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第60話

「はい、皇后陛下。ジーク様の侍従として恥ずかしくない振る舞いを心がけます」

「頼もしいわ。スヴァンテちゃんがジークの味方になってくれたら、これ以上安心なものはないわ」

「スヴェンは、父上も認める天才ですから」

 話をしている最中も、皇后はソファへ体を凭せ掛けている。普段、人目のあるところではきっちりと背筋を伸ばしている姿しか見たことがない皇后が凭れかかるということは、体調が悪いのではないだろうか。少し気になって様子を見る。

「……失礼ですが、皇后陛下。足が、むくんでおられるのでは?」

「……よく分かったわね、スヴァンテちゃん」

 皇后は目を丸くした。皇宮医のアイスラーや、リトホルムまで驚いた顔をしている。

「お辛いようでしたら、お休みになる時はタオルなどを折り畳んで、少し足を高くすると楽になりますよ。今、皇后陛下の体は出産に向けて血液の量も増えていますし、水分を蓄えようとしているのです。血が巡るように皇宮の庭を散歩するのもよいでしょう」

「……」

 アイスラーがぽかんと口を開けぼくを見ている。しまった。これもこの世界じゃまだ常識ではないのかぁ!

「あっ、でもアイスラー先生が薬を処方してくださっていますよね? 余計なことを申しました」

「……いいえ、スヴァンテ様。どこで今の知識を得たのでしょうか? できればわたくしにご教授願いたい」

 アイスラーがモノクルを拭いてもう一度片目へはめ込むと、興奮気味にぼくへ顔を寄せた。

「えっ……と、リンテルア大陸の書物で見かけました……離宮から引っ越す時に、売ってしまったのでもう、手元にありませんが……」

 あっぶね! 全部引越しのせいにしておこう。

「そうですか、残念です……」

 アイスラー先生はね、向学心があっていい先生なんだよ。ただ、この世界の医療が全く発達していないだけなんだ。この世界では、内臓に損傷を負ったら死を待つしかない。治癒魔法はエルフや精霊のみが使える。人間に、治癒魔法を持つ者が生まれた記録はない。

 この世界は、魔法を攻撃のみに使って来た。特にデ・ランダ皇国はデ・ランダル神教の考えから、よりよく生きて転生を繰り返し善人と神に認められた者が貴族に生まれるとされている。そして魔法使いの多くは、その貴族から生まれる。平民から生まれた魔法使いは、運が良ければ貴族の保護下で出世できるだろう。運が悪ければ、貴族に使い潰され、ひっそりと消えて行く。だからこの国の魔法は貴族の都合の良い方向にしか、発達して来なかったのだ。ぼくはそれを、愚かだと思う。

「機会があれば、探しておきますね……」

「ありがとうございます、スヴァンテ様」

「はい」

 人の良いアイスラーを騙しているようで心が痛い。懸命にメモを取るアイスラーの手元を眺めた。

「それから、むくみはおそらく出産まで解消しないでしょうから、寝る前に足だけ湯に浸けるなどしてもよいかも知れません。少しでも、皇后陛下のお体が楽になりますよう、願っております」

「スヴァンテちゃん、良ければ時々お顔を見せて? 何か気づいたことがあれば、今みたいに教えてほしいわ」

「わたくしも、お話を伺いたいです。スヴァンテ様」

「かしこまりました、皇后陛下。ぼくの知識はあくまでも参考程度に考えてください、アイスラー先生」

「いいえ、長年の疑問に今、答えを得た気がするのです。ぜひ、教えを乞いたい」

 アイスラーは目を輝かせている。研究者タイプなんだよね、アイスラー先生は。ぼくが頭を下げると、皇后は頬へ手を当て、首を傾けた。

「いやだわ、リズと呼んでと言ったじゃない。スヴァンテちゃん」

「恐れ多いことでございます、ツェツィーリエ陛下」

「んもう! スヴァンテちゃんは守りが堅すぎるわ!」

 皇后を愛称で呼んだら絶対に皇王が拗ねる気がする。だからぼくは断固拒否する。

「皇后陛下も体調が優れないようですし、ぼくたちはこれで失礼させていただきますね。イェレ兄さま、抱っこしてください」

「うん。おいで、ヴァン」

 にっこり微笑んでイェレミーアスに向かって両手を広げて見せた。イェレミーアスは蕩ける笑みを浮かべて、ぼくを抱き上げた。

「んまぁぁぁ、ピンクサファイアの王子さまと妖精姫が仲良くしているわ……」

 いくら天才騎士だからって、太腿の付け根を束ねるみたいに片手で軽々、ぼくを抱き上げるなんてイェレミーアスの筋力はいかほどか。今日もイェレミーアスがハンサムである。美少年なのにスマートかつカッコイイ。惚れちゃうよね。分かりますよ、皇后陛下。

