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第38話 そんなバカな、と誰もが思った。

 呆気にとられるロイド達などお構いなしに、無明は背負った大きな籠から野菜を取り出してみせた。今日はいつもの覆面姿なので表情はほとんど窺い知ることが出来ないものの、その目と声のトーンからすると、とても嬉しそうな様子が伝わってくる。


「いやぁ、今日の依頼をしてくれた百姓のモゾデ殿が、報酬とは別にいい野菜をたくさんくれたんでござるよ。ほれ、見てくれこの丸々と立派に実ったビナスを、コイツなんぞ焼いたらさぞ絶品でござろうて。そうそう、ようやく味噌が出来上がったので味噌汁にしても……」


「お、おい、無明……っ!?」


 ロイドが無明に声をかけようとした時、それまでじっと無明を見つめていたロスヴァイセが突然動き出した。先程、ジークリンデに対してみせたものとは比べ物にならないほどの圧を放ち、その顔は狂喜に歪みきっている。彼女の狙いは間違いなく、無明だ。


「ハァァァァッ!」


「ロスヴァイセ?!やめろ、とまれっ!」


「む?……おっと!」


 折れた剣を片手にあっという間に距離を詰め、ロスヴァイセが無明に飛び掛かる。そして、嵐のような激しさで無明に斬りかかった。対する無明は、持っていたビナスを真上に放り投げ、背中の籠を庇いながらも危なげない仕草でそれらを躱し、落ちてきたビナスをキャッチした。攻撃に失敗したロスヴァイセは間合いを取ろうと数歩下がったが、その獰猛な殺気は衰えていない。


「危ない御仁でござるなぁ。お客人、そんなに野菜が嫌いでござるか?好き嫌いは感心せんでござるよ。ま、人によって得手不得手があるのも仕方ないことでござるが」


「さすが無明さん!」


「こら!ロスヴァイセ、いい加減にしろ!彼は怪しい恰好をしているが敵じゃない!ちょっとアレな見た目と雰囲気なだけでれっきとした我が家の食客だ!」


「相変わらずジークリンデ殿は拙者に厳しいでござる。というか、アレな見た目ってどういう……?」


「ハァッ……ハァッ……!」


「ロスヴァイセ…?どうしたんだ?彼は敵じゃない、落ち着いてくれ。そ、そんなに無明の見た目が悪かったのか!?」


「違う、狂戦士のスキルは、強敵を相手に自らの力を揮う事を好むと言っていた。つまり、無明が只者ではないと気付いたんだ。しかし、この一瞬で、戦う姿を見た訳でもないのに看破するとは……これが狂戦士のスキルが持つ眼力という訳か。なんてスキルだ…!」


「なんてことだ……!?無明が怪しい風体の不審者だと思って攻撃したのではなく、彼のバケモノ染みた力が仇になったというのか!?」


「……拙者、貶されておるのか褒められているのか。どっちでござる?」


「さぁ……?」


 ロイドの予想はずばり当たっていた。付け加えるなら、ちょうどロスヴァイセがジークリンデとの戦いで狂戦士のスキルを解放した直後だった事も災いしたと言えるだろう。本来なら自分の意思で制御できるはずの理性が失われてしまったのは、それだけ無明の実力が底知れぬものだったという証拠でもある。これは、ロスヴァイセにとっても誤算だったのだ。


「くっ!無明、下がれ!彼女は君を狙っている!」


「ふむ、そのようでござるな。その顔、思いっきり暴れたくて仕方がないという子供のようだ。よかろう、ジークリンデ殿、手出し無用。この者は拙者が少し揉んでやるゆえ」


「なっ!?」


「エスメラルダ殿、これを持っていて下され。終わったら、皆で旨い飯にするでござるからな」


「え?ええ?!……きゃあっ!?」


 無明は野菜の入った籠を下ろすと、エスメラルダへぽいと放り投げた。籠の大きさはエスメラルダの半分くらいまであり、それに野菜が詰まっていてかなりの重量だ。無明の投げ方のお陰なのか、受け止めた衝撃自体は大したこともなかったが、それでもエスメラルダは受け止めきれずその場で尻餅をついてしまった。それを合図に、再びロスヴァイセが牙を剝く。


