目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第7話 猫と鴉

 あの雷の夜から、1週間が経っていた。

 空は相変わらず鈍色で、どこか街全体が埃っぽい。


 雷の被害はニュースでも大きく取り上げられたが、肝心の「勇者ハヤトの姿」は、報道には現れなかった。


 彼が退治した精霊の映像は一切なく、SNSに上がったのは割れたアスファルトと、焼け焦げた電柱の画像ばかりだった。


 その後、ようやくテレビに流れた特報は。


――勇者ランキング5位 久我ハヤトが行方不明。


「ほう……」


 シロウ――いや、今の彼はただの白猫でしかないその男は、仁美の部屋のテレビの前で、小さく息を吐いた。


 画面の中で、コメンテーターがもっともらしい口調で語っている。


「神城シロウと久我ハヤトの共通点は、共にSランクの勇者であるという点ですね。特に久我ハヤトは、神城に強く影響を受けた存在だったといわれています」


「失踪の背景には、勇者制度の闇が……」

「あるいは、勇者庁内部の……」


 シロウは、ふさふさの尻尾を揺らす。

思考が、ある夜の記憶へと引き戻される。


 己が“猫”にされる直前、戦った男――

 黒い結を扱い、「弱くなれ」と死に際で願いながら呪いを放ってきた、あの異常者。


(まさかな……いや、でも)


 あの男は、確かに異常。

「願い」が他人の現実を侵すほどの“結”を紡げる存在――


 もし、ハヤトも同じように狙われたとしたら?


(ありえない話じゃない。俺が“猫”にされた時と、同じ結の異常反応が起きたとしたら……)


 当たり前だが結論は出なかった。


(よし!気晴らしだ!散歩いこ!!)


 少なくとも、簡単な結の操作くらいは、猫の身でもできるようになってきた。仁美がいない隙に、近所を歩いて“結”の勘を取り戻す――それが、最近の日課だった。


 軽く身を翻し、網戸を自力でこじ開ける。


「……っと。今日も快晴じゃないけど、まあいいか」


 空は相変わらずくすんだままだったが、湿気が少ないぶん、猫の足取りは軽かった。


 コンクリートの隙間に咲く雑草の匂い。古びたフェンスに絡むツタ。人間のころは見過ごしていた景色が、低い視点では異様に鮮明だった。


(……もう慣れた、なんて言いたくはねぇが。これはこれで、悪くない)


 シロウは細い路地に入り、人気のない電柱の影で立ち止まる。


 周囲に誰もいないのを確認し、小さく息を吐いた。


『――流結系結術浮結


 前足をかざすようにして、結を操作する。


 微風が舞い、塵を巻き上げながら上へと昇っていく。


 成功だ。ほんのわずかだが、確かに“結”を紡げていた。


(……出力をもっとだしたいな、せめて一軒家の屋根くらいは――)


 瓦屋根の上で昼寝をする景色が浮かび少しにやついた次の瞬間だった。


 「カアッ!」


 耳をつんざく鳴き声とともに、上空から影が飛来した。


 黒い閃光のように、真っ直ぐこちらへと向かってくる。


 (ッ――なっ……)




♦️

 夜の住宅街を、久我ハヤトはゆっくりと歩いていた。


 戦闘でボロボロになったコートを羽織り、手のひらにはまだ“雷光剣”の残滓がほのかに灯っている。


 雷の精霊との戦いは終わった。ビルは倒壊せず、市民に死傷者も出てない。それだけで、今日はもう上出来。


「……ふぅ。はよ帰って、シャワーでも浴びたいわ……」


 空には雲。月は見えない。風もない。


(俺はあいつに……神城シロウに近づいているやろうか……)


 ふと脳裏に浮かぶのは、あの男の姿――神城シロウ。かつて自分が人気、実力共に、敗北を認めた唯一の相手。今は行方不明となった現代最強の勇者。


 自宅の高層マンションまであと三つ角――というところで、異変は起きた。


「――ッ、なんや?」


 背中に、ぞわりと寒気が走る。


 振り返る。誰もいない。だが、確かに“気配”があった。しかもただの気配やない。血の匂いに近い、ねっとりとした“呪い”の気配や。


「“雷光のハヤト”か……勇者ランキング5位、実力はあるが、それだけ……」


――声が、頭の奥に直接響いた。


「お前の“正義”は偽物だ。全部、自分のためにやってるだけだろう?」


「……誰やッ!」


 ハヤトは即座に《雷光剣》を呼び出そうとした。けど、結が、来ない。流れが……おかしい。


「……結が、逆流してる……!?」


 体が震える。喉が焼けるように乾き、脚が地面に縫い止められたように動かなくなる。足元を見ると、黒い“手”のようなものが這い出てきていた。


「離せッ!!」


 咄嗟に《疾電脚》を発動しようとするも、黒い結が全身にまとわりつき、感覚がどんどん鈍くなっていく。


「お前も“偽り”の存在だ。強さで自分をごまかしてるだけだ。ならば、弱さを思い出してもらおうか」


 ハヤトの目の前に、“黒衣の男”が姿を現す。


 フードで顔は見えない。だがその身体から溢れ出す黒い結――


「お前なんて、小鳥のように小さくなって、空を彷徨っていればいい……」


 その“言葉”と共に、強烈な“結”が放たれる。


「ぐ、うあああああああッ!!」


 ハヤトの体が光に包まれ、そして――黒に塗り潰された。


 身体が、焼けるように痛い。骨が砕けるような感覚。


 気づいた時、彼の視界は地上から遠ざかっていた。


 翼――黒い羽。脚は縮み、声も変わる。


「カ……カア……?」


 久我ハヤトは、黒い結の呪いにより、カラスの姿へと変えられていた。




♦️

 反射的に跳ね退いたシロウの前で、カラスは――鈍い音を立てて地面に顔面から突っ込んでいた。


 (おいおい……なんだよ急に……)


