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第6話 2人目の勇者

(気持ちのよさそうな天気だなー)


 神城シロウ――現在は白猫の姿となった元勇者は、仁美の部屋の窓辺でうずくまりながら、空を眺めていた。


 最近のシロウの趣味は日中の散歩である。


 なんとも18歳の青年にとって渋い趣味だ。以前のシロウなら絶対に散歩が趣味なんて言っているやつを馬鹿にしている。


 けれど、悲しいかな、猫の本能なのか、無性に外を歩きたくなる。


 日中の外出を可能にしたのは、シロウのある変化にあった。


 《結》をわずかに操作できるようになったのだ。


 猫になって以降、封じられていた力が、一度人間の姿に戻れた時から少しだけ使えるようになった。


 人間の姿に戻ることはできないが、簡単な結術で窓の鍵を器用に解除したり、軽い跳躍補助の術を使ったりはできるようになってきた。


(ま、こんくらい出来なきゃ最強の名が泣くってもんだ)


 自分で開けた窓から、ひょいっと身を乗り出す。


 二階からの飛び降りも、猫にとってはたいしたことじゃない。着地はしなやかに、音もなく。


 周囲に人がいないことを確認しつつ、シロウは住宅街の路地へと歩み出た。


 仁美が大学へ出かけた隙に、こっそりと窓から抜け出し、こうして町を巡回するのがシロウの日課になっている。


 日差しは柔らかく、風は涼しい。

 人々はのんびりと洗濯物を干し、子どもたちは自転車で走り回っている。


(……こういうの、平和って言うんだろうな)


 洗濯物の匂いと草の青さが混ざった、どこか懐かしい空気を胸いっぱいに吸い込みながら、シロウは舗装された歩道の縁をのんびり歩く。


 ……ポツ。


(……ん?)


 鼻先に、冷たい感触。


 空を仰げば、いつの間にか雲が厚く広がっていた。さっきまであんなに晴れていたのに、今はどんよりとしたグレーが空一面を覆っている。


――そして、次の瞬間には、雨が降り出した。


(マジかよ……!濡れると色々と面倒なんだが……)


 小走りに駆け出し、近くの神社の軒下へ滑り込む。木造の古びた屋根が、ぽたぽたと雨を受け止めていた。


(……ったく、晴れの散歩が台無しだ)


 ぴくぴくと尻尾を揺らしながら、濡れた前足をぺろぺろと舐める。空気は一気に冷え込み、風も湿気を帯びてきた。


(まあ……雨宿りしながら昼寝ってのも悪くねぇか)


 そう思って丸くなろうとしたその時だった。


――パリ……ッ。


 空気が、ほんのわずかに裂けた。


 耳がいい猫の聴覚が、微かな“電気のはじける音”を拾う。次いで、空間の奥からじんわりと滲むような《結》の気配――しかも、それは明らかに“暴れている”種類のものだった。


(……ッ。こいつは……自然の雷じゃない)


 ゴロロロロ……と地鳴りのような低音が空気を揺らすと同時に、住宅街の先、ビルの影あたりから閃光が走った。


 明らかに通常の落雷とは違う、“狙ったような”軌道。


(間違いねぇ。誰かが、雷属性の結を暴発させてる)


 眉をひそめる――いや、猫だから眉はないが、そんな気配を纏ったシロウは、体を起こし、すっくと神社の屋根の縁に飛び乗った。


(この街で暴れられちゃあ……またアイツに迷惑がかかる)


 アイツ、とはもちろん――仁美のことだった。


 シロウは神社の屋根から、電光の走った方向を凝視する。すると、次の瞬間――


 再び、轟く雷鳴。


 今度は、神社のすぐ近く。真昼間とは思えぬ光が空を裂いた。


(……ッ、近い!)