「カァァァァッ!」


「ほう、中々!」


 もはや短刀ほどの長さしかない折れた木剣だが、それでもロスヴァイセはそれを巧みに操り無明に乱打を放つ。狂戦士のスキルによって大幅に身体能力が強化されているとはいえ、正気を失くしてなお、これだけの体捌きをみせられるのは彼女自身が持つ実力の高さ故だろう。無明は感心しつつも余裕を持ってそれらの攻撃を全て躱し、隙を突いて、ロスヴァイセの腕を掴んだ。


「えっ!?」


「っ!?!?グハッ!?」


「ふふ、十兵衛様より伝えられし柳生新陰流、その極意は無刀取りにあるのでな。やわらもこの通りお手の物でござるよ。しかし、やはりぁ」


 ジークリンデやロイドには、無明がロスヴァイセの腕をただ掴んだだけに見えたのだが、実際は違った。無明はロスヴァイセの力を合気道のように利用して投げ飛ばしたのだ。無明の生きた江戸時代中頃にはまだ合気道や合気術は存在しておらず、これはあくまで柔術の変形である。


「グ、ググ……!」


「おや?あまり手加減はしなかったのでござるが、まだやれるでござるか?うむうむ、その根性は天晴れでござる。しかし、力の差というものはしっかり見極めねばならぬぞ?」


 無明は言葉と共に強烈な殺気をロスヴァイセに叩きつけた。もしも彼女が正気であったなら、それで確実に戦意を失っていただろうが、今のロスヴァイセは狂戦士というだけあって、恐れや怯えなどは一切感じない状態だ。無明の強烈な圧を受けても、それで止まるはずもない。投げ飛ばされてかなりのダメージを負いながらも立ち上がろうとするロスヴァイセに、無明は小さく溜め息を吐いてトドメを刺す事に決めた。


「クッ……!アアアァァァァッ!!」


「仕方ない、手荒い事になるが殺しはせぬ。が、しばらくは起きれぬぞ、覚悟せい!」


 立ち上がって咆哮するロスヴァイセに、今度は無明が向かっていく。ロスヴァイセはそんな無明に向けて、手にしていた折れた木剣を投げつけた。高速で近づいてくる無明への攻撃としてはかなり有効な手段だが、無明はそれを読んでいたのか身体を逸らしてそれを避け、あっという間にロスヴァイセの懐へ飛び込んでいた。


「投げた!?だが、あれを避けられては反撃の手段が……」


「待て、まだ何か…あれは!?」


 ロスヴァイセの前に立った無明の喉元に、木剣の剣先が食い込もうとしていた。投げ飛ばされた時、ちょうどその近くに折られた剣先が落ちていたのだ。ロスヴァイセはそれを見えないように拾い隠し持っていて、トドメを刺しに来た無明へのカウンターとして使ったのである。もはやそのタイミングでは回避する事など出来るはずもなく、誰もが無明がやられたと思った……のだが。


「グァッ!?……ガハッ!」


「え?ロスヴァイセが、吹き飛ばされた?!何故……いや、どうやって!?」


「……ふむ。今のは少しヒヤっとしたでござる。いやはや、お見事でござった」


 一体何が起こったのかを一言で説明するならば、常識を超える速さで無明が動き、回避しただけだ。先程、無明が若い身体はいいと言ったのは、ロスヴァイセへのセクハラだったのではない。あれは、無明自身の身体が若返った事に対するものだった。転生する前の無明は既に齢七十を超える老体であった為、転生によって得た新たな若い肉体を良いと言ったのである。更に冥遁の術による影響で完全な記憶を取り戻した無明は、己が持つ全盛期の力を完全に取り戻していた。


 霧隠無明という男の全盛期における最高速度は、光と同等だったという。無明が最強の忍びと恐れられたのは、そのとてつもない素早さによるものだったのだ。光速で動く無明にとって、ロスヴァイセのカウンターをギリギリで回避することなど造作もないという訳だ。


 そうして、鳩尾に掌底を叩き込まれたロスヴァイセは庭の端まで吹き飛ばされ、完全に意識を失った。彼女が意識を取り戻したのは、この二日後のことであった。

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