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第2話 背徳の神殿

 深天曰く背徳の神殿ゲームセンターは駅から少し離れた小さなビルの一階にある。

 駅自体が学校から続く長い一本道の坂の下に位置するため、来客の多くは希美たちと同じ陽楠学園の生徒だ。

 陽楠学園は規律の緩いことで有名で、たとえ下校の途中であっても、この手の店への立ち入りを禁じてはいない。それどころか教師と生徒が一緒になってゲームに興じていることさえある。

 前々から思っていたが変な学校だ。小高い山の上に建てられていて、見た目は洒落ているが、登校するためには毎日のように長い坂道を上らなければならない。

 校内にはもちろん駐輪場もあるのだが、自転車ではとても登り切れないと、ほとんどの人間が匙を投げていた。

 過去には、あえてそれを敢行した猛者もいたようだが、本校の歴史上十指に満たないという噂だ。

 近年ではバイク通学が認められるようになって、多少は駐輪場の存在意義も増したが、それもまだまだ少数派である。

 希美もできることなら原付免許を取りたいのだが、天涯孤独の身で経済的余裕がない。

 幸いローカル線の駅が自宅のマンションから近いため、それを利用して坂下の陽楠学園前駅まで来て、そこからスクールバスを利用して登校していた。

 このバスも導入されたのは近年のことだ。以前は徒歩で長い坂道を上り下りしていたというのだから、先輩たちの苦労が忍ばれるというものである。

 ただ、陽楠市は起伏の多い土地であり、山の上に建設された学校というものはここだけではない。

 それでも、この学園を変だと思うのは、他にも存在するいくつかの特色ゆえだ。

 まず第一に制服に関するルールが個性的だ。

 もちろん個性的とはいっても、男子の制服がタキシードだったり、女子の制服がバニースーツだったりするわけではない。

 そういう意味ではむしろ普通で、詰め襟だったりブレザーだったり、セーラー服だったり、ブレザーだったりするのだ。

 知らない人からすれば、この言い回しだけでも奇妙と思われるだろうが、決して間違いではない。男女ともに二種類の制服があらかじめ用意されていて、生徒はどちらか好きな方を着用すれば良いということになっている。

 なぜそのようなことになっているのか、希美はとくに気にしたことがなかったが、学園長が制服マニアだからなどという噂もある。あくまでも噂ではあるが。

 希美自身はブレザーを選択した上で、その上にフードの付いた水色のパーカを着ている。あまり顔を見られるのが好きではないので重宝していた。

 予定では前髪をだらしなく伸ばして目元まで隠すつもりだったが、理容店での意思疎通に失敗して、ギリギリ眉が隠れるところで前髪をバッサリと切られてしまっている。

 おまけに気の弱そうなその店員に出来映えを訊かれて、ついつい「すごくいいです」と答えてしまったため、散髪に行くたびに同じ髪型にされるのだった。

 自分では引っ込み思案ではないつもりだが、初対面の人間と話をするのが、どうにも苦手で度々こういうことがある。

 そんな希美が自分の意思でゲームセンターなどに近づくはずもなく、そもそもゲームなどに興味はない。

 学友たちは少人数のグループに分かれて、それぞれに気に入ったゲームで遊んでいるようだが、希美はひとり窓際に突っ立ってぼんやりと空を見上げていた。

 生憎の曇り空で、見るからに薄暗く、今にも雨が降ってきそうだ。

 希美はポケットに手を入れると、そこから閉じた傘の形をしたチョコレートを取り出して口にくわえた。お気に入りのお菓子で常にいくつか携帯している。

 本物の雨傘は携帯していないが、それはべつに気にはならない。雨に濡れるのは嫌いじゃない。

 店の中はゲームの音がうるさく響いていたが、それもとくに気にしていない。音に限らず外界の情報を無視するのは得意だった。

 ちなみに、このゲームセンターは深天が口にしていたようなタバコの煙が立ち込める場所ではなく、むしろ清潔感に溢れている。よく見れば禁煙の張り紙までしてあった。客層の大半が高校生ともなれば当然の配慮かもしれない。

 希美をここに引っ張って来た藤咲はといえば、先ほどから対戦型の格闘ゲームで、深天に一方的にボコられている。


「――って、なにが背徳の神殿だよ!? お前、ゲーマーだろ! つーか、なんでしれっとついてきてるんだ!?」

「いいえ、わたしはゲームは初めてです。ですが、わたしには神の加護があります。それが勝敗を分けているのですわ」

「嘘こけっ! 神の加護なんかで、そんな大技が連発できるか!」


 言い争いを挟んでは、またゲームを始める。さっきから、その繰り返しだ。仲が良いか悪いかは別として良いコンビだと思える。

 しばらくはその様子を眺めていたものの、興味が続かず、希美は再び窓の外へと目を向けた。

 ゆっくりと自分に近づいてくる足音には気づいていたが、どうせ横を通り過ぎるだけだろうと関心は示さなかった。

 しかし、意外にもその人物は足を止めて声をかけてくる。


「雨夜さんはゲームをしないの?」


 顔を向けるとクラスメイトのきた朱里あかりが所在なさげに立っていた。

 見るからにゲームとは縁がなさそうな大人しい娘だ。おそらくは希美と同じく藤咲に強引に誘われて、嫌と言えなかったのだろう。

 困ったものだ。そんな流されやすい性格では将来が心配である。

 自分のことは棚に上げて、希美はそんなことを思ったが、口にするのは避けた。

 朱里は、おそらく話し相手を欲していたのだろう。他の女子たちは平然と男子に混ざってゲームを楽しんでいるため、自分と同じくゲームに興味がなさそうな希美に声をかけたというわけだ。

 これまで話をしたこともない相手に声をかけられるのは困りものだったが、無視を決め込めば相手を傷つけてしまうだろう。

 とりあえず食べ終えていたチョコの棒を口から出して元の包み紙でくるむと、それをポケットに戻してから口を開いた。


「わたしはゲームのことは、よくわからないから」


 素っ気なくならないように気をつけて告げると、朱里は明らかにほっとしたようだった。やはり親しくない相手に話しかけるのに勇気を要する性格のようだ。


「そうよね、わたしもゲームのことなんて全然で。だいたいああいうのって男の子の遊びだと思っていたのだけど」


 ぼやきながらゲームに興ずる女子たちに目を向ける。ゲームに興味のある客層の男女比など希美は気にしたこともないが、とりあえずうなずきを返しておいた。


「ところで前から気になっていたのだけど、雨夜さんが背負ってるのってヴァイオリンケースよね?」


 朱里は同意を得られて気を良くしたのか、希美が背負っている長方形のケースを指さしながら訊いてきた。

 今度こそ面倒くさくなって希美は溜息を吐く。


「君には関係ないだろ」


 冷たい声音で告げると、朱里の表情がみるみる曇っていき、目尻に涙が浮かぶ。

 それを見て希美は大いに慌てた。


「ケ、ケースはそうだけど、ケースだけ。カバン代わりに使ってるだけだよ」


 あたふたしながら補足すると、朱里はしばらくキョトンとした顔になったあと、嬉しそうに笑った。


「ありがとう。雨夜さんってやさしいね」

「いや、わたしは人づきあいが嫌いだから、いつもひとりでいるのだけど」

「それなのに、わたしに気を使ってくれたのね」


 さらに感動したように言われて、ますます面倒になるが、性格的に突き放すことができない。

 けっきょく、この調子で店を出るまでの間、朱里の話し相手を務めることになってしまった。

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