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第61話

「そうだね、その通りだイェレミーくん。戻ったらすぐ、フレートと共に確認しよう。ようやくこのクソ鈍い弟子に事実を突き付けることができるよ!」

 クソ鈍いってどういうことですか! 心外極まりますよ! 頬を膨らませたままルクレーシャスさんを睨み付ける。ルクレーシャスさんは勝ち誇った表情でふふん、と鼻を鳴らして見せた。くうううう! 何か悔しい。

 タウンハウスに着いて馬車から下りると、ルチ様が迎えに来た。最近一日中、ここに居るけどいいのか。精霊って暇なのか。ぼくの頬を撫でながら、ルチ様は心底愛しいものを見る瞳をした。

『ヴァン、おかえり』

 イェレミーアスがルチ様へ向け、ぼくの体を少し傾けた。ルチ様は静かに首を左右へ振ったので、ぼくはイェレミーアスの手から下りた。ルチ様を先頭に、ルクレーシャスさん、イェレミーアスとぼく、と続いてコモンルームへ歩き出す。途中で廊下の向こうからやって来たフレートへ声をかける。

「フレート、女王の肖像画を見たいんですけど。コモンルームへ持って来てもらえますか?」

「……女王様の肖像画、ですか? かしこまりました」

 廊下を立ち去るフレートの背中を見送る。さすがフレート、いついかなる時も足取りに迷いがない。リヴレアの裾に寸分の乱れもない。

 リヴレアはコタルディに似たお仕着せである。シャツの上にジレ、膝丈のズボン、白タイツ、ジャボタイにリヴレア。これがこの国の執事のスタイルである。

 え? って思ったでしょ。

 皇国の執事って、燕尾服を着ないというか、まだ燕尾服を作るほど諸々の技術が発達してない。だから皇国貴族に仕えている執事は皆、このスタイルである。

 ベートーベンの肖像画って見たことある? あれみたいな衣装を着ていると思ってくれていい。ちなみに皇国ではカツラは被らないよ。皇国には、割りと大きな湖があって、そこが水源になっているのと湧き水が豊富なんだ。だから皇国貴族は、毎日風呂に入る習慣がある。つまり衛生状態が良いのだ。カツラを被る習慣がないのは、そのせいだろう。

 とはいえ、それでも水は貴重である。だから、庶民は風呂に入る習慣がない。水は特権階級のものなのだ。

 コモンルームへ入って、ルクレーシャスさんが陣取ったのとは反対側のソファへ、イェレミーアスが座ったのを見届けて、背中を向ける。

「……」

「?」

 座ったイェレミーアスの脇へ立ち、背中を向けたまま少し両脇を空けたぼくは首を傾げた。いつもならすぐにぼくの脇へ手を入れて抱え上げ、膝に座らせてくれるのに。振り返ると、蕩けそうな満面の笑みでぼくへ手を伸ばすところだった。

「……イェレ兄さま、ご機嫌ですか?」

「ああ。だって、ふふ……自覚はないんだね」

「?」

 何のことだろう。首を傾げるぼくを膝へ載せ、イェレミーアスはご機嫌だ。まぁ、ご機嫌なので気にしないでおく。

 ルクレーシャスさんは何故か、頭を抱えてしかめっ面をしていた。

 しばらくしてフレートが持って来たのは、大粒のオーバルカットのガーネットがあしらわれたペンダントだ。ぼくの手のひらでは、握り締められない。ガーネットの飾りの横に細工がしてあって、開くようになっている。いわゆるロケットペンダントで、中に肖像画が納められている。青いマントを羽織ってレガリアと呼ばれる王笏、宝珠を持っている。

「ね? ぼくにそっくりですし愛嬌のある顔立ちはしていらっしゃるけど、そこまで美女というわけではないでしょう?」

 ぼくが尋ねると、フレートが思いっきり「何を言っているか分からない」という顔をして固まった。

「……スヴァンテ様、女王はエーゲルシアの銀薔薇と呼ばれるにふさわしく大変にお美しいお方ですが……」

「ほら! これ確定だ! スヴァンくんは自分の美貌も、エステル・フリュクレフの美貌も正しく認識できていない! どうなってるんだい、明星様!?」

『……約束のうちだから、話せない』

 精霊は人間に関わってはいけないらしいので、その関係で話せないのだろう。こうなるとルチ様は何を聞いても答えてはくれない。諦めて肩を落とすと、イェレミーアスに頭を撫でられた。

「しかしこれでヴァンにだけは、自分とエステル・フリュクレフ女王の容姿が他の人間とは違う見え方をしているということが確実になりましたね」

「確かに、一目で分かるほどとびきり美しく生まれついた王族は国を守る大切なお方なので何を於いても絶対にお守りしなくてはならないと、私も幼い頃からおとぎ話として繰り返し聞かされて来ました。フリュクレフでは子供でも知っていることなので今まで気にしておりませんでした……。だから、スヴァンテ様はそういう、『特別な王族』なのだろうと……」