 ぼくは皇后へ向けてこくりと頷いて見せた。皇后はじんわりと深く頷いて満面の笑みだ。何だろうな、何かちょっと怖い。

 イェレミーアスに抱っこされて手を振る。ジークフリードと共に皇后の居室を辞して、後宮の廊下を勉強部屋まで戻る。

「どうです、リトホルムは何かを知っていると思いませんか?」

「ああ。スヴェンを明らかに避けていたな」

「そのくせヴァンを盗み見ていて不快だったよ」

「……」

 やはり、リトホルムは何かを知っている。それも、ぼくらには知られたくないことを、だ。

「皇后陛下も時々お見舞いに来てよいとおっしゃられたので、ありがたく続けて情報収集に努めましょう」

 とりあえず、皇后の機嫌を取ることは成功したようだ。皇后から、見舞いに来てもいいとお墨付きをいただいた。遠慮なく時々顔を出すことにしよう。

「うむ」

「ああ」

 ルクレーシャスさんは頷き合うぼくらを眺め、魔法で出したソファに寝そべり、おやつを食べている。今日のおやつは、マウロさんに特注で作ってもらった型で作ったシフォンケーキだ。油と卵と牛乳と薄力粉、コーンスターチで作れる。炭火のオーブンだから火加減だけが難しかった。カスタードクリーム、ミルクジャム、キャラメルソース。好きなものを付けてシフォンケーキを貪るルクレーシャスさんは、口の周りをジャムやソースだらけにしてぼくを見るなりこう発した。

「終わったかい? もう帰る? スヴァンくん、カスタードクリームが足りないよ?」

「……ルカ様……」

 この人、本当に偉大な魔法使いなんだろうか……。二の句が継げないぼくの頭を撫でて、イェレミーアスが苦笑いした。

 帰りの馬車の中で、リトホルムの様子を話し合う。ルクレーシャスさんはシフォンケーキを口に押し込みながら、それがどうした、という顔をした。

「いやもう君には何を言っても無駄だろうけどね、スヴァンくん。やはりフリュクレフ王族の中から現れる『精霊に寵愛される』人間の特徴はきっと、寵愛に足る一目で分かる美しい容姿を持つことなんだろうね。だから彼らはスヴァンくんから目を離せない。おそらく伝承とか、おとぎ話として国民に広く知られているんだろう」

「……精霊さんは、ちょっと変わった美的感覚の持ち主なんですね……?」

 だってぼく、至って凡顔だよ? 首を傾げて眉根を寄せると、妖精たちが不満げにぼくの髪を払う。妖精たちは、チリチリチリ、と独特の声を上げた。普段はぼくに通じるように人間の言葉へ翻訳して話してくれるのだが、妖精同士はこのチリチリで話しているところを見るとこれは妖精語、なのだと思う。これあれだ、ブーイングしてる。

「本当に君、自分の顔に対してだけ認識阻害魔法でもかかってるんじゃないの?」

「そうかも知れませんね、ベステル・ヘクセ様。真剣な話、何事も冷静な評価を下すヴァンが、ここまで己の美貌を正しく把握できていないのは妙です」

 イェレミーアスは同意して、自分の口元へ手を当てながら頷いた。

「でもね、ルカ様。バルタザールがぼくのことを、エステル・フリュクレフにそっくりだと言ったんですけれど、確かにぼくは高祖母に似ていますが高祖母も至って普通のお顔でしたよ?」

 目を丸くしてぼくを見たルクレーシャスさんのお耳がぴんと立つ。しっぽも上を向いたまま止まっている。こんなに驚いているルクレーシャスさんを見るのは初めてだ。ぼくもびっくりしてルクレーシャスさんを見つめたまま瞬きを繰り返す。

「……あのね、スヴァンくん。エステル・フリュクレフはエーゲルシアの銀薔薇と謳われた美貌の持ち主だよ。わたくしも会ったことがあるけれど、ここ二百年で彼女より美しい人間には、君以外に会ったことがないよ?」

「……え?」

 いやいやそんなはずないですよ。ぼくがフレートに見せてもらった女王の肖像画はお茶目っぽい愛嬌のある普通の女性、という感じで絶世の美女ではなかったもん。なんだろう、フレートが見せてくれた肖像画はエステル・フリュクレフに似てないんだろうか。それならちょっとだけ、ミレッカー家にある女王の肖像画が気になる。

「えっと、……ぼくがフレートに見せてもらった女王の肖像画は、女王に似ていないものだったんですかね? あれ、ぼくにそっくりではあるんですけど」

「……フレートが女王の肖像画を持っているのなら、みんなで見ればこの問題を確認できるのでは?」

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