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第37話 激突する二人

 ライトニング家の屋敷には、そこそこ大きな中庭がある。中庭と言っても、庭師が特別に手入れしたような花実溢れる庭園ではない。大体テニスコート一面分くらいの、何もない芝生の庭だ。これは、主に鍛錬をする為の目的で手入れをされた庭なのだ。


 そしてその中央に、ジークリンデとロスヴァイセが対峙していた。用意されたのはお互いに木剣が一振りずつで、急所を守るなめし革のプロテクターが縫い付けられた稽古着を着用している。装備は全くの互角、純粋に腕前だけの勝負だ。


「えー、それでは、ロスヴァイセ・レギンレイヴとジークリンデ・ライトニングの試合を始める。これは、ロスヴァイセがライトニング家で働くだけの実力があるかどうか、試す為の試合だ。命を奪う為の実戦ではない事をくれぐれも忘れるな。スキルの使用は許可するが、手加減はすること。いいな?」


「はい、全て承知しました。宜しくお願い致します」


「ああ、こちらも問題ない。遠慮はいらないぞ、どこからでもかかってくるといい」


 ロイドの宣言を受け、二人は真正面から見据えて剣を構える。ロスヴァイセの得意武器は双剣らしいが、直剣の扱いも人並み以上だと語っていたので問題はないだろう。互いに右手に持った剣を腰の位置まで下ろしているが、ロスヴァイセは右足を一歩前に出している。どんな戦いが繰り広げられるのか、屋敷中の人間が固唾を飲んで見守っていた。


 (どちらも初手を警戒しているか?いや、ジークリンデは先手を取らせるつもりだな)


 審判役のロイドは冷静に勝負の行方を予測していた。最初に宣言した通り、これはどちらが強いかを決める為の戦いではなく、ロスヴァイセの実力を確かめる為の試合だ。よって、この戦いに懸けるその姿勢がまず一番の問題となる。もちろん各々に得意なバトルスタイルというものはあるだろうが、待ちに徹するようなやる気のない戦いをするようなら、ジークリンデは即座に試合を止め、彼女に不合格を言い渡すだろう。だが、そんな心配は杞憂であった。


「ふっ!」


 ロスヴァイセは強烈な踏み込みで、初手を仕掛けた。剣の位置は下げたまま、剣先が芝ギリギリを走っていく。そのまま右の逆袈裟に斬り上げられた剣をジークリンデが受けようと反応した瞬間、驚くべき事にロスヴァイセが僅かに腕を曲げて剣を引き、上段からの面打ちに軌道を変化させたのだ。


「なにっ!?」


「っ!」


 誰も予想していなかったその動きには、ロイドも驚愕の声を上げる他なかった。だが、斬り上げを受ける体勢に入っていたはずのジークリンデは一瞬にしてその軌道変更を読み切って素早く後方へ飛び退り、それを回避してみせた。これには仕掛けたロスヴァイセも驚きを隠せずに目を見開いている。しかし、ロスヴァイセも大したもので、驚きつつも我を忘れず、素早い残心で一歩引き下がってすぐに体勢を整えていた。


「驚きました。初見でこれを躱したのはあなたで二人目です。流石、領主代行ですね」


「いささか曲芸染みているが、こういう試合ならば有効な一撃だな。敵を倒すというより一本を取る為の技か。もっとも真剣でやられたら、まともに受ければ成す術もなく命を落とすだろうから、実戦でも通用するか」


 ジークリンデはニヤリと笑みを浮かべて、今の攻防を反芻していた。彼女は決して戦いを好む性質ではないのだが、剣神のスキルによるものか、強い相手と見るや興味と期待が湧いて来てしまうのだ。とはいえ、このやり取りだけでロスヴァイセを認めるつもりはない。技術と見た目にそぐわない腕力は認めるが、それだけでは剣神の眼鏡には適わないのだ。


「敢えて言っておく。私のスキルは『剣神』だ。これは常時私自身の力を大きく底上げしてくれるだけでなく、剣技に関する技術や理解も身につけさせてくれるものだ。もちろん、それだけに頼らず鍛錬は続けているがね」


「……それは厄介なスキルですね。つまり、小手先の技など通用しないということですか。しかし、何故それを伝えるのですか?」


「なに、公平公正を期すため、と、後でズルだと言われても困るからだ。これは私の意思でオンオフ出来るものじゃないのでね。予め言っておくべきだと思ったまでだよ。ついでに言うと、今の一撃を躱したのはスキルによるものじゃないぞ。ちゃんと見切って避けたんだ」


「ええ、それは解ります。もしもスキルで技の内容を看破したのなら、剣の軌道変更なぞさせる前に封じたでしょうから」


 ロスヴァイセはジークリンデのスキルが持つその力と意味を正確に読み取ったらしい。確かに、技を仕掛けられたと同時に看破したのなら、それを封じる行動に出るのは当然だろう。ましてや、ジークリンデは瞬時の対応をして攻撃を避けきるだけのスピードと反射神経を持っているのだ。ならば、それを封じるくらいも出来たはずである。

 ジークリンデのスキルを知ったロスヴァイセだが、それに対して焦ったり憤ったりする様子はない。強いて言うならば、ほんのわずかに、少しだけ嬉しそうに口角を上げた…ように見えるだけだ。長い付き合いでもないジークリンデ達には、その違いを見抜く事は難しいだろう。そして、ロスヴァイセもまた、恐るべき言葉を口にし始めた。


「ならば、私も応えましょう。私のスキル……それは『狂戦士』です。戦う事が好き、というよりは、強者と認めた相手に思う存分力を振るうのが好き……というべき、ケダモノのようなスキルですよ。ただ、自分の意思でコントロールできますので、ご心配なさらず。今は少しばかり昂揚しておりますが」


「なるほど。……私を認めてくれたのなら嬉しいが。生憎と、見定めているのは私の方だ」


「存じております。ですから、少しだけ本気を出させて頂きましょう」


「っ!?」


 その瞬間、ロスヴァイセを中心として、空気が固まったような重苦しさが庭に広がった。自分の意思でコントロールできると言い放った通り、その力を解放してみせたということだろう。狂戦士のスキルは、剣神と同様に所有者に多大な身体能力の向上をもたらすスキルだ。その上昇量が剣神よりも優れている反面、狂戦士の名が示す通り、力を解放すればするほど、通常の精神ではいられなくなるのがネックである。攻撃力という点では狂戦士に軍配が上がるが、総合力で言えば剣神の方が上だろう。


 だが、ジークリンデはそれに気圧されて引くほど弱い人間ではない。挑発されたならば、真っ向から受けて立つのが彼女である。そして、一足飛びにロスヴァイセの懐へ飛び込み、そこから猛烈な突きを放った。


「っ!」


「まだまだっ!」


 ロスヴァイセが初撃を躱した瞬間、ジークリンデは剣を引き、再び突きを放つ。二段目の突きだというのに、その速さは一発目よりも増しておりそこから回避するのは至難の業だ。ロスヴァイセは咄嗟に剣を盾にして二発目の突きを受けた。だが、それでもジークリンデは止まらない。


「!?」


「はあぁぁぁっ!」


 突きが剣に当たれば、当然、突きを放った方にも衝撃が来る。それを利用したジークリンデは、全く同じ一点目掛けて、三、四、五と立て続けに突きを叩き込んだのである。いくら反動を利用したとはいえ、その連撃はロスヴァイセの想像を上回るものであった。木剣は悲鳴のように軋み、受けた場所からヒビが入って完全に折れてしまう。そして、六発目の突きがロスヴァイセを捉えそうになった時だった。


 それまで無表情だったロスヴァイセの顔が歪み、不気味なほどに口の端が上がった怪しい笑みに代わる。相対していたジークリンデの背筋に冷たいものが走る時には、ロスヴァイセがごく僅かに体を捻って最後の突きを躱し、折れた木剣の先をジークリンデに向けて突き刺そうとしていた。


「くっ!?」


 まさかの反撃を受けたジークリンデだったが、彼女もまた瞬間的に身をよじってその一撃を躱した。ただし、二人共完全には回避しきれておらず、互いの一撃が身体をかすめて、鮮血が庭に飛び散っていた。ギリギリの攻防である。見守っていたエスメラルダも、ロイドさえも息を呑み言葉が出ないようだ。


「なんか外が騒がしいのだ。…………あれは、ジークリンデ?と、もう一人は知らない奴なのだ。うぅん、昼間っから喧嘩するなんておっかない奴らなのだ……あ、無明が帰ってきた!」


 一方、そんな二人の様子をこっそり無明の部屋の窓から覗いてリジェレが呟いた。彼女は日がな一日無明の部屋で眠っている事が多い。今日のように無明が仕事に行っている時は尚更だ。その為、屋敷の使用人達の間では、彼女の事を屋敷妖精(※1)と呼ぶものもいるらしい。そんな彼女だが、どういう訳か無明が出かけた後、戻ってくるのが解るという使い道の解らない能力を持っている。今日もその感覚は正しく、その呟きに後れず、呑気な声が庭に響いた。


「おお、皆こちらでござったか。ただいま帰ったでござる。いやぁ、良い野菜の土産を貰って……ん?客人でござるか?」


「お前……空気読まなさすぎだろ」


 籠一杯の野菜を持ち、嬉しそうに弾んだ声を出す無明の姿に、ロイドはツッコミを入れずにいられないのだった。


(※1 座敷童のようなもの)


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