それからの二日間は、イェレミーアスと一緒に庭を散歩にしたりコモンルームで読書をしたりしてなるべくゆったりと過ごした。本邸建設も順調で、外観はほぼ仕上がっている。今は内装に取り掛かり始めたところである。
「風が出て来たね。コモンルームに戻ろうか、ヴァン」
「はい、イェレ兄さま。今日はもう予定がないので、厨房に向かってもいいですか?」
「ああ。何か作るのかい?」
「ええ。塩バタークッキーを作ろうかと思います」
「……私のため、だね?」
「……だって、塩バタークッキーならイェレ兄さまも食べてくださるでしょう?」
そう、甘いものをあまり好まないイェレミーアスを観察した結果、やはり塩味系のお菓子なら口にすると気づいたのだ。だから今日は、さくほろあまじょっぱ! な塩バタークッキーともううんざりするくらい種類のあるジャガイモを使ってポテトチップスを作ろうと思う。
皇国はおそらく、広大な領地のほとんどが寒冷地の上に耕作に向かない痩せた土地が多い。のだと思う。多分。だってぼく、生まれてこの方皇都の外へ出たことがないので実際、目にしたことがないのだ。書物によるとそうである、らしい。
貴族は小麦を主食としているが、僻地は小麦の栽培に向かない。僻地であればあるほど、ジャガイモくらいしか栽培できない。ジャガイモは思ったより流通していないっぽいが、僻地では重宝されているようだ。そのせいかジャガイモだけは何故か謎に種類が豊富である。だからその無駄に豊富なジャガイモの中から、ポテトチップスに適したジャガイモを探そうというのである。
「いいですか、ダニー。さくほろ食感のポイントは薄力粉です。砂糖を加えたら白っぽくふんわりするまで常温に戻したバターと薄力粉をよく混ぜます。ぽろぽろした感じになるまで、こう、切るように! そう! で、まとまって来たらこのルクレーシャスさん特製冷蔵室に入れてちょっと寝かせておいて、その間にポテトチップスに取り掛かりますよ!」
スライスしたジャガイモはボウルに貯めた水の中へ。水が濁って来たらすぐに水を変える。水に晒したジャガイモは水分をよく切ってから揚げるのがポイントだよっ。揚げたらシンプルに塩を振ってもいいし、粉チーズまぶしてもいいかもしれない。
ダニーは文句ひとつ言わずにぼくの指示通りにクッキー生地を冷蔵室へ入れて、ジャガイモを各種三つずつ洗って芽を取り、皮を剥いた。ごめんね、変なことばかりさせる主で。ジャガイモをできるだけ薄くスライスして、水に晒している間に冷やしたクッキー生地を棒に伸ばして一センチくらいの厚みに切って行く。温めておいた炭火のオーブンへクッキーを入れて振り返ると、イェレミーアスは水に晒したジャガイモの水気を丁寧に拭き取っているところだった。本来ならこんなこと絶対にしない一生を送っただろうに、ぼくと関わったばかりにこんなことをさせられていると思うと、申し訳なさが込み上げて来る。
「……えっと……巻き込んで、ごめんなさいイェレ兄さま」
「ははっ、いいよ。ヴァン」
「お坊ちゃま、油も温まりましたよ」
「ありがとう」
木の枝を削って作った菜箸で油の中にスライスしたジャガイモを放り込んで行く。じょわじょわと泡が上がっていた油の表面はやがて静かになる。揚げ色がついたら油から上げて行く。大皿へ上げたジャガイモへ、熱いうちに塩を振ってまぶす。半分は粉チーズをまぶすんだった、いけないいけない。そわそわするダニーに声をかけた。
「食べていいですよ、ダニー」
「はいっ! もうお味が気になって気になって……はふ……ほひっ! ほいひい! あつつっ」
普段は小食気味なイェレミーアスも、ぼくの手元を見ながら喉を鳴らした。揚げたてあつあつに塩を振って、ふう、ふう、と息を吹きかけイェレミーアスの口元へ差し出す。
「どうぞ、イェレ兄さま」
「……うん」
はにかみながら、前髪を耳へかけて少し屈んだイェレミーアスは今日も完璧に美少年だ。たったそれだけの仕草が色っぽいんだから美しいってすごい。
「……ふふっ、おいしいね」
ゆっくりと咀嚼するイェレミーアスを見ると、やはり安心する。やはり、食事と睡眠は人間にとって必須だ。心が整わないと、食事をすることも睡眠を取ることも叶わない。