 警戒しつつも、一歩近づいて見ると、そのカラスはむくりと起き上がり、じっとこちらを睨んでいる。


 「カァ……カア……」


 どう見ても“威嚇”ではなかった。どこか焦ったような声だった。


「……お前、まさか俺を狙ってたんじゃ……ないよな?」


 シロウが半歩引くと、カラスは慌てたように翼をバタつかせ、まるでなにかを訴えるようにジタバタしはじめた。


(……は? カラスって確かなんでも食べるよな……ちょっとこえーから離れようかな)


 バタバタ――ぴょん。

 カラスは小さく跳ねると、地面にくちばしで何かを描こうとした……が、アスファルトには傷一つつかない。


 今度は羽を大きく広げ、首を上下に振る。そして謎のポーズ。


「おい!!お前!!この間のネコやろ!!やっぱり結使えるんやな!!」


――声、だった。


 はっきりとした言葉。それも、耳元に直接響くような、確かな“意思の音”。


(……これなに?)


 シロウは目を見開いた。今の声は、確かに聞こえた。だが、目の前にいるのは――ただの、カラス。


(今……喋った、よな?)


「聞こえてんのか!?アホ!俺様は、勇者ランキング5位!!雷光の勇者!!久我ハヤト様や!」


 カラスが翼をばたつかせ、地面に不器用に着地しながら、シロウの目の前に降り立った。


(……はぁ?)


 さすがのシロウも固まる。


(結だ……目の前のカラスは結を使って言葉を話している。結の流れを確かにこのカラスから感じる)


――結とは願いと現実を繋ぐ力。話したいと願えば結は答えてくれる。だが強い願いほど、結の才能が必要になる。


(こいつ本当に……)


「お前……本当に、久我ハヤトなのか……?」


  問いかけに、カラスは胸を張るように翼を広げた。


「せや! ほんまもんや! 信じられへんかもしれんけどな」


「……嘘だろ。お前ももしかして黒い奴に……」


「そうや! そして気がついたらこうや。気ぃ抜いたら“カア”とか鳴いてまうし、空飛んでんのになんも楽しない。体の感覚もおかしゅうて、最初なんか風に流されて電柱に激突したわ」


「そんで、猫のお前は誰なんだ??簡単に話せているし、かなりの結の使い手だと思うけどな!!」


「俺は――神城シロウ……」


 カラスの瞳が、ぎょっと大きく見開かれる。そして一瞬の沈黙。


「……はあああっ!? お、お前が!? ……神城!? うそ、マジで!?」


「聞かなくても分かるだろ。お前と同じだ。黒い結を使う怪しいやつにこんな姿にさせられたんだよ!」


「お前も……か……」


 久我ハヤト――いや、カラスの姿のままの彼は、小さくうなだれるように翼をたたんだ。


「どないなっとんねん、この世界……。俺らみたいな勇者が、ネコとカラスになって、路地裏で再会やなんて……」


「笑えるだろ? ランキング上位の勇者が、今や猫と鳥だ。情けねえよな」


「……いや。笑えへんわ。なんとか元に戻る方法考えんとな」


「ああ、でも俺らをこうした奴……そいつが、なんか狙ってる。結を“呪い”に変えるような力、あれはただの結じゃない……そんな感じがした」


「……俺も、同じことを思ったで。あいつの“願い”は……常識の外だった」


 シロウはハヤトの言葉に頷いた。


「……わかった、神城。協力せえへんか? 元に戻る方法、奴を探し出す方法、一緒に探そうや」


「……お前が、俺に頭を下げるとはな」


「誰が下げとるかアホ。下げへんけど協力はするっちゅー話や!」


「ははっ、やっぱお前はイメージ通りだな」


 二匹の小さな生き物は、灰色の空の下、並んで佇む。




♦️

「俺は――神城シロウ……」


(え!?、神城……?)


 名乗られた瞬間、一瞬頭が真っ白になった。


 いくら強くなり、A級ランクの精霊を倒そうと、一度も神城シロウのランキングを超えることはなかった。いつの日からか傲慢で俺様なキャラクターになっていたのも影響受けすぎで自分で笑えちまう。


 そんな神城シロウは自分が敗北を認めた、唯一の男。


 ずっと越えたかった“現代最強の勇者”。


 神城シロウが行方不明になって、もうそんな超えるチャンスは訪れないのだと諦め切っていた。


 そんな神城シロウが、今――目の前で、猫になってる。


 ずっと追いかけてきた背中。どれだけ努力しても追いつけへんかった“頂点”。


 その存在が、自分と同じ境遇になって生きてる。


「なんやな……こんなんになってやっと隣に並べたわ」


 ぽつりと呟いた言葉に、シロウが小さく首を傾げた。


「……なにか言ったか?」


「いや、なんでもあらへんわ!!」


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?