いる領主代行という立場からすると、それを蔑ろに出来ないというのも本音なのだ。
「お嬢様が無明様と一緒に出向けばよいのではありませんか?お嬢さんが無明様の手綱を握って解決したとなれば、騎士達の面目も立つでしょう」
「ああ!いいアイディアですね!それがいいです!」
「おいおい、待ってくれ。私にはそんな時間と余裕はないぞ?!ロレッタ村までは馬車でも数日かかるんだ。それでは仕事が……」
「お父様がいるじゃないですか!書類仕事くらいなら出来ますよ、大丈夫です!」
「エスメラルダ、何をそんなにやる気に」
「決まりです!ロレッタ村の皆さんを救うために、無明さんとお姉様が活躍する……最高です!」
「いや、私の意見は……?」
こうなったエスメラルダを止められる者はいない。あれこれと準備の考えに胸を膨らませる横で、ジークリンデは観念して天を仰いでいる。こうして、半ば強引な形でジークリンデはロレッタ村へ向かう事となったのだった。