「よかった」
どうにかイェレミーアスの気を紛らわせたかったんだ。明日には、ブラウンシュバイクに会いに行く。その結果がどうであれ、来週からは皇宮での勉強が始まるし、ブラウンシュバイクが消えたとなればおそらくハンスイェルクはシェルケ辺境伯、ひいてはミレッカーと連絡を取るだろう。その証拠を、確実に手にしていかなければならない。まぁ、そこは妖精や精霊に手伝ってもらうので問題ないだろう。
ともあれ、守るべきはイェレミーアスたちの心の方だ。明日も、エステン公爵夫人がこちらへ来てくれることになっている。二日前、夫人とローデリヒを迎えに来たエステン公爵がぼくとイェレミーアスがブラウンシュバイクに会いに行く日に、エステン公爵夫人がヨゼフィーネとベアトリクスを見ていてくれると申し出てくれたのだ。
「お心遣い、ありがとう存じます」
礼を述べると、エステン公爵は静かに首を横へ振った。
「君の払った、そしてこれから払うだろう代償を考えたらこの程度はして当たり前だ。本当に済まない。君が成人していたとしても息子の軽率な振る舞いを強く戒めねばならぬというのに、君はローデリヒより四つも年下なのだ。最大限の助力をさせてもらわねば、公爵家の名折れだ。だが、だからこそ私は君を子供扱いせず、尊重すると約束しよう。スヴァンテ公子」
「とう……父上」
「いいか、ローデリヒ。お前はスヴァンテ公子に見えている、いくつものことが見えていない。恥じろとは言わない。だが、知らねばならぬ。今回のお前の軽率な頼みで、スヴァンテ公子が何を負うことになったか。まず、イェレミーアスたちを世話する使用人を雇った。住まいを整え、衣類や食を整え、安全を確保した。これらに何が必要か、言ってみろ」
ローデリヒが、膝の上で拳をぎゅっと握ったのが筋肉の動きと体の強張りで見て取れた。
「お金、です……」
「お前はこれまでにそれを、具体的にいくらほど必要で、どうやって調達しているか、自分ならどうやって調達するか、考えたことがあるか」
「……っ、……」
膝で拳を握ったまま、ローデリヒは無言で首を横へ振った。その拳へ、手を置いてエステン公爵はローデリヒへ言い含める。それは親であり、公爵として後継者を育てる者としての教えであった。
「お前ならば、私が用意するだろう。だがスヴァンテ公子は? ベステル・ヘクセ殿から金を出してもらっているか? 違うな?」
「……自分で、資金を調達する術を、考えて……実行して、います……」
「そうだ。親の金でのうのうと暮らしているお前と違い、己で己の食い扶持を稼ぎ、その中からイェレミーアスたちへ施している。なんなら稼がねばならぬ金が増えたことで次の手すら考えているだろう。お前の、軽率な行動の結果スヴァンテ公子が払うべきではない金を使わせている。分かるか」
「……はい」
「その上でディートハルトを謀った者が誰かを調べ、証拠を集め、断罪し、イェレミーアスへ爵位を戻そうと策を考えている。お前の一言で、スヴァンテ公子が背負うことになった多くのことを、お前は正しく知らなければならない」
「……はい」
エステン公爵夫人も黙ってエステン公爵の話を聞いている。ヨゼフィーネも口を挟まない。
「リヒ」
「はい」
「お前と、スヴァンテ公子の違いをじっくり考えなさい」
「……」
ああ。これは「父と子」の、そして「現当主と次期当主」との会話なのである。エステン公爵からローデリヒへの「教育」なのだ。だからぼくは、静かに目を閉じて待った。
「よってスヴァンテ公子」
「はい」
「今後私は、君をスタンレイ家の当主として扱う。まことに君は、殿下が陛下に逆らってでも己の参謀に欲するに相応しい人材だ」
「過分に評価いただき、恐悦至極でございます」
エステン公爵はそっと頭を左右へ振る。
「いいや、スヴァンテ公子。貴公は決して、ローデリヒを甘やかさないでくれ。しかし、ゆえに、ローデリヒ」
「はい」
「お前が、スヴァンテ公子を頼ったことは正しかった」
「!」
「よくやった」
「……」
エステン公爵は大きな手でローデリヒの頭をちょっとだけ乱暴に撫でた。それは間違いなく「父と子」の姿だった。イェレミーアスとぼくには、それが眩しい。ぼくは覚えずイェレミーアスの手を握った。