 雷撃の余波が屋根の木材を震わせ、シロウはたまらず一歩身を引いた。


 だが、その直後――。


「逃げろーっ!」

「キャーッ、なにあれ!?」


 路地の向こうから、悲鳴が連鎖的に響く。走ってくる中学生、傘を投げ出して逃げる主婦、子どもを抱えて転びそうになる父親。


 シロウは神社の屋根から、電光の走った方向を凝視する。すると、次の瞬間――


 再び、轟く雷鳴。


 荒れ狂う結の奔流。その中心に、全身から電光をまとう男がいた。


 制服のような装束に身を包み、金髪をなびかせながら、彼は雷の槍を次々と投げ放っている。


 何かを討とうとしているのか、それともただ力を見せつけたいだけなのか――その境界は曖昧だった。


「……あいつか……」


 ぽつりと呟きながら、シロウは軽やかに屋根を蹴る。次の瞬間、白い影は風に紛れて、雷鳴の方角へと走り出していた。


 焦げたアスファルト、割れた歩道、吹き飛んだ標識――


 住宅街の一角は、雷の猛威にさらされた直後のような光景を見せていた。


 神社の屋根から跳び降りたシロウは、焦げた地面に残る《結》の痕跡を感じ取りながら歩を進める。


 目の前で、金髪の青年が雷の槍を放つ。


 制服を思わせる装束に身を包んだその男――久我ハヤトは、地を這うような低空軌道で敵影を貫いた。


 爆発と閃光。土煙の中から、焼け焦げた異形が崩れ落ちる。


(……やっぱりなー、さっきの雷の発生元はコイツ。勇者だったわけだ)


 シロウは屋根の影からその姿をじっと見つめた。


(勇者ランキング5位、”久我ハヤト”……多分名前あっているよな……)


 ハヤトは静かに呼吸を整えていた。すでにそこにいたであろう敵は久我ハヤトの雷によって無力化されており跡形もなくなってとり、戦闘は終わったようであった。


「はっはっはー!! おまえらァ!! 俺様のおかげで助かったんやぞー!!」


 街中に響き渡るほどの大声。金髪の青年――久我ハヤトは、割れた地面に仁王立ちしながら、高らかに叫んだ。


「感謝する気ぃあるんやったら、俺様の勇姿をSNSに上げとけよ! ええか、《#久我ハヤト様》や! 絶対つけんかい!」


 どこかの誰かが拍手でもしてくれたら、彼はきっと満足だったのだろう。だが――現実は冷たかった。


 辺りは、しん……と静まり返っていた。


 市民たちはただ茫然と立ち尽くし、煙の向こうから顔をのぞかせる子ども、母親の腕にしがみついて怯える少女、スマホを取り出すことすらできない高校生たち。


「……おいおい、反応うっすいわ!」


 ハヤトは片眉をひそめ、気まずそうに鼻を鳴らした。



 ハヤトは眉をひそめる。

その様子を見ていた白猫――神城シロウは、内心で呆れ返っていた。


(”結”の威力は一流、対応は三流ってか)


 人々の心に残されたのは、「守られた」という安堵ではなく、「何が起こったのかわからない」という混乱と、「あの雷が怖かった」という記憶だけ。


(ああいう傲慢さは隠そうとしないとダメだ。隠しても隠しきれないのが、結果的に“俺様キャラ”と呼ばれて人気に繋がるんだよ。……俺を見習え!!)


 思い出すのは、勇者時代の自分の完璧な立ち回りだ。あえて少しの謙虚さをにじませ、笑顔で子どもに手を振り、傷ひとつないコートを翻して去る。


 そしてSNSやメディアでは強気に振る舞う。人気を維持するには、細部の印象操作が命だった。


(ったく、俺が表から消えてもあいつはなんも変わんねーな)


 愚痴混じりにため息をついた瞬間――


 ピシィィ……ッ!!


 再び、空気が割れた。


 先ほどとは違う。より生々しく、重く、湿った空気が地面から立ち上るように変質していく。


(……んだよ、今度はマジで“来る”のか?)


 地面に残された《結》の残滓が、わずかに逆流を始めていた。あの雷に晒された恐怖の感情が、空間に影を落とし、形を得ようとしている。


 シロウはわずかに身を低くし、耳をそばだてた。


――その場にいた誰もがまだ気づいていない中、シロウだけが“雷の精霊”の誕生を感じ取っていた。


(……生まれやがったか)


 濃密な《結》の渦が、空間の一点に収束してゆく。電気の匂いが濃くなり、風が逆巻いた。先ほどハヤトが敵を討った地面――そこに、恐怖と怒りの感情が染み付き、新たな“災い”が形を取ろうとしていた。


《結》の奔流が爆ぜる。


 雷を模した異形の精霊が、黒い煙と閃光の中から姿を現す。肩から触手のように揺れる稲妻。


 人の顔に似せた“空洞”だけがそこにあった。不気味に、無表情な、空虚の面構え。


 精霊は産声のような咆哮をあげた。




♦️

 ハヤトの目が雷の異形を捉えた。


 異様な精霊は、まるで雷雲そのものが意思を持って形を得たかのような姿だった。黒煙を纏い、身体中を奔る稲妻が常に弾けている。肩から垂れた雷の触手が地を焦がし、無貌の仮面が音もなくこちらを見つめていた。


「……なるほどな。俺の“結”が強すぎて、生まれてもうたってワケか」


 ハヤトは冷静に言ったが、内心では歯噛みしていた。


(うおお……またやらかしたやんけ! 守るつもりが、これじゃ逆効果や……!)