「やっぱり、そういう伝承があるんだね……」

「はい……」

 どゆこと? さっぱり分からないぼくを置いて、イェレミーアスとルクレーシャスさん、フレートは難しい顔をしている。

「そうなると、ミレッカー宮中伯が言っていた『色が違う』という言葉と、アイゼンシュタット様が言っていた『伝承通り』が気になります」

 ああ、そうだ。そんなこと言ってたね。

「色が違う、については心当たりがあります。ルチ様、しばらくこの部屋に誰も入れないでください」

『分かった』

 ルチ様が頷くと、コモンルーム全体が淡く藍色のベールに包まれた。それを確認してぼくは自分の左手で右手の甲を二回、叩く。イェレミーアスの瞳は驚きで見開かれた。おそらく、ぼくの髪と目の色が戻ったのだろう。

「――! ヴァン……、これは……?」

「こちらがぼくの本来の髪と、瞳の色なんです。高祖母に似ていることを外部の人間に知られるのはよくないと思って、ルカ様に色を変えてもらっていたんです」

 本当は魔法を見てみたかったという、至極浮ついた理由だったことは内緒だ。

「……なんてことだ……。この世にこれほど美しいものがあるだなんて、想像もできない……」

 イェレミーアスはぼくを見つめたままだ。腰に回された手に少しだけ力が入った気がする。

「まぁ、そうなるだろうから偶然とは言えスヴァンくんの選択は正しかったね。君が本来の髪と瞳の色だったら、今頃ミレッカーやら他の貴族やらに拉致されていただろう」

 右手の甲を二度叩いて、髪と目の色を戻す。妖精たちはぷう、と頬を膨らませた。

「とにかく、フリュクレフ王族から現れる愛し子の特徴は一目で誰もを魅了する美貌と、銀色の髪、淡い松虫草色あおむらさきの瞳、ということだろうね」

「おそらくですが、アイゼンシュタット様の発言から考えるに『本人には自分の美貌が認識できない』というのも伝承通り、ということのようです」

「……スヴァンくん」

「はい?」

「君、今後は自分がすごく美しいと自惚れた態度を取りなさい」

「やです」

 ぼくは間髪入れずに答えた。お断りだよ、そんなの恥ずかしすぎるだろ!

 けれどテーブルへ身を乗り出して手を伸ばしたルクレーシャスさんに、容赦なくほっぺを人差し指でぐりぐりつつかれる。ルクレーシャスさんの指からは、砂糖の甘い匂いがした。

「君がそんなだからミレッカー親子に目を付けられたんだよ、『世界がぼくに煌めけと囁いている』くらいに自惚れた態度でいなさい!」

「やです、そんな羞恥プレイ耐えられませんよ、だってぼくにはぼくが凡顔にしか見えないんですもん、そんなイタイ子ムーブかますのやですぅぅぅ!」

「でもね、ヴァン。自分が他人にはとても美しく映っているということだけは、自覚しなくてはいけないよ」

「……イェレ兄さま……。分かり、ました……」

 ここへ来て転生チートがそんなところにも備わっていたという新事実が発覚するとか、ぼくには消化できないよ! この凡顔が他の人には世界で一番美しく見えているとか、今さら言われても信じらんない。

「そうか、美醜の価値観が反転していると考えればイケなくもないかな……。そういう女性向けにゃろう小説も、あるもんね……」

 でもぼくが美しくてもなんも喜ばしくない。ぼくにはどうやったって凡顔にしか見えないんだし。それにぼく、全然モテてないじゃない? あ、でもルチ様には溺愛されてるか。妖精と精霊にも好かれてるし。

 そこがチート設定に繋がるのか。分かりにくいよ。でも段々設定が分かって来たの、安心しちゃう。だってヲタクなんだもん。

 「ねぇ、スヴァンくん。にゃろうってなぁに?」と尋ねるルクレーシャスさんの口に、シフォン生地にカスタードクリームを挟んだオムレットを押し込んだ。もっもっも。無言で頬張る頼れる師匠を眺める。ルクレーシャスさんを静かにするには、これが一番だ。

「まぁ、そうやってすぐに折り合いを付けられるところが、君の良いところだよ。スヴァンくん」

「はい、そこは何とかなりそうですっ!」

 ぼくは元気よく答えた。だって周りに美形ばかりだもん。この世界では美形が凡顔って考えたら多少、羞恥心が抑えられる。よし、それで行こう。元気よく拳を振り上げたぼくを、イェレミーアスはぎゅっと抱きしめた。

「ヴァン」

「はい、イェレ兄さま」

「時々、私に本来の姿を見せてくれる?」

「……う~ん。じゃあ、朝の身支度の時だけ……」

「ダメだよ、何言ってるの。君へ過剰に好意を抱いてる人間は弾けないんだよ? 君を『フリュクレフ王族の愛し子』として妄信している人間が入り込んでいないとは言い切れないし、今後そういう人間が入り込んでも判別できないんだよ?」

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