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第63話 初めての錬成

「さぁて、では始めるとするか!」


 スズメ達がチュンチュンと騒ぐ早朝、無明は中庭の一角で気合いをいれていた。昨夜のしんみりとした思いなどどこにも感じられないのは、彼がそれだけ一流の忍びであるからだ。だが、いかに忍びと言えど、人間である以上過去や情に囚われる事はままある。かつて、徳川家康に仕えたという稀代の忍び服部半蔵は、その猛勇さと己の心を完璧なまでに殺して任務をこなす冷徹さを兼ね備えていた、そこでついた渾名が『鬼半蔵』だ。


 しかし、そんな半蔵にもこなせなかった任務があった。天正七年(一五七九年)、主君家康の息子・松平信康まつだいら のぶやす(※1)が、当時敵対していた武田家との内通を織田信長に疑われたのだ。しかも、信長は潔白を証明する為に信康を殺せと家康に命じてきた。

 これは優秀な侍だった信康の将来に、信長が嫉妬して亡き者にしようとした言いがかりであったと言われているが、事実がどうあれ信長と同盟を組んでいる徳川家が武田家と繋がっているとしたら、それは大変な事態である。その上、疑いをかけてきた相手はあの戦国の魔王と呼ばれた織田信長だ。もしも命令に従わなければ一族郎党全てを織田家への叛意ありとして抹殺し、遺恨を残さぬよう根絶やしにするだろう。信長ならば躊躇なく絶対にやる、そう思われた。


 窮地に至った家康は、三日三晩に渡って苦悩し、やがて苛烈な決断をする。信長の命令通り、信康に切腹を命じたのだ。ただし、その介錯かいしゃくを武勇の誉れ高き半蔵に託したのである。そんな半蔵の手にかかって死ねることは、侍として立派な最期と言えたからだ。

 半蔵はそれを了承し、実際に切腹に立ち会うまではしたものの、その場に至っては大粒の涙を流してついに首を刎ねることは出来なかったという。結局、その時は随行していた別の侍が介錯をしたのだが、その侍は後に「流石の鬼半蔵も主君の子を殺す事は出来なかった」と語った。まさに鬼の目にも涙である。


 このように、どれほどの忍びであっても人の心を消し切る事など出来はしない。無明もそれは同じなのだ。大事なのは、その心を如何にして切り替えるかである。それはともすると、二重人格などを疑われそうなものでもあるがそれに近いものと言っても過言ではないだろう。一流の忍びとは、そうした心の切り替えを出来るかどうかにかかっている。無明が決して覆面を外さないのも、任務の為に素顔を晒さぬ為であるのと同時に、己の本心を隠す為でもあるのだ。


「無明さんのスキル……どんなスキルなんでしょうね!?」


「さぁ、また奇想天外なスキルなんじゃないか?」


 その様子を見守っているエスメラルダとジークリンデは、対照的な表情をしている。エスメラルダはこれから何が起こるのかワクワクして嬉しそうなのだが、ジークリンデは何故かムスッとして面白くなさそうだ。


「お姉様、そんなにむくれていては無明さんが可哀想ですよ。サプライズしようとしてくれてるだけじゃないですか」


「それは解るが……あんなに秘密にしなくたっていいじゃないか」


「もう、そんな事言って……」


 ジークリンデが気に入らないのは、どうやら無明が自分に隠し事をしている……という事であるらしい。昨夜の食事の後、ジークリンデは無明にどんなスキルを得たのかと何度か聞いてみたのだが、無明は頑としてそれを答えようとしなかった。それが気に入らないのだ。

 無明にしてみれば悪気はなく、自分でも初めて試すスキルの感動を、二人とも共有したいと思っているからこその秘密なのだが、ジークリンデは敢えてそれを教えて欲しかった。皆と同じ扱いになる思い人との秘密の共有よりも、彼が自分だけにそれを教えてくれるという特別感が欲しかったのだ。だが、結果は先述の通りだ。また何とも言えない乙女の我儘である。


 (お姉様って、無明さんが絡むと意外に面倒臭い……ううん、かわいい所があるんだなぁ)


 それをかわいいと思えるエスメラルダも大概だが、どうもエスメラルダはジークリンデよりも精神的に大人であるようだ。そもそも、今の所ジークリンデと無明は恋人同士でも何でもないので、特別感を出す必要は全く無いのだが。


「よし、陣はこんなものでよいでござろう。後は、この中央に土塊を置いて……さて、何を作ろうか」


 中庭の端の方に、無明はやや小さな陣を描いてみせた。アイザックの手記に基礎として描かれていた錬成陣だ。手記によると、錬成スキルの発動には本来このようなものは必要ないのだが、スキルに慣れない内は補助として、こうした錬成陣を描いておくことが重要だと記されていた。曰く、錬成スキルは錬成の為に必ず錬成元となる物品が必要となる。それが何であるかは特に指定がないのだが、もし慣れないうちに考えただけでスキルが発動してしまったら、何を代償としてスキルが発動するのか、見当もつかないからだ。

 そうしたスキルの暴発を防ぐために、まずはスキルの発動と錬成陣を紐づけて使用し始め、錬成陣なしでのスキル発動を目指すとよいらしい。これは実際に、アイザック本人がやらかした失敗でもある。


 まだ若く、錬成スキルについてよく解っていなかったアイザックは、ある時、昼食用に取っておいた大好物のギィネアという甘いお菓子を食べようとしていた。しかし、その時、アイザックは前日に失敗した実験の事を思い返してしまったのだ。


 とはいえ、それは食事時によくあることではある。今日の予定の確認や、それに付随して反省をすることなど、食事をしながら考えをまとめる人も多いだろう。アイザックも運悪く、それをやってしまったようだ。

 すると、ちょうど食べようと口の間際まで持っていったギィネアが一瞬にして変化し、不気味なカエルに似たモンスターになってしまった。食べる直前だったアイザックはそれに気付かずかぶりつき、大絶叫をして吐きだす羽目に陥ったのだった。

 以降、彼はスキルの暴発を防ぐ為に錬成陣を間に挟むというプロセスを生み出し、それを徹底することにした。それが、錬成陣を通せという手記のアドバイスに繋がっているのである。


「しかし、無明のヤツ、あんな土の塊をどうするつもりなんだ?アイツは本当に本人もスキルも意味不明だな」


「……そんな意味不明な人を好きになっちゃうお姉様、ホントにかわいい」


「エスメラルダ、何か言ったか?」


「いいえ、な~んにも♪」


 エスメラルダの呟きは小声過ぎてジークリンデには聞こえなかったようだ。あんなに解りやすく惚れている相手なのに、少し拗ねたからといってそこまで悪し様に言うのは、自分の見る目にも傷がつくとは思えないらしい。そんな姉の幼稚さがエスメラルダには実にかわいく見えるのだ。彼女もまたどこか歪みを感じる性格をしていた。


「よし、まずはアレを作ってみるか。とりあえず、同じ位の重さがあればよいらしいでござるしな。…………ふ~むむむむ、えいっ錬成ッ!」


「えっ?!」


「れ、錬成!?」


 全身に流れる魔力を集め、錬成陣に流し込む。本来、この世界の人間ではない無明には、魔力の使い方というものは未知の行為であったのだが、アルベリヒ公爵の日記を読む内に魔力の流れを感知する感覚が身に付いていたようだ。後から解った事だが、あの日記は決して汚れもせず、破損することもない不思議な力で守られていたようだ。実はあの時、ロイドが噴き出したお茶が盛大にかかった際にも、日記は全くの無事であった。二百年近くもの間、別荘の地下で保管されていても問題なかったのは、それが理由だったのである。


 無明の身体から蒼白い光が流れて、錬成陣も同じように輝きだすと、やがてその光は小さなドーム状に形成されて土塊を飲み込んだ。そして、そのまま光は収縮して、代わりに何かが姿を現す。


「おお!成功したでござるよ!見てくれ、二人共!いやぁ、懐かしいでござるなぁ」


「お、お姉様。なんですか?あれ……」


「わ、解らん。子豚…?に見えなくもないが」


 現れたのは、木彫りの熊……ではなく、木彫りのウリ坊だった。某土産物でよく見かける、鮭を咥えた熊の置物に似た、魚を咥えているウリ坊の置物がそこに現れたのだ。唖然とする二人を尻目に、満足そうに置物を手に取って笑う無明の声が、しばらくの間中庭に響いていた。


(※1 当時は、徳川ではなく松平と名乗っていた。)

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