 だが後悔に浸っている暇はない。


 ちらっと後ろの市民をみると、みな信じられないほど怯えている。


 精霊が吠えた。


 それは雷鳴ではなかった。けれど、喉の奥から絞り出されるその声は、空気の振動すら巻き込む低周波を伴っていた。


 その瞬間、稲妻の触手が空を切り裂く。


「来るかッ!ボケェ!」


 ハヤトの金色の瞳が閃いた。次の瞬間、彼の足元からバチン、と閃光が走る。


『――鍛結系結術疾電脚!』


 雷が爆ぜた。いや、彼自身が雷そのものとなった。靴底から生まれた雷撃が地を走り、地面を砕きながら、その肉体を空中へと押し上げる。


 直後、雷の刃がすれ違うようにして通過した。ほんの数ミリでも反応が遅れていれば、その刃はハヤトの背を断ち割っていたはずだった。


 空中でひねった身体を地に戻し、低く着地する。


「はっ、元気ええやんけ! 今度は、こっちの番や!」


 ハヤトの全身に、再び雷光が纏われる。


 両手の先に力を集中し、彼は一歩、地面を踏みしめた。


創結系結術雷光剣……起て』


 バチィィッ!


 掌に握られた空気が、瞬時に変質する。光のように淡く、鋼のように硬質な剣が、雷の奔流を骨格にしてその姿を現した。


 青白い光をまとったその刃が、静かに唸りを上げる。


 ハヤトは一歩、また一歩と前へ出る。精霊もまた、彼の動きに呼応するように、電気の触手を鋭く振り上げた。


「上等や……!」


 精霊が稲妻の触手を振り下ろす。


 雷鳴のごとき一撃が、コンクリートの舗装を斜めに切り裂いた。火花と煙が舞い、空気が焦げる。


 ハヤトはそれを見切っていた。雷光剣を上段に構え、躱すでもなく、正面から迎え撃つ。


「ッらぁ!!」


 剣が閃き、電気の触手と交錯する。


 火花が弾けた。空中でぶつかり合った結の力が互いを削り合い、音を立てて爆ぜた。


 だが、それだけでは終わらない。


 精霊の体内から、別の結の波動が溢れ出す。


「……ッ、これは!」


 ハヤトが身を引こうとした瞬間、触手の内部に蓄積されていた雷撃が爆発した。


 避けきれない距離だった。


「っぐ……!」


 咄嗟に雷光剣を前に突き出し、雷撃を斜めに受け流す。だが、反動は逃れられない。爆風に吹き飛ばされるように、ハヤトの身体が後方へ弾き飛ばされる。


 背中からアスファルトに叩きつけられた衝撃が、肺から息を奪った。


「くっそ……!」


 立ち上がろうとした足元で、再び雷のエネルギーが地を這うように拡散する。


 その中に――異質な流れが混ざっていた。


(……? 今の……これは……?)


 その違和感に気づく間もなく、ハヤトのすぐ背後へと、雷の刃が迫っていた。


 直撃――そう思われた瞬間。


 ふ、と風が舞った。


 空間の隙間から差し込むように、白い影が滑り込む。


 シュン――と空気を切る音。


 その影は、一瞬だけ雷刃とハヤトの間に入り込み、小さな足で空気を踏むように跳ねた。


 キィン――!


 雷刃が、何かに干渉されたように、わずかに軌道を逸らす。


 ほんの、十数センチのズレ。


 だがそのズレこそが、ハヤトを貫くはずだった雷撃を、別の方向へ逸らす決定的な差となった。


 刃は空を裂き、遥か後方の電柱に命中する。破裂音とともに、街灯が爆ぜた。


「な……今のは……?」


 ハヤトが振り向く。


 そこには、何食わぬ顔で地面に着地する白猫の姿があった。


 雨に濡れた毛並み。翡翠色の双眸。ぴくり、と尻尾だけが揺れる。


「猫……?」


 その瞬間、シロウはハヤトに背を向け、地面を蹴って姿を消した。


 ただの、白猫。


――しかし、あのわずかな動きが、雷刃の軌道を逸らしたのは確かだった。


 ハヤトは、目の奥に奇妙な違和感を残したまま、再び精霊の方へと向き直った。


 雷刃が逸れ、空を裂いた。


 爆発音とともに、遥か後方の電柱が弾け飛ぶ。破裂した街灯が火花を散らし、地面に落ちて転がった。


「……助かった、んか……?」


 ハヤトはその場で数秒、呆然としていた。


 だが、背後に何かがいた形跡も、気配も、見えはしなかった。雷撃がなぜ逸れたのか、それすら定かでない。


「あとやあと!!……行くで!」


 再び精霊のほうを睨みつける。


 異形のそれはなおも雷を纏い、無貌の仮面をこちらへ向けていた。さきほどの攻撃は確実にダメージを与えたはずだが、それでも立ち続ける姿勢に、ハヤトは軽く舌打ちする。


「タフやな……ま、ええ。鍛えがいあるわ」


 雷光剣を構え直す。


 雷を纏い、ハヤトは地を蹴った。


『創結系結術――《雷光剣・双閃》!』


 閃光が奔り、ハヤトの両手に雷の剣が形成される。左右の手にひとつずつ、淡く青白い刃。稲妻の双剣。


 精霊が咆哮した。次の瞬間、雷の触手が十数本、同時に襲いかかる。


「……上等やっちゅうねん!!」


 雷の触手が絡みつこうとするたびに、双剣の斬撃が火花を散らし、それを切り払う。


 何度も何度も、電気の鞭が空を裂き、建物の壁や電柱を砕いたが、ハヤトはその合間をすり抜けていた。


「一発――!」


 雷光剣が閃き、触手の一本を断つ。ちぎれた雷の糸が空中で煙となって消える。


「――二発!」


 交差するようにもう一撃。雷の仮面に向けて水平に斬りつけるが、精霊は咄嗟に身を引いた。風圧だけでコンクリートが削れ、煙が立ちこめる。


(動きに慣れてきた……っちゅうか、こいつ……学習しとるな)


 精霊は確実に、ハヤトの攻撃パターンを読み始めていた。


 攻撃の後には必ず反撃がくる。すでに二度、触手を受け流してきたが、次は真正面から捉えられるかもしれない。


(なら、ここで――仕掛ける!)


 ハヤトは両の剣を掲げ、深く息を吸った。


「雷神の血流よ、我が結に集え……!」


 両腕の結が振動し、空気中の雷粒子が一点に収束する。


『――流結系結術迅雷陣!』


 雷鳴が爆ぜた。


 ハヤトの周囲に陣の紋が走り、空からいくつもの稲妻が地上へと突き刺さる。連続する雷撃が、精霊の身体を正確に捉え、黒煙を吹き上げさせた。


「これで終いやあああああっ!!」


 叫びとともに跳び込む。雷光剣が交差し、刃が精霊を両断した。


 バチィィィン――!


 鋭い破裂音と共に、精霊の身体が閃光に包まれ、空へと四散していく。触手も、黒煙も、雷の核すらも砕けて消滅していく。


 そして、静寂が訪れた。


 焦げた地面。ひび割れた街路樹。瓦礫の山に囲まれて、ただ一人、ハヤトは肩で息をしていた。


「……ふぅ。おっしゃ、撃破や」

「俺は――最強の雷光勇者やからな」


 息を整えながら、空を見上げる。




♦️

 夜の帳が下りはじめた住宅街の外れ。


 戦闘の傷跡から少し離れた細道を、白猫が音もなく歩いていた。毛並みは少し泥に濡れているが、足取りは静かで確か。まるで、何事もなかったかのように――。


 その時、不意に雷の残り香を伴って、地面にバチッと小さな火花が走る。


「――おい!!」


 ぶっきらぼうな声が、背後からかけられた。


 白猫――シロウは振り返らない。ただ一瞬だけ、耳がぴくりと揺れた。


「お前……何者や?」


 雑な足音とともに、金髪の青年――久我ハヤトが現れる。制服の裾にはまだ焦げ跡があり、左腕には浅い裂傷。けれどその目だけは、先ほどの戦闘よりも鋭さを増していた。


「雷刃の軌道がそれたんはお前の仕業か!?」


 シロウは何も答えない。


 じっと、ただじっと、その翡翠色の瞳でハヤトを見上げていた。


「お前――まさか、“結”を使えるんか?」


 白猫が一歩だけ下がる。


 ハヤトの眉がひくりと動く。


「いや、ちゃうな。あの時お前から、微かに結の力を感じたんや!」


 猫はくるりと向きを変え、すぐさま走り出す。だが、人目を避けるように路地裏の隙間へと飛び込み、あっという間に姿を消した。


「……ッ、くそ、速っ! おい、猫ッ!お前……!」


 叫びもむなしく、猫の影はもうどこにも見えなかった。


「……アホくさ」


 肩をすくめながらも、ハヤトは未だに微かに震える指先を見下ろした。


 あの時の一撃は――誰かに助けられた。それだけは確かだ。


「ふん……変な猫やったな」


 そう呟いて、久我ハヤトは夜の街に背を向けた。


 遠く、白猫の足音が、誰にも気づかれぬように静かに消えていった